結衣と鬼丸①
天高く、空には鱗雲が浮かぶ気候の良い秋のある日。
「ふう、終わった終わった。安田のおばあちゃーん! 落ち葉、集め終わったよ!」
陽光を浴びて爽やかに光る汗を手の甲で拭いながら、熊手のような箒を持った少女が大きく手を振った。手を振るたびに後頭部で纏めた黒髪が馬の尾のように揺れている。
手を振る先の縁側で、正座をして三毛猫を膝の上に乗せている初老の女性が微笑んだ。
「ああ、ありがとうねえ。結衣ちゃんにはいつも世話になるねえ」
「いいのいいの。仕事だもん。お困りごとは宝月家にお任せあれ、ってね」
ニカッと明るく笑い、大仰に胸を叩く少女の名は、宝月結衣。十八歳。
江戸時代から続く代行稼業の一族の長女として生を受けた。
そんな宝月家は、ただの代行業者というわけではなく――。
「鬼丸ちゃんもありがとうねえ」
「ふん、礼はいいから早く芋を出せ」
「こら! 鬼丸!」
気だるげに着物の袖に両手を入れながら悪態をつくのは、結衣の使い魔である鬼丸。
十歳ほどの子供の姿をしているが、黒曜石のような黒髪に吊り目がちな赤い瞳、そして艶のある二本の角を頭に生やしている。その姿はまごうことなき『鬼』そのものである。
そう、宝月家は、代々あやかしと使い魔契約をして、あやかしの力を借りつつ人々の困りごとを解決する家門なのだ。そして、鬼丸は結衣の唯一の使い魔である。
あやかしとは、人間が住まう現世と世界を隔てた裏側である隠世に住まうものの総称である。古くからの伝承や記録に残されている河童や天狗の類もあやかしに含まれる。
普通の人間にあやかしの姿は見えないのだが、ごく稀にあやかしを見ることができる人間がいる。その中でも、宝月家は巫力と呼ばれる特異な力を持って生まれる。その巫力が強いほど、高位のあやかしを呼び寄せて使い魔契約を結ぶことができるのだ。
一方で、力の強い高位のあやかしは、普通の人間にも視認することができる。先に例を挙げた河童や天狗、そして鬼がその筆頭である。宝月家は、そんなあやかしに関わる事件の解決にも寄与している。
「はいよ。今朝採れたばかりのさつまいもだよ。鬼丸ちゃん、火をつけてくれるかい?」
安田のおばあちゃん――安田民代が鬼丸に微笑みかけると、鬼丸は「仕方ねえな」と文句を言いつつも三人の前に積み上がった落ち葉の小山に手を向けた。
「鬼火」
鬼丸の手から青白い火の玉が飛び出し、落ち葉に着火した。
しばらく焚き火に手を翳して暖を取り、火が燻り始めたところで、アルミホイルを巻いたさつまいもを手際よく落ち葉の山に放り込む。しっかり焼き上がるのに一時間ほど必要なため、民代に火の番を任せ、結衣と鬼丸は納屋の片付けに着手する。
「ったく、あの婆さん、人使いが荒くないか?」
ぶちぶちと文句を垂れつつも、結衣の使い魔である鬼丸はせっせと手を動かしている。
「あはは、いいじゃない。安田のおばあちゃんは腰が悪いからさ。高いものを下ろしたり重いものを持ったりするのが難しいんだよ。ご家族も都心に出て簡単には頼れないみたいだから。そういった人のお困りごとに寄り添うのも代行稼業の大切な仕事なんだよ?」
結衣は手ぬぐいで口を覆うように顔に巻き付けると、納屋の荷物をどんどん外に運び出す。長い間人の手が加わっていないらしい納屋の荷物には、たっぷりと埃が積もっている。はたきで叩くと空気中に舞った埃が日の光を反射してキラキラと輝いて見える。
「はいはい、高尚なお仕事ですね。俺はもっと大物取りとかお祓いとか、ひりつく仕事がしたいがな」
鬼丸はため息をつきながら独り言を溢す。が、すぐに失言だったと気がついて慌てて口をつぐんだ。結衣の顔色を窺うが、ちょうど背を向けていて彼女の表情は探れない。
「……うん、そうだね。確かに仕事の派手さに違いはあるけど、私は依頼に大小はないと思っているよ。落とし物探しだって、庭や納屋の掃除だって、困っている人がいたら手を貸す。それが私の目指す姿だから」
鬼丸を振り返った結衣の表情は晴れやかだった。だが、それが一層鬼丸の心を締め付けた。
◇
納屋の掃除を終え、ほくほくに出来上がった焼き芋を堪能した結衣と鬼丸は、依頼料をしっかりと受け取ると、宝月の屋敷へと帰った。
江戸時代から続く名家とあって、その佇まいは荘厳だ。
正門には道場の木札のようにデカデカと『宝月』と綴られた表札が掲げられている。外壁は母家と幾つもある離れをぐるりと囲んでおり、一周するのに何十分もかかってしまう。
結衣と鬼丸は、勝手口から敷地内に入ると、真っ直ぐに母家――ではなく、一番遠くの離れへと向かった。
宝月家は、広い敷地を管理するために、たくさんの使用人を雇っている。あちこちに庭や家屋を手入れしたり、大量の洗濯物を干したりする使用人の姿が見える。けれど、宝月家の長女である結衣が戻ったというのに、誰一人として労いの言葉をかける素振りはない。
それどころか、結衣に向けられるのは人を見下したような目線であった。
「あら、結衣様が戻られたわ」
「誰か出迎えたら?」
「ええ? 嫌よ。忙しいもの。落ちこぼれのお嬢様に構う時間なんてないわ」
「今日はどんな依頼を受けたのかしら?」
「きっとまた雑用まがいの依頼をこなしてきたのよ」
「あら、知らないの? 落ち葉集めと納屋掃除よ」
「プフッ、子供でもできそうな依頼じゃない」
「そんなに落ち葉掃除が得意なら私たちの仕事を手伝って欲しいものね」
「妹であり、次期当主の亜衣様とは雲泥の差ね」
「ちょっと、聞こえるわよ」
クスクス、と嘲笑の声があちこちから聞こえてくる。
その空気を切るように、結衣は背筋を伸ばして颯爽と離れへの道のりを進む。
そんな姿をも嘲笑う使用人に、鬼丸が殺気の籠った視線を向ける。
「ひっ。それにしても、落ちこぼれがどうして最高位の鬼と契約できたんだかねえ」
「知らないわよ。でも、鬼とはいえ子供でしょう?」
「違うわよ。子供とはいえ鬼なのよ。ヤダヤダ。なんでずっとこっちにいるのかしらね」
「あら、あっちから呼び寄せるには力が足りないからじゃないの?」
「ああ、そういうこと」
ヒソヒソと、けれど明確な悪意を持った声は纏わりつくように耳に絡みつく。
「チッ」
鬼丸は嫌悪感を露わにもう一度使用人たちを睨みつけると、足早に結衣の後を追った。
使用人たちの言うことは正しくもあり、間違ってもいる。
宝月の人間は、必要に際して使い魔契約をしたあやかしを隠世から呼び寄せる。つまり、あやかしは日頃、隠世で彼らの生活を営んでいる。
けれど、鬼丸は常に現世にいる。
それは結衣にあやかしを呼び寄せる力が不足しているからではなく、鬼丸の意思によるものである。先ほどのように、結衣に向けられる悪意の眼差しから彼女を守るため、唯一の使い魔として彼女の側に仕えるためであった。
「ふう、もうすっかり慣れちゃったわね」
日当たりの悪い最奥の離れに結衣の部屋がある。その部屋に着いてドカッとベッドに腰を下ろした結衣は、うーん、と伸びをしながら肩を回した。努めて明るく振る舞っているが、その瞳には寂しさの色が滲んでいる。
「あんな奴らクビにすればいいだろう」
「ダメよ。彼女たちにも生活があるんだから」
高い位置でまとめていた髪紐を解き、パサリと艶のある黒髪が結衣の肩に流れる。
上着を脱ぐと、左手首に刻まれた鎖のような紋様が嫌でも目についた。
由緒正しき宝月家の長女に生まれたのに、一番奥まった離れに部屋を与えられ、使用人からも馬鹿にされる結衣。それも仕方がない。なぜなら、結衣は生まれ持った膨大な力を失い、今では僅かばかりの巫力を残すのみとなってしまったのだから。




