力を失った日
「どうしたの? しんどい? 大丈夫?」
上質な生地の袴を着た少女がしゃがみ込み、手を伸ばす先には、ぐったりと力なく横たわる男がいた。
漆黒の艶やかな長髪が男の顔にかかっていて、その表情は読み取れない。
男は胡乱な目で少女を見上げる。けれど、少女の表情は逆光で見えない。
西陽が差し、昼と夜が交わる時間。
人と、人ならざるものが交わる時間――。
「……お前、俺が見えるのか」
男の声は、耳の奥に響くような不思議な声音をしていた。
少女は目を瞬き、こてんと首を傾げる。
「え? うん。私はほおづき家の子だもの。あやかしさんと一緒にお仕事しているんだよ」
「ぐ、そうか……宝月の」
「うん、そう。だから怖がらないで? 私はあやかしさんがすきだから」
「――は?」
「あ、おにーさん。その手首についてる輪っか。そこから強い力があふれてる。そっか、だからしんどいんだね。待っててね、取ってあげる」
少女の言葉に男が呆けている間にも、少女は無邪気に男の腕輪に手を翳す。ぽうっと暖かくて白い光が男の腕輪を包んだ。
「ばっ、それに触るな……!」
「え? ――きゃあっ!?」
慌てた男が腕を振り払った時にはもう遅かった。
とん、と少女が尻餅をついたと同時に、パリンと腕輪が真っ二つに割れた。
途端にぶわりと真っ黒な煙幕のようなものが、一面を覆い尽くして少女を飲み込んだ。
少女の悲鳴すらも喰らい尽くすような闇。
それは激しく渦を巻いて、そして霧散した。
「くそ……っ」
真っ黒な闇から解放された少女は、虚ろな目をしながらふらりと前に倒れた。
男は力が入らずに少女を受け止めることすらできない。
歯を食いしばり、震える手を伸ばす男の目の前で、少女の身体はぐしゃりと地に伏してしまった。
人間たちの住む現世に干渉しないようにと、男の膨大な妖力を封じた腕輪。
それは強力な呪印が施されており、無理に外そうとすれば呪詛返しに合う危険な代物だった。
男が現世を訪れたのは、ほんの道楽であった。
退屈な日々の暇つぶし、そんな軽い気持ちで境界を超えた。
強い力を持ちながら、身勝手な男が、隠世から現世に訪れる条件として付けられた腕輪が、現世の幼気な少女を傷つけてしまった。
だが、まさか――隠世でも有数の呪術師が作った腕輪が壊されるなんて。
この少女はよほどの力を宿しているのだろう。
だが、その力が、今はごく僅かしか感じられない。
うまく妖力の均衡を保てず、酩酊したように頭が回っていた男に差し出された優しくも小さな手。
その手首には今、鎖のような紋様が刻まれ、青白い光を放っている。
呪詛返しによる封印の紋。
少女の秘められた力は、今この時、固く封じられてしまった。
きっと、輝かしいものとして約束されていた少女の未来を、自らの気まぐれが歪めてしまった。
男は力を振り絞り、震える手を少女に伸ばす。その手は透けており、反対側の景色が透過して見えている。
腕輪が破損したことにより、男の身体は強制的に隠世に引き戻されようとしていた。
「ぐ……必ず、必ずお前を守る。【契約の儀】、その時まで待っていろ」
少女の手首で淡く光る紋様にそっと口付けたと同時に、男の姿は現世から跡形もなく消え去った。
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