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 雨の日は暗い。


 片面が窓に面した図書館は尚のこと暗く感じる。低く雲が垂れこみ、窓から見える景色は灰色に染まっている。


 こんな日はさすがにグラウンドを使う部活はないようで、水たまりだけが数を増やしていく。校舎の中でトレーニングをするので、時どき掛け声が校舎に響く。


 ブラスバンドがチューニングをする音に混じって、ファイトォー、オー、ファイトォー、オーという声が聞こえる。女子バレー部の掛け声だ。階段を二列に並んでランニングがわりに上ったり下りたりするのだ。


 雨の日は図書館は繁盛する。


 誰もが雨の中家に帰るのが億劫で、ちょっと図書館に寄ってから帰ろうという気持ちになるものらしい。


 特に水曜日の雨の日は最悪の相性のようで、普段あまりやってこない一年生や二年生がやってきては、パラパラと雑誌をめくり、現実逃避をしたりしていた。


 気持ちとしては、今日で一週間の折り返しかーといううんざりしたものだろう。紙パックのジュースを片手に雑誌をめくる生徒の姿は幾分沈んで見える。


 ただでさえ蒸すのに、ため息だけで図書館が飽和しそうだった。


「閉館です」


 優斗が館内にむかって呼びかけた。生徒たちがノロノロと片づけをはじめる。翔子は返却された本を分類ごとに仕分けしていた。案の定、図書委員の仕事を手伝っているのだ。


(うちの高校、図書委員って優斗しかいないってことはないよね)


 なんてことを思いながら手を動かす。仕分けが終わったら棚に戻しに行かなくてはいけない。

 いつもなら閉館時間前に終えていることだが、人が多くて雑務が増えたせいで、時間通りに進んでいなかった。


「俺、戸締りしてくる」


 優斗は翔子に声をかけると、カウンターから出て行った。

 生徒たちがぞろぞろとカウンターの前を通って帰って行く。中には翔子の友だちもいて、翔子に手を振った。翔子も笑顔でひらひらと手を振り返す。


―翔子には友だちだっているのに。


 そう言った優斗の言葉を思い出す。


(優斗には、あたしがバカみたいに見えるんだろうなー)


―思わせぶりな態度を取るのがうまいんだ。


 そう言われた時はさすがにムッとしたけれど、あれは本当のことを言われたから腹がたったのだと後になって気がついた。


 他の人に言われていたら、ムッとした、くらいでは済まないだろう。絶交してやる、くらいには思ったかもしれない。他ならぬ優斗が言ったことだから、家に帰ってから反芻してちょっとは反省することもできたのだ。


(まあ、ちょっとだけどね)


 けれど、優斗の言葉のおかげで、元カレ正くんの誘いを断ることができた。


 今日メールがきたのだ。


 次の休みに服を買いに行くのに付き合って欲しい、と。


 曰く、翔子が選ぶ服のセンスが好きだから、友だちとして買い物を見て欲しい、のだそうだ。


―未練タラタラじゃない!


 ノリちゃんは一言でそう切り捨てた。


―そんなことなら、まだ好きだから会って欲しいってメールのほうがマシだよ。


 そうとも言った。

 翔子の中ではもう完全に友だちと化した正くんだったので、本当のところは、(買い物くらいならいいかな)と思っていた。


(でも、こういうのが思わせぶりって言うのかもしれない。また優斗にお小言言われるのはやだな。

 どうせあたし優斗にしゃべっちゃうもんなー。正くんと会ったら)


 そう思いなおして、もう会えない旨をそっけなくメールした。きっと少し前の翔子だったら、「その日は用事があるんだぁ☆行けなくて、ホントごめんねっ」なんて、動く絵文字を駆使して相手に不快な思いをさせないよう気を使ったメールを返したことだろう。


 そういうことは、お互いのためにならないのかもしれない、と優斗の言葉から学んだ。本当に好きでもない人に好かれていたって、切ないだけなのだ。お互い、傷は浅いほうがいい。


 少しはそう思えるようになった。

 その一連の話をさっき優斗にした。


―翔子は素直なところが長所なんだよ。


 と、そんな風に言われた。


―ほめてるの?


 と聞くと、


―もちろんだよ


 と優斗はにっこりと笑ったので、自分の行動も含め満足した。


「優斗、戸締り終わった?」


「後は入り口だけ。帰る時に締めていくよ」


「じゃあ、優斗、九百三十番台しまって。あたし、九百十番台しまうから」


 返却され、分類ごとに仕分けされた本をカートに乗せてガラガラと翔子が運んできた。優斗は、口元を柔らかくして翔子を見た。


「なによ」


「翔子は優しいなあと思って」


「しょうがないじゃん。あたしと優斗しかいないんだから。だいたい、坂崎先生はなにしてんの?

 司書だよね、ここの」


「国語教諭と兼任だから、毎日ずっと図書館にいるわけにはいかないんだよ」


「それなら余計誰かがやらなきゃいけないじゃん。あたしだっていい迷惑だよ」


 翔子は強い口調で言ってみたけれど、「ありがとう」と優斗が言うものだから、ちっとも嫌味には聞こえなった。

 二人は薄暗い図書館の棚の間に立って本を棚に戻していく。


 ざあぁ……。


 部活動をしていた生徒も帰宅してしまったようで、雨の音だけが図書館を満たす。二人は黙って手を動かしていた。翔子は日本文学の棚を、優斗は外国文学の棚を担当していたので、お互いの姿は見えなくとも、カタン、カタン、という本をしまう音でお互いの存在を確認できた。

 雨の音と、本がしまわれる音だけが聞こえ、沈黙が心地よかった。


「翔子、」


 ふいに優斗が棚を挟んで翔子を呼んだ。


「なに?」


 翔子は集中力があがってきて、前より早く本を棚に差しこめるようになったきたことに、ささやかな喜びを覚えていた時だったので、上の空で答えた。


「俺の所に使者が来たよ」


 優斗がぽつりと言った。

 翔子は、左手で本を差しこむ隙間を作って、右手の本を入れようとしていた時だったので、優斗の言った言葉がうまく変換できなかった。


「なんだって?」


「使者が来たんだ」


「シシャ?なに、シシャって」


「使いの者だよ」


「どこから」


「俺が住むべき本当の世界から」


 優斗の言った言葉に、翔子は動きを止めた。どうやら優斗はなにかおかしなことを言っているのだと気がついたのだ。


「なに言ってるの?電波系の人みたいだけど。そんなこと言われても怖いんだけど」


「怖い、よなぁ。普通」


「うん、怖い。でも話してよ。気になるし」


 翔子は再び本を戻す作業に戻りながら、優斗を促した。


「俺はね、異世界のSAGIなんだって」


「サギ?」


「鳥の鷺、ね。その国ではSAGIっていうのは王のことを言うそうで、俺はその世界の次の王なんだ ってさ。だから迎えに来たって」


「ごめんごめん。ちょっと、ツッコミどころが多すぎてツッコミきれないんだけど」


「だよねえ」


「だよ。……で、その使者っていつ来たの?」


「先週の土曜。スーツ着たきれいな男だったけど」


「あっやしい!きれいな男なんて詐欺師に決まってるよ。あ、これさっきの鷺とかけてみたんだけど」


 そう言って、けらけらと翔子は笑った。笑い飛ばさないと、まともに聞いていられなかったのだ。

 だいたい、優斗はこういう非現実的なことを言わない。夢見がちで、現実逃避とも感じられるような発言をしない。いつも地に足をつけ、自分がどこに立っているのか分かっているのが、優斗だった。 


 だから、優斗の話には違和感があった。

 優斗自身、自分の発言を疑問に思っている節があった。


「で、使者が来て、優斗はどうするの?」


「また来るって言っていたからさ。その時に詳しい話を聞くよ」


(詳しい話を聞いて、それで、そんなおかしな話を信じるの?)


 翔子は本心ではそう思った。正直、(なにいってんの?)と思っていた。が、優斗が思ったままを口に出す前にちょっと考えろと言ったアドバイスを活用し、ぐっと黙ってみた。


「翔子も、一緒に会ってみない?使者に」


「ええ?洗脳とかされない?」


「たぶん」


「えー、たぶん、とかで、そんな怪しい人に会えない」


「両親も会ったんだよ」


「そりゃ、みんなまとめて洗脳されたんじゃないのー?怪しいなー。

 壺とか買えって言われなかった?」


 翔子がそんな風に茶化すと、優斗は黙った。


(ありゃ、怒らせたかな?)


 翔子はちょっとドキドキした。優斗は滅多なことでは怒らない。だから、優斗が怒った時は本気でヤバイ時だ。


「会ってみようかな、あたしもっ」


 慌ててそう言い繕った。

「ありがとう」


 優斗はいつもとかわらない口調で言った。少しも怒りは感じられなかった。

 優斗は怒っていたわけではない。

 翔子の言葉を吟味していたのだ。もしかして、翔子の言うとおりにみんなで洗脳されているのかもしれない、と。


「木島、武井、まだいたのかー」


 カウンターから司書の坂崎先生の声が聞こえた。いつものぼさぼさの頭をかきながら、だっさい眼鏡をかけていた。

 木島は優斗の、武井は翔子の姓だ。


「悪いなー、返却本片付けてくれるのか。俺も手伝うよ」


「あ、俺、終わりました。翔子は?」


「あたしもあと一冊」


「おお、すまんなー。全然顔出せなくて。コーヒー飲むか?淹れてくるよ。ちょっとだけ待ってろー」


 坂崎先生はそう言って、来たばかりのカウンターから出て行った。

 残された優斗と翔子の間には雨の音が落ちるばかりで、なんだか気まずい沈黙が落ちた。


―俺が遠く行ったら、淋しい?


 あの弱気な発言は、大学へ進学することではなく、王になって違う世界へ行く話だったのか、と翔子はあきれながら思った。


(早く戻ってこないかな、坂崎先生)


 翔子は最後の一冊を棚にしまいながら、そっとため息をついた。



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