宝月家と御影家
季節は進み、すっかり起き上がるのが辛くなってきたある日の朝。
「ううっ、さむっ!」
意識が浮上した結衣は、布団の中で丸くなると身震いをひとつした。布団を頭から被ったままのそりと立ち上がり、ゆっくりと窓辺に近づく。
「わぁっ、雪だ……! そりゃあ寒いわけだ」
窓の外には一面銀世界、というわけではないが、屋根瓦の上や木の枝にうっすら雪が積もっている。
(すっかり冬ね。鬼丸、きっとまだ寝てるよね。起こしてあげなくちゃ)
廊下に出てハァッと吐き出す息が白い。鬼丸は寒さが苦手なので、冬の日は寝坊しがちである。今日は久しぶりに母家への招集がかかっているため、早めに用意をしておかないと。
「鬼丸、起きてる? 雪、積もってるよ」
結衣の部屋に隣接している鬼丸の部屋の前に立ち、中に声をかける。けれど、予想通り返事はない。恐らくまだ布団の温もりに包まれて夢見心地なのだろう。
「もう、入るからね」
結衣は断りを入れてから鬼丸の部屋に足を踏み入れた。
鬼丸の部屋は随分と質素だ。着替えが入れられている箪笥が壁際に置いてあり、小さな机と座布団以外に家具はない。部屋の真ん中に敷かれた布団はこんもりとかまくらのように盛り上がっている。鬼丸だろう。
「はい、起きてくださーい」
気持ちよく眠っていそうなので申し訳ないが、仕事だから仕方がない。結衣は布団の端を両手で掴んでベリッと引き剥がすように捲った。
「…………寒い」
中には、小さく縮こまった鬼丸が眉間に深い皺を寄せていた。細く目を開けて、愛しの布団との仲を引き裂いたのは誰かと探究するように眼球が動く。
「……結衣か」
「おはよう。今日は母屋に行く日だから早く起きなよ」
無言で抗議してくる鬼丸に、結衣はパンパンと手を叩きながら起床を促す。
「チッ」
舌打ちをして、寝癖のついた頭を掻きながら、鬼丸はのそのそと身体を起こした。
いつもの鋭い眼はとろんと少し垂れ目がちになっており、着崩した寝巻きの浴衣が一層の色気を引き出している。仕草といい雰囲気といい、やはり鬼丸は見た目よりも年を重ねているのだろうか。
そんなことを考えていると、着替えをするからと鬼丸に部屋を追い出された。
◇
着替えと時子が支度してくれた朝食を済ませると、結衣と鬼丸は目立たぬように母屋へと侵入した。母屋はいつも使用人が忙しそうに駆け回っているのだが、今日は特段バタバタしている様子だ。
「? 何かあるのかな。来客とか?」
「知らん。行けば分かるだろう」
鬼丸は真綿がたっぷり入った厚手のちゃんちゃんこに包まれながら、むっすりとしている。まだ叩き起こされたことを根に持っているようだ。あるいは、結衣が母屋に足を踏み入れること自体よく思っていないので、それで機嫌を損ねているのかもしれない。
ひたひたと長い廊下を進み、母家で最も大きい広間に続く襖をそっと開いた。
広間にはすでに宝月に連なる面々の姿が揃っている。上座には現頭首である父の願鉄が腕組みをして鎮座している。願鉄は齢四十五となるが、筋骨隆々としていて、僅かに白髪の混じった黒髪を後ろに撫でつけている。久しぶりに見る父の姿に、結衣の身体が強張る。もう随分と父と会話をしていない。
ずらりと並べられた座布団の空いた席に静かに着席すると、願鉄の隣に座っていた亜衣が立ち上がった。
「みんな、集まってくれてありがとう。実は秋に妖狐を隠世に帰したあたりから、この辺りで現世と隠世の境界に小さな綻びが生じているの。力の強いあやかしが迷い込んだ影響だとは思うけれど、小さな綻びは放っておいたら次第に大きくなってあやかしを再び呼び寄せてしまうかもしれない。だから……はぁ、御影家との共同作戦を実施することが決まったわ」
亜衣の話を受けて、広間はざわりとどよめいた。
御影家とは、宝月家と並ぶ名家であり、宝月家と同じくあやかしと使い魔契約をして代行稼業を営んでいる家系である。『東の宝月、西の御影』とは、この業界では有名な言葉である。
「御影家と共同……? ということは、もしかして」
結衣の脳裏にとある人物の姿がよぎる。
結衣が考え込むように顎を摘んだその時、上座付近の襖が勢いよく開いた。
皆の視線が集まる中、一人の少年が勇み足で広間に入り、亜衣の前に仁王立ちをすると腕を組んで踏ん反り返った。
「前置きが長いわ! さっさと紹介せえ。あー、まあ、みんな知っとると思うけど、俺は御影辰輝や。この俺がわざわざ協力しに来たんや。サクッと綻びみーんな見っけて、繕うて、おしまいや!」
大きな声の少年の名は、御影辰輝。癖毛がちな明るい茶髪に八重歯が特徴的な人懐っこい顔つきをしている。歳は結衣と同じ十八歳。
段取りを無視した登場に、亜衣は眉間を押さえながら深くため息をついた。
「はあ……あのね、物には順序というものがあるの。呼ばれるまで勝手に出てこないでちょうだい」
「はぁ? お前の話が長いねん。待ちくたびれたわ」
一方の辰輝は悪びれた様子もなく反論する。亜衣は「もういいわ」と再びため息をついてから使用人に声をかけて辰輝の席を用意させた。
「とにかく、辰輝君は探索能力に長けているから、仕方なく協力を依頼したの。これからしばらく辰輝君率いる御影家の人たちが居候することに決まったわ。両家の交流を深める意味もあるから、くれぐれも仲良くね」
「おう、世話になるな! よろしく頼むわ」
ゲンナリとした様子の亜衣に対し、辰輝は陽気に笑っている。広間にも戸惑いの声があちこちで上がっていて、歓迎モード一色というわけではないようだ。どうも辰輝は幼い頃から場の空気が読めないところがあり、平気な顔で用意された席に腰掛けた。
その後、亜衣から当面の動きについての説明があった。今日は御影家関係者の旅の疲れを癒すため、部屋の用意や荷物の整理に充てる。本格的に綻び探しが始まるのは明日からだ。
仕事の割り振りや共同生活における留意点などの説明を一通り受け、その場は解散となった。
「御影家の小僧か。どんな奴だ?」
「あ、そっか。鬼丸は会ったことがなかったっけ」
結衣と鬼丸も未だ騒つく広場から早々に立ち去るべく腰を上げる。鬼丸は辰輝を一瞥し、結衣を見上げて問いかけた。
「御影家の次男で、まあ、見ての通り元気な人なんだけど……その、亜依の許嫁、だよ」
「は? 許嫁だと!?」
結衣の言葉に、鬼丸は大層驚いた様子で目を剥いた。
実は、関東方面で活動する宝月家と、関西方面で活動する御影家は、古くから対立してきた。どちらがより優れたあやかし代行稼業かを競い合ってきたのだ。
けれど、当代の当主である結衣の父の願鉄と、辰輝の父の御影緑之助は馬があった。共に仕事を請け負うこともあれば、酒を飲み交わすこともある。
二人は、両家の諍いを憂い、手を取り合う契機となるよう互いの子供を許嫁とした。宝月家の次期当主に、御影家の次男である辰輝を入婿として迎えるというものだ。
許嫁の話は、結衣が生まれた頃に浮上した話である。
つまり、当初辰輝の許嫁は結衣だった。
けれど、結衣が力を失い、亜依が次期当主となったことで、辰輝の許嫁も亜依へと変えられた。
イタズラ小僧で幼い頃によく嫌がらせをされた辰輝のことが苦手な結衣であったが、両家のためであれば結婚を受け入れる考えだった。だが、自分が次期当主として相応しくないと烙印を押されたことで、次期当主の任を亜依に背負わせるだけでなく、亜依の結婚相手までも家に決められることとなってしまった。
客観的に見て、亜依と辰輝はあまり仲がいいとはいえない。特に亜依が辰輝をよく思っていないことが、姉である結衣には分かるのだ。
将来進むべき道も、結婚相手も決められてしまった亜衣。どうしても辰輝の話となると、申し訳なさが胸を締め付ける。
「許嫁……家同士が決めた結婚か。もし結衣が次期当主のままだったら、あの小僧と結婚させられていたのは結衣ということか」
掻い摘んで説明をすると、鬼丸は面白くないと隠すことなく顔に表した。
「おい、結衣!」
ますます不機嫌になった鬼丸の背を押して退出しようとした結衣の背に、今まさに話題にしていた人物の声がかけられた。
結衣はびくりと肩を跳ねさせ、ゆっくりと後ろを振り向いた。
「たっちゃん……」
「たっちゃんだと!?」
「やめい。子供の頃のあだ名やろ。恥ずかしいわ」
ついつい幼い頃の呼び名で呼んでしまった結衣は慌てて口を両手で押さえた。鬼丸は目を剥いて敵対心を露わにしているし、辰輝も舌を出しておどけている。
「ご、ごめん。えっと……辰輝くん? 私に何か用事でも?」
こほんと咳払いをしてから問いかけると、辰輝は少し懐かしそうに結衣に微笑みかけた後、視線を鬼丸に落とした。
「いや、な。久しぶりに会うんやし、挨拶しとこ思うて。それに結衣の使い魔の話聞いて、会いたいと思うとったんや」
辰輝の言う通り、結衣と辰輝が顔を合わせるのは実に三年ぶりのこと。契約の儀もそれぞれの家門ごとに行われるため、結衣も辰輝の使い魔と顔を合わせたことはない。
初対面を迎えた辰輝と鬼丸の間には剣呑な雰囲気が流れている。
「で、お前が鬼丸か。鬼に間違いないようやな」
「ふん、御影の小僧。不用意に結衣に近付くな。これは警告だ」
バチバチと何故か火花を飛ばす二人。間に挟まれた結衣はたまったものではない。
「ちょ、ちょっと! これからしばらく一緒に生活するんだし、仲良く! ね?」
慌てて笑顔を繕って間を取り持つ結衣。
「まあ、せやなあ。せやけど、結衣は離れに住んどるんやろ? 仕事以外で顔合わすことあるんかいな」
「ふんっ」
「いってぇ!」
頭をボリボリかいて無神経なことを言う辰輝に、鬼丸が怒りの蹴りをお見舞いした。見事に脛に命中したようで、辰輝は涙を滲ませながら片足を上げてぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「お前なぁ! いてて。まあええ。とにかく仕事が始まったら足引っ張るんやないで」
「その言葉、そっくりそのまま返してやる。行くぞ、結衣」
鬼丸は最後に辰輝を睨みつけると、結衣を押し出すように広間から出て行こうとした。
「結衣」
すでに身体が廊下に出ている状態で声をかけられた結衣は、首を反らせて顔だけ広間に覗かせた。さっきまで鬼丸と子供っぽい言い合いをしていた辰輝であるが、今は真剣な眼差しを向けている。
「なんで鬼なんちゅう高位のあやかしが、こっちに影響を与えんと長居できてんねん。おかしいやろ。自分、ほんま何者やねん。結衣もおかしいと思わんのか」
鬼丸、そして結衣に対して、辰輝は低い声で疑問を投げかける。
「え……」
突然の指摘に頭が真っ白になり、言葉が紡げない。目を泳がせる結衣に代わって答えたのは鬼丸だった。
「俺は妖力の制御が飛び抜けてうまいんだ。もういいだろう。今度こそ行くぞ、結衣」
「え、あ……辰輝くん、またね!」
鬼丸に強く背を押された結衣は、辛うじて辰輝に挨拶をすると、ぐいぐいと母家の廊下を鬼丸に押されて進んでいった。
小さくなる背を見つめながら、辰輝はクシャリと髪をかき上げた。
「妖力を制御……ねえ。そんな簡単な話とちゃうやろ。あいつの狙いはなんや?」
結衣と鬼丸の姿が見えなくなっても、辰輝はしばらく離れの方向を見つめていた。
「辰輝くん」
「おわっ! なんや、亜衣か。脅かすなや」
物思いに耽る辰輝の意識を引き戻したのは、亜衣の鋭い声だった。
「あの人と何を話していたの」
「あの人……? ああ、結衣のことかいな。えらい他人行儀な言い方やな」
「あなたには関係ないことよ。お願いだから滞在中、あの人に必要以上に絡むのはやめてちょうだい。一応、私たちは許嫁なわけだし、他の女の子と仲良くしていると印象が悪いんじゃない?」
「まあ、確かにせやけど……」
「じゃあ、そういうことだから。明日からよろしくね」
口籠る辰輝を一瞥もすることなく、亜衣は踵を返して自室に続く廊下へと去っていった。
「はぁ、なんやねん。亜衣のことやから、ヤキモチっちゅうわけないしなぁ。どうやら随分と拗らせとるようやな」
思っていた以上に面倒そうな臭いを感じた辰輝は、ため息を隠すことなく吐いてから割り当てられた部屋へと足を向けた。




