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 部活の最中のサッカー部を横目に、優斗と翔子は並んで校門を出た。


 肩を並べて歩くと、優斗の歩調が妙に安らいで、にやついてしまう。変な緊張がないのがいい。


 いつもはそんなことに気がつかないのに、昨日まで付き合っていた人とのぎこちなかった距離から解放されて、優斗と歩く自分がいかにリラックスをしているかを知った。


「久ぶりだね、翔子と帰るの」


 優斗が言った。


「ホント。保育園には手をつないで通っていたのにねー。手、つなぐ?」

「いいよ、暑いし」

「確かに暑いー。いつあけるの、梅雨ぅー」

「今日は久しぶりにカラっと晴れたね。母さんが喜んでた」

「布団干せるって?」

「そう」

「おばちゃん、太陽はなんでも殺菌すると思ってるよね。スリッパとかも干すじゃん?」

「そう、干す。今朝、靴とか庭に並べてたよ。父さんの水虫が治るんじゃないかって」


 あははっと声をあげて翔子が笑った。


「医者に診せろ、医者に」


 言いながら翔子は、優斗の二の腕をバシバシと叩く。


「医者にも通ってるんだけどね」

「優斗、うつっちゃうんじゃない?やぁーだ、あたしにうつさないでよ、絶対」


 翔子は、優斗を叩いていた手をぱっと離し、一歩横にずれた。

 その行動に優斗はあきれて言った。


「あ、見つけた。カレシと続かない理由」

「え?」

「自己中心」

「えー?あたしジコチュウかぁ?」

「今の、自己中心的な行動だったよ。俺は傷ついたな」

「水虫扱いしたこと?」

「そう」

「えー。じゃあ、ごめん」


 翔子は素直に謝る。優斗はそんな翔子を見てにっと笑った。


「翔子は、自分が言った言葉を相手がどう思うか考える前に、声にしちゃうんだよ。

 一呼吸おかなきゃ」

「あたしがそんなことばりしてたら、沈黙ばっかりになっちゃうよ」


 翔子がそう口をとがらすと、今度は優斗があははっと軽快に笑った。


「確かに」

「でしょ?」


 翔子もなぜかちょっとだけ自慢気に言う。


「まあ、沈黙ばかりになるのはどうかと思うけど、三秒考えるだけでも違ってくるんじゃないか」

「はーい。参考にします」


 翔子は宣誓をする時のように、片手をあげてみせた。


「……本当は知ってるんだろ?続かない理由」

「え?」

「翔子が好きになれないんだろ、相手のこと」


 優斗がそう言うと、翔子はははっと乾いた声で笑った。その笑い声はまるで「バレたか」と言っているようだった。


「なんで好きでもない人と付き合っちゃうかな、いつも。告白されて付き合って、別れ話は自分から切

 り出して、ってそんなことしてたら、ちゃんと人を好きになれなくなるよ」


 優斗の口調はのんびりしていて、翔子を責めているわけではなさそうだったが、翔子の心にはドスンと響いた。


(……重い言葉。意外とスルドイ奴)


「そういうことするのは、子どもっぽいかもしれない。ノリちゃんの言うとおり」


 翔子は返す言葉がなくて、黙って歩いた。優斗の隣だと自由に拗ねることができるからいい。拗ねても、いつものことだと放っておいてくれるから、変に気まずくならない。


(じゃあ、優斗は誰でもいいから側にいて欲しい時ってないの)


 聞きたかったけれど、優斗には愚問のような気がして言えなかった。

 優斗はいつも正しい。

 正しくて、大人で、優しい。


―優ちゃんは翔子のお兄ちゃんみたいね。


 翔子の母は小さい頃はよくそう言った。だいたいが、駄々をこねた翔子を優斗がなだめている場面だった。

 幼い頃はいつもへらへらして男っぽくなかった。翔子が癇癪を起しても、優斗はあまりやり返してこなかった。


(穏やかっていうか、覇気がないんだよね。あたし、ちっちゃい頃の優斗にしょっちゅうイライラして

 たな。やり返してみろよって思ったもん)


 優斗と黙って歩きながら、そんなことを思い出す。寛大なんて言葉、保育園児が知っているわけがない。優斗とて、意識して寛大であろうとしていたのではなく、気の長い子どもだったのだろう。


 翔子の知っている優斗は、保育園の時から穏やかな印象のままだ。


「……いつだって、今度はちゃんと好きになれるかもって思うんだよ。正くんにだって、告白されてと ても嬉しかった。嬉しくて、ドキドキしたもん」


ぶすっとした顔のまま、翔子は言った。


「でもいつもだめになるの。告白されてしばらくが一番好きな時で、それを過ぎるとどんどんダメなと

 ころばっかり見えてきちゃう」


 優斗は歩きながら、翔子の言葉を黙って聞いていたが、短くため息をつくと、言った。


「翔子はさ、モテるわけじゃないんだよ。思わせぶりな態度を取るのがうまいんだ。もしかして、この 子俺のこと好きなんじゃないかって思ったらどうしたって気になるよ。そこから翔子を好きになる人 だっている。それが翔子に告白する男たちだよ。みんながみんなそうだとは言わないけどさ」


「なにそれ?喧嘩売ってるの?」


「違うよ。本当のことを言ってるだよ。そういう風に翔子のことを好きになって、実はそんなに好かれ てなかったって気付く男が可哀相だ。翔子だって無傷なわけじゃないんだし」


「じゃあ、どうしろって言うの?」


 翔子が怒りを含んだ声で聞く。


「本当に好きな人とだけ付き合えばいいよ」


「そんなの、いつになるかわかんないじゃん!」


「待てばいいと思うけどな。どうしてそんなに誰かと付き合っていたいんだよ。

 そこが俺にはわからないなあ。翔子には友だちだっているのに」


「友だちとカレシは違う。距離が違う。恋愛は体温なんだよ。

 優等生の優斗にはわからないかもしれないけど」


「体温、ですか」


「好きな人といたら手をつなぎたいって思うでしょ?キスしたいって、抱きしめたいって思うじゃん。

 それって体温を感じたいってことじゃないの?」


 ムキになって翔子が言うと、優斗は「俺にはわかんないなあ」とつぶやいた。


「うーん、わりと毎日が幸せだからかなあ」


「なんだかおじいちゃんみたい」


「よく言われる」


 はははと笑う優斗に、翔子は戦力をそがれ、並んでゆっくりと歩いた。


 なんだかんだ言って、優斗は翔子の話を聞いてくれる。恋愛の話ばかりでなくとも、翔子は胸の内にある思いを吐き出したくなると、優斗の所に行くことにしている。保育園児の時から、優斗は辛抱強く翔子の話を聞いてくれてた。今は昔みたいにただ頷くだけではないけれど。


 高校生になってからのお気に入りは、図書館に会いにいくことだ。


 約束しなくても、図書館に行けば、だいたい優斗はカウンターの中にいる。実際に足を向けなくても、あそこにいけば優斗に会えると思えるだけでも心強いものだ。


 受験生だというのに、優斗は三年生になってもカウンターに座る。普通は三年生の図書委員はカウンターを免除されるものだが、優斗はあの場所が好きなのだと言う。


―することなければ勉強できるし。


 優斗の成績はとてもいい。翔子ではとても手が届かないT大を狙っている。

 以前、「塾行かなくて大丈夫なの?」と聞いたことがある。すると「国立大学だから。私立なら対策必要かもしれないけど、国立だったら授業受けてればなんとかなるよ」と飄々と言ってのけた。


 翔子の通う塾には、国立大学狙いの高校生もたくさんいる。翔子だって国立大学を狙っている。けれど、一人で勉強して受かる気はさらさらしない。


(優斗とは頭のできが違う)


 そんな風に思ったものだった。


 高校から一緒に帰ると、優斗の家に先に着く。翔子の家のほうがいささか遠いのだ。

 優斗の家の前に着き、翔子が「じゃあね」と言おうとすると、優斗はなにか言いたそうにして、「送ってくよ」と言った。送ってく、と言っても五分と離れていないのだけれど。


(変な優斗)


 そう思いながらも、お言葉に甘えて送ってもらうことにした。

 他愛もない話をしていると、すぐに翔子に家に着いた。


「じゃあ」


と翔子が言うと、「じゃあ、また明日学校で」と優斗は言った。


(なーんか、変な感じ)


 優斗はなんだかそわそわしているように見えた。けれど、なにも言わないので、翔子も特に問いただすことなく、玄関のドアに手をかけた。


「翔子」


 背後から優斗の声に呼び止められる。翔子はできるだけ、なんてことないふりをして振りかえった。


「俺が遠く行ったら、淋しい?」


 と、優斗はそんなことを言った。優斗の顔は真剣だったが、翔子は思わず噴き出してしまった。


「優斗、大学受かったら遠くに行っちゃうんでしょう?そんなのしょうがないよ。

 だって、ここには優斗の望むT大学ないんだもん」


 翔子が笑いながらそう言うと、優斗は困ったような、ほうっとしたような顔で笑った。


「そう、だよね」


「なに?恋しくなっちゃった?あたしのことが」


「そういうわけじゃないけど」


「そういうことは受かってから考えなよ。まだ結構先だよ、じゃね」


 翔子は軽快に手を振ると、玄関を開けた。


 優斗が「じゃあね」と言い終わるころには、家の中から「ただいまー」という翔子の声が聞こえてきた。

 優斗はしばらく玄関の前にたたずんでいたが、とぼとぼと家路についた。

 歩きながら、ひとつ大きなため息をついた。



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