第5章 王都市場を巡る噂と最初の妨害
王都市場の空気が、静かに変わり始めたのは、エリナ自身がそれを自覚するよりも先だった。
「最近、あの台車の店、やけに人が集まってないか?」 「説明が丁寧でさ。実演までしてくれるんだ」 「値段も安すぎないのがいい。変な誇張もしないし」
そんな囁きが、朝の市場のあちこちで交わされるようになっていた。
エリナ・フェルナンドは、その変化を“風向き”として感じ取っていた。
前世で営業職として働いていた経験が、無意識のうちに警鐘を鳴らす。
(――これは、良い兆候であり、同時に危険な兆候でもある)
注目を集めるということは、客だけでなく、敵の目にも留まるということだ。
彼女は台車の前に立ち、魔法薬の小瓶を丁寧に磨きながら、市場全体を観察していた。
露店商、常設店、ギルド認可商会――それぞれがそれぞれの思惑で動いている。
そして、その視線の先に、あからさまに“こちらを見ている”一団があった。
「……来たわね」
レヴィ商会。
第7章で軽くあしらっただけの相手だったが、どうやら向こうはそれを「屈辱」と受け取ったらしい。
彼らは直接妨害することはせず、まず噂から仕掛けてきた。
「最近流行ってるあの台車?
ああ、聞いた聞いた。素材が怪しいって話だろ?」 「平民が作ってる魔法薬なんて、信用できるのか?」
市場という場所は、事実よりも“印象”が先に広まる。
しかも、悪い噂ほど早い。
エリナは、あえて反論しなかった。
(噂に噂で対抗するのは三流……)
代わりに彼女がやったのは、いつも通りの商売だった。
・効能を誇張しない
・分からないことは分からないと言う
・実演は必ず行う
・購入を強制しない
それだけだ。
だが、その「当たり前」が、王都市場では異端だった。
「この薬、本当に傷の治りが早いわ……」 「副作用が少ないって、ちゃんと説明してくれた」
客の声が、噂を上書きしていく。
噂は、もう一つの噂でしか打ち消せない。
それも、体験を伴う噂でなければ意味がない。
数日後。
市場の端にある酒場で、レヴィ商会の幹部たちが顔を揃えていた。
「……噂が効いていない」 「むしろ、信頼が増している」
苛立ち混じりの声が飛び交う。
「なら次だ。
市場の“仕入れ”を止めろ」
その一言で、場の空気が決まった。
エリナはまだ知らない。
だが、彼女の商会を巡る戦いは、噂の段階を終え、実害のある段階へと進み始めていた。
異変に気づいたのは、仕入れに出た翌日の朝だった。
「……え?」
いつも素材を卸してくれている中間商人が、気まずそうに目を逸らす。
「悪いな、エリナ。
今月分は、もう全部押さえられちまった」 「押さえられた……誰に?」
答えは、聞くまでもなかった。
レヴィ商会。
しかも、合法だ。先に金を積み、長期契約を結んだだけ。
(来たわね……“王道の嫌がらせ”)
怒りよりも、冷静さが先に立つ。
前世で、同じことを何度も経験した。
大手が資本で殴り、中小を締め出す。
珍しくもない手口だ。
「……分かりました。今回は諦めます」
そう言って引き下がるエリナを見て、商人は内心ほっとした顔をした。
だが。
(諦めるわけ、ないでしょう?)
エリナはその足で、別の地区へ向かった。
そこは、品質が安定しない代わりに、誰も手を出さない“外れ”と呼ばれる素材市場。
粗悪、使いにくい、扱いが難しい――
そんな評価が定着している素材だ。
だがエリナは知っていた。
(加工工程を少し変えれば……いける)
前世の化学知識と、異世界魔法理論を組み合わせ、
彼女は試作を繰り返した。
失敗。
失敗。
そして成功。
「……品質、上がってる」
効能は従来品と同等、
副作用はむしろ軽減。
結果として完成した魔法薬は、レヴィ商会が押さえた素材を使った製品よりも安定していた。
数日後、市場。
エリナの台車の前に、再び人が集まり始める。
「素材が手に入らなくなったって聞いたけど?」 「ええ。でも、代替品を見つけました」
実演。
光。
反応。
効果。
客たちの表情が変わる。
「……前より良くなってない?」 「値段、上がってないのに?」
噂は、今度は逆方向へ走った。
「レヴィ商会、素材独占したらしいぞ」 「でも、あの台車の方が品質いいってさ」
その日の夕方。
レヴィ商会の幹部が報告を受け、絶句する。
「……妨害したはずなのに」 「品質で負けている……?」
エリナは台車を片付けながら、小さく息を吐いた。
(これで分かったでしょ)
――正面から潰しに来るなら、
その“正攻法”ごと踏み潰すだけ。
最初の妨害は、こうして失敗に終わった。
そして、敵は理解する。
この女は、
潰そうとするほど強くなる相手だと。




