結衣と鬼丸③
「はい。確かにお預かりしました」
「よろしくお願いします」
極力人の少ない場所を選んで早足で勘定係を訪ねた結衣。依頼を受注した際の請負書と、実際にいただいた依頼料を照らし合わせ、過不足がないかを確認してもらう。勘定係の担当は、大きな丸眼鏡をクイッとあげると事務的に結衣から依頼料を受け取った。冷たい印象を受けるけれど、必要以上のことは喋らないため、それが結衣にはありがたかった。
必要な手続きを終え、ホッと一息つきながら離れを目指す。
母家は落ち着かない。早く鬼丸の待つ離れに戻りたい。そう考えて、自ずと気持ちが急いてしまった。だから、廊下の角から人影が飛び出して来たことに気づかなかった。
「きゃっ! ご、ごめんなさ……」
軽い衝撃の後、数歩よろめいた結衣はなんとか転ばずに踏ん張ることができた。
ホッとしたのも束の間、慌てて相手に謝罪しようと顔をあげた結衣の表情が強張った。
「……どうして母屋にいるの」
「あ、亜衣……」
視線の先には、氷のように冷たい目をしたたった一人の妹が佇んでいた。
亜衣は、結衣の一つ下の妹だ。幼い頃の結衣に及ばずとも、優れた巫力を誇り、三体のあやかしと使い魔契約をしている。
結衣に代わり、幼くして宝月家の次期当主としての重責を背負う妹。力を失うあの日まで、姉である結衣にたいそう懐いてよく背中を追いかけて来ていた可愛い妹。あの頃の無邪気な笑顔が嘘のように、今では感情を失った人形のように無表情である。
肩に触れるほどの長さで切り揃えられた艶やかな黒髪。厚みのある前髪は、耳元にかけて少しずつ長くなるように整えられている。切れ長の焦茶色の瞳が細められ、結衣の足元に視線が落とされた。「あっ」と声を発した時にはもう、結衣の足元に落ちていた一枚の紙は亜衣の手のひらの中だった。
「……落ち葉掃除に蔵掃除。相変わらず程度の低い依頼を受けたのね。宝月家に恥じない行動を取ってちょうだい」
亜衣が拾ったのは勘定係から受け取った依頼書の控えだった。そこには今日受けた依頼内容が記されている。
亜衣は呆れたように首を振ると、紙を結衣に押し付けるように手渡した。
「ご、ごめん。でも、依頼に大小なんてない。困っている人がいたら手を差し伸べる、それが私たち代行稼業の誇りだわ」
亜衣が受けている依頼は、お祓いや祈祷を始めとし、結衣には到底成し遂げることができない内容の仕事ばかり。そんな亜衣からすれば、結衣の仕事は下働きや見習いが請け負う程度の低い瑣末な依頼でしかないのだろう。
けれど、結衣は自らの仕事に誇りを持っていた。どれだけ馬鹿にされようと、依頼者の感謝の言葉と笑顔が結衣の背中を押してくれる。できる仕事は少なくても、困っている人がいるなら手助けする。それが結衣なりの矜持であった。
そんな結衣の言葉に、亜衣は目を見開いた。二の句を継がずにギッと結衣を睨みつける。
「あなたにはその程度がお似合いね。くれぐれも分不相応な依頼には手を出さないで。用事が終わったのならさっさと母屋から出ていって」
亜衣は吐き捨てるようにそう言うと、踵を返して自室がある方向へと去っていった。
「ふう……亜衣は相変わらずみたいね。あの子の言う通り、早く離れなくちゃ」
母屋には父や宝月の重鎮たちがいる。彼らに見つかると何を言われるか分からない。
結衣は依頼書の控えをギュッと握りしめて、離れに向かった。
◇
「結衣! どこに行っていた!」
暗い気持ちを背負いながらそっと自室の扉を開けると、中から風呂上がりでホコホコと湯気を立ち上がらせる鬼丸が飛び出して来た。ちょうど風呂から上がり、自室に戻ったところで結衣がいないことに気付いたようだ。
「ごめんね。依頼料の提出を忘れていたから……その、母屋に」
「なっ! どうして俺が戻るまで待たなかった! 何か嫌がらせを受けなかったか!?」
鬼丸は心配そうにグルグルと何周も結衣の周りを回って、結衣の状態を確認している。
「あはは。鬼丸ってば大袈裟だよ。ちょっと、亜衣に会っただけよ」
「何!? あの妹娘にか? 何を言われた?」
結衣の様子を見て、何かあったに違いないと鬼丸が凄む。鬼丸はあまり亜衣をよく思っていない。何かにつけて結衣と比較の対象にされるからだ。
結衣は誤魔化せないと判断し、ため息をつきながら亜衣と会話の内容を伝える。
「チッ、小娘が。次期当主だからと調子に乗っているのか?」
鬼丸は額に青筋を浮かべながら、怒りを露わにしている。一方の結衣の表情は寂しげだ。
「亜衣は――私のことを恨んでいるのよ」
「はあ?」
呟くように漏らした言葉に、鬼丸が表情を歪める。
結衣は、今まで誰にも言わなかった、いや、言えなかった心のうちを鬼丸に吐露した。
「仕方ないの。亜衣は私のせいで家を継ぐことになってしまったんだもの。あの子は、本当は天真爛漫で明るい元気な女の子だったのよ。後継者ではないから、伸び伸びと育てられていたのに……私が力を失ったから。厳しい修行にも耐えて、大変な依頼も全部亜衣がこなしてくれているわ。亜衣の自由を奪ったのは私なの。全部私のせいだから、疎ましく思われても仕方がないのよ。そう、嫌われても仕方がないの」
俯き、拳をギュッと握り締める結衣の脳裏に浮かぶのは、幼き日の無邪気な亜衣の姿だった。
『おねえちゃん! だいすき!』
いつからだろう。亜衣が「お姉ちゃん」と呼ばなくなったのは。
いつからだろう。亜衣から表情が亡くなってしまったのは。
全部、本来は結衣が歩むはずだった道を、亜衣に押し付けてしまった。だから、きっと亜衣は自分を恨んでいる。結衣はずっとそう思っていた。
「――嫌いに、ねえ」
結衣の話に憤慨するかと思っていたが、鬼丸は存外冷静だった。
腕を組んで視線を流している。鬼丸の視線の先を辿れば、母屋の方向だ。
「結衣は、どうして馬鹿にされようとも代行稼業の仕事を続けているんだ? 別に依頼を受ける必要なないんだろう?」
鬼丸は視線を結衣に戻し、静かな声音で尋ねた。
「うん。そうなんだけど……やっぱり、私も宝月の家に生まれたからには稼業に関わりたいと思うの。それに、うちに依頼してくる人はみんな悩みや困りごとを抱えているの。力を失った私でも、誰かの役に立てるんだもの。どれだけ笑われたって、私はこれからも私にできる仕事をするわ」
そう、結衣は代行稼業に誇りを持っている。僅かばかりの力しかなくとも、誰かの助けになれる。人々を笑顔にできる今の仕事が好きなのだ。
「たとえ力がなくたって、できることはたくさんあるもの。そりゃあ強い力があって、強力なあやかしを使役できれば、もっと色んなことができるとは思うけど」
結衣が小さく微笑むと、鬼丸は悲痛な顔をして俯いてしまった。
鬼丸はいつも、結衣が力を失った話題に触れると、決まって思い詰めた顔をする。
「結衣は……お前の力を封じた奴が憎くはないのか?」
絞り出すようなか細い声で、鬼丸が紡いだ言葉。
結衣はゆっくりと首を横に振る。
「ええ、恨んでいないわ。覚えていないけれど、きっと私にも原因があるのよ。大丈夫、私は私なりに楽しく生きているわ。力も全て失ったわけじゃないもの。鬼丸とも使い魔契約ができたんだもの。少しの力でできることを全力でする。それだけよ」
ふわりと春の花のように微笑む結衣に、鬼丸は息を呑んだ。
そして、吸い寄せられるように結衣に手を伸ばす。
「結衣……」
鬼丸の掠れた声が、結衣の耳を打つ。
「鬼丸?」
赤く力強い瞳は、結衣だけを映して所在なさげに揺れている。
「大丈夫だよ?」
結衣に向かって伸ばされた手を両手で包み込み、安心させるように伝えると、鬼丸はハッと我に帰って後ろに飛び退いた。
「わ、悪い。なんでもない。忘れろ」
僅かに赤く染まった顔を腕で隠しながら、鬼丸は「風に当たってくる! 湯が温かいうちに結衣も風呂に入れよ」と言い残して走り去ってしまった。
「どうしたんだろう……?」
鬼丸は一見子供に見えるけれど、たまに妙に大人びて見えることがある。あやかしだから実年齢は人間とは異なるのだろうが、きっと結衣は鬼丸のことをまだ全然知らないのだろう。
「これからもずっと、鬼丸と一緒に過ごせたらいいな」
結衣の声は誰にも届くことなく静かに宙に溶けて消えた。
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