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 使者の姿勢のいい後姿を見ながら、その後をついて歩いた。


 優斗と翔子は並んで歩きながらも無言だった。優斗は翔子がとても怒っているのを感じていた。翔子は昔から自分の理解の範疇を超えると癇癪を起こすところがある。 


 けれど、今回はこんなわけのわからない話を聞かされ、さらにそれを優斗が信じているということに怒っているようだった。


 もう口もききたくない、というのが本心だろう。


 そういう翔子の正しさを優斗はとても好きだった。


 口が悪くて、短気のくせに気が強い翔子だが、情に篤く、人の痛みを自分のことのように感じる優しさを持っていた。幼馴染のためにここまで腹をたててくれる翔子が優斗にはまぶしかった。


 使者は翔子と優斗の住む街の最寄り駅に向かった。そこで、入場券の切符を買って改札をくぐった。

 ホームへと向かうエレベーターに乗った。

三人はドアに向かって立っている。ドアが閉まったのを見て使者が言った。


「ここにトビラがあります」


 そう言って、使者がカゴの後ろを見た。そこは入った時には鏡がついていたはずだった。

 ところが、重厚な石のトビラがあった。観音開きのトビラで、真ん中に取っ手がついている。これを引くと開くのだろう。


 トビラには様々な鷺が彫りこまれている。先ほど使者が話した世界がトビラに彫りこまれているようで、木に宿る鷺の彫刻だった。頂点にとまっているあの鷺が王なのだろう。優斗にはわからなかったが、王の鷺は青鷺に似ていた。


 翔子が隣で息を飲むのがわかった。


「私はここから出入りします。優斗様にもここから帰還していただきます」


「なんだかすごく現実的なところにあるんですね」


 優斗が言った。


「不意にヒトが現れても不振がられない場所でしたら、トビラを開くことができます」


「ああ、じゃあ、どこでもいいですね。駅とは考えたなー。へえ」


 翔子は恐る恐る手を伸ばして触った。


「開けてもいい?」


「いけません。もっとも、あなた様ではこのトビラを開けることはできません」


「ここにトビラがあるなら、見せてよ、あなたたちの世界。見れたら納得してもいい。


 優斗が王になるとかならないとかは置いておいて。てか、こんなのマジックかもしれないしね。

 あたしテレビでみたことあるもん。自由の女神消すマジック。


 そういうのができるくらいだから、ここにトビラ出すマジックだってあるかもしれない」


「本当に疑い深い方ですね」


「違うよ、あたしは普通なの。

 こんな話信じる優斗とおばちゃんとおじちゃんのほうがどーかしてんのっ!」


 翔子がまた声を荒げた。

 使者はため息をつくと、「トビラを開けることはできませんが、優斗様がこのトビラの向こうの住人だという証拠をお見せしましょう」と言った。


「優斗様、トビラに手を触れてください。ただし、あまり長い間触れていてはいけません」


 優斗はうなずいた。優斗もこのトビラに長い間触れていてはいけないような気がしていた。なんとなく、戻れなくなるような気がしたのだ。


 翔子は、ぐっと睨みながら優斗を見ていた。


 この表情を優斗は知っている。恐怖を押し隠す時、翔子はこういう顔をする。怖いけれど、生来の気の強さからそれを悟られたくないので、それを我慢しているのだ。


 けれど小さな頃は、がまんしきれず、恐怖が飽和すると大きな声を上げて泣いた。そして泣きながら、手あたり次第ものを投げつけたものだった。


(そういえば、しばらく翔子の泣き顔を見てないな)


 そんなことを思いながら、そうっとトビラに触れた。


 すると、優斗の体がくにゃりと歪んだ。腕も顔も液体のようにドロリとたれた。


 翔子が声もなく後に下がり、ドンっとカゴにぶつかる音がした。

 使者は優斗の手をトビラから離す。


「これが変化です」


 淡々と言った。


「本来はTORIの姿をされてますから」


 使者の声を翔子は聞いているのか、いないのか、大きく目を開いたまま呆然としていた。優斗は手や顔をさすってみた。もうすっかり元の姿に戻っているようだった。


(一瞬とても体が軽くなったように感じた)


 体をさすりながら、優斗はそう思った。


「私は何度でもご説明に参ります。さあ、ご自宅までお送り致しましょう」


「あ、いいです。翔子と二人で帰ります。だから、エレベーター降ろしてください」


「はい」


 使者はそう返事をすると、エレベーターのドアが開いた。

 優斗は呆然としている翔子を伴ってエレベーターを降りた。


「じゃあ、」


 優斗は使者に声をかけると、使者は深々と頭を下げた。


(お辞儀にも美醜があるんだなぁー)


 なんて思いながら改札を出た。翔子は改札を出ると、ぼうっと空を眺めていた。


(魂が抜けてる)


 カレシと別れてもこんな姿は見せない。それ以上にショックだったのだな、とそんなことが優斗には嬉しかった。


 翔子はしばらくぼうっとしていた。雨が降り出しそうな低く垂れこむ雲を見ているのか、見えていないのか、ずっと空を見上げていた。


 その横顔に先ほどまでの力強さはない。


「……あたし、信じないから」


 しばらくの後、そうぽつりと言うと、優斗を見ないで駆けだした。優斗が「あっ」と声をかける暇もなく、駆けだした翔子の背中はどんどん遠くなった。翔子は力強く駆けていく。優斗は翔子の姿がどんどん小さくなるのを見ていた。









 使者がやってきた日から、翔子は図書館に行かなかった。優斗と口を利きたくなかった。


 翔子はとてもたくさん考えたけれど、自分が見たものを否定する言葉が見つからなかった。あのトビラに触れた時、優斗の体が確かに歪んだのだ。


 本当のことを言うと、ものすごく怖かった。


 優斗の体が歪んだことだけではなく、自分の世界が信じてきたものと違うんだと知ったから。


(コペルニクスもこんな気持ちだったのかな)


 なんて古代の天文学者に思いを馳せてみたりした。

 もう時期、期末テストがある。


 本当は他ごとにこれほど気を取られている場合ではないのだ。

 だが、授業も身に入らず、今日も教師に何度が指摘を受けたりした。一日中、同じことを考えていた。考えてもなんにもならないとはわかっていても、あの美しい男の顔と、淡々と話す声が頭から離れない。


(世界の中心にある大木。SAGIが支配する世界。みんなTORIの世界……。

 あたしも洗脳され始めてるのかな)


「翔子、まだぼうっとしてる?また怒られるよー」


 クラスメイトに声をかけられ、はっと顔をあげる。もうまわりは帰り支度を始めていた。いつの間にかホームルームが終わっていたようだった。


 帰ってく友だちに、「ホント、また怒られちゃうよー」と笑いながら手を振って、慌てて帰り支度を始め、ノリちゃんを捕まえる。 


「ノリちゃん、帰ろ。今日、マック寄ってかない?あたしお腹減った」


「今日も図書館いかないの?もしかして優斗くんと喧嘩してる?」


「別に、喧嘩してるわけじゃないけど」


 むすっとして言った翔子にノリちゃんは笑った。


「喧嘩してるんだね。正くんのことなんか言われたの?」


 不意に出てきた元カレの名前に、翔子はきょとんとした顔をする。


「なんで正くんが関係あるの?」


「また怒られたのかと思ってね。続かない恋愛に」


「それはもうお小言もらってる。そんな簡単な話じゃない。しばらくは優斗の話したくない。

 帰ろーよ」


 翔子がせかすと、ノリちゃんは苦笑しながら鞄を持って立ちあがった。


「はいはい」


 笑いながらなおざりに言ったノリちゃんの視線が、ある一点で止まった。


「……あ、噂をすれば」


 ノリちゃんが顎で教室の入り口を指す。そちらを見やると、優斗がいた。


「げ」


 と言ったのは翔子。


「じゃ、私は一人で帰るよ」


「え、嫌だ。ノリちゃん、一緒に帰ろうよ」


「喧嘩してるなら、ごめんなさいは早いほうがいいよ。じゃね」


 ノリちゃんはポンっと翔子の肩をたたく。


「なんで、あたしがごめんなさいだと思うの?優斗が悪いのかもしれないじゃん!」


 と抗議すると、ノリちゃんはにやりと笑い、「そんな日がくるといいね」と投げやり気味に行って、教室を出て行った。優斗に「がんばんなー」と声をかけて。


「ちょっと、ノリちゃん!」


 翔子は踏み出した足を止めた。優斗が近づいてきたからだ。翔子はぐっと奥歯を噛んだ。


「翔子、一緒に帰ろう」


「嫌」


「ダメ、一緒に帰るよ」


「嫌、話したくない」


「らーめん食べてから帰ろう。おごってあげるよ」


 その言葉に「嫌」と言えなかった。翔子はとてもお腹がすいていたのだ。


 そして、優斗は知っている。翔子はお腹がすくとものすごーく機嫌が悪くなることを。空腹だと翔子は好物のらーめん食べたいと言うのだ。

 さきほどノリちゃんにマックに行こうと言ったのは、らーめんよりもマックに行ったほうが安いから、高校生の哀しいお財布事情によるものだった。


「翔子の好きな醤油とんこつの蓬莱軒行こう」


 翔子はゆっくりと首を縦に振った。顔はぶすっとしたままだったけれど、食べ物の誘惑には勝てなかったようだ。

 

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