28章 血
翌朝。
王都管理評議会からの呼び出しは、あまりにも迅速だった。
事件の報告が正式に上がる前。
噂が街に広がるよりも前。
まるで、最初から予定されていたかのようなタイミング。
「招待、という形だな」
カイルが封筒を確認する。
封蝋は評議会の正式印。
文面は丁寧で、非難も命令もない。
——状況確認のため、意見を伺いたい。
その言葉の裏にある意味を、エリナたちは正確に理解していた。
「行く」
エリナは即答した。
「向こうの土俵を、見ないといけない」
評議会庁舎は、王都の中心にある。
白い石材。
広い回廊。
天井の高い応接室。
清潔で、整然としていて、血の匂いはしない。
案内された部屋で待っていたのは、ギルバートだった。
あの調整役。
今日も穏やかな笑みを浮かべている。
「お怪我人が出たと聞きました」
最初の言葉が、それだった。
エリナは座らずに答える。
「運搬人が一人」
「それは痛ましい」
ギルバートは胸に手を当てる。
「王都としても、非常に遺憾です」
遺憾。
便利な言葉だ。
「調査は?」
「もちろん」
ギルバートは頷く。
「ただし……現時点では、違法行為は確認されておりません」
想定通りだった。
襲撃者は裏社会。
表の書類には、一切名前が出てこない。
「ですが」
ギルバートは続ける。
「再発防止のため、提案があります」
彼は書類を一枚、机の上に滑らせた。
特別治安協力認可証。
王都の管理区域内で、限定的に自警行為を認める証書。
「倉庫街の安全は重要です。
そこで、あなた方に“協力者”としての権限を」
一見すれば、恩赦。
いや、昇格。
「条件は?」
エリナは即座に問う。
「行使内容の記録提出。
評議会への定期報告。
そして——」
ギルバートは、わずかに声を落とした。
「指定商会との連携維持」
すべて、繋がっている。
だが、この書類は。
「……合法だ」
カイルが小さく言った。
これを持てば、夜の倉庫街で動いても、違法にはならない。
評議会は、こう言っている。
——守る権利をやる。
——だが、管理下でな。
エリナは一瞬だけ考え、ペンを取った。
サインする。
ギルバートは満足そうに頷いた。
「賢明な判断です」
その目は、まだ余裕を失っていない。
庁舎を出た後、誰もすぐには口を開かなかった。
しばらく歩いてから、アーロンが言う。
「武器を渡された気分だ」
「刃は付いてる」
トーマが続ける。
「でも、持ち方を間違えると、
切られるのはこっちだ」
エリナは認可証を見つめた。
「だから使いどころを選ぶ」
合法という名の刃。
それは、感情では振れない。
その夜。
倉庫街の巡回が始まった。
今度は“公認”だ。
灯りの少ない通路。
荷の影。
遠くの足音。
そして。
屋根の上から、気配。
アーロンが合図を出す。
トーマが前に出る。
マリスが退路を塞ぐ。
「止まれ」
エリナの声は、はっきりと夜に響いた。
影から現れたのは、若い男だった。
武器は隠しているが、慣れていない。
裏社会の下っ端。
「……許可証を見せて」
エリナが言う。
男の目が、それを捉えた瞬間、表情が変わった。
逃げようとしたが、遅い。
拘束は最小限。
暴力は使わない。
「記録」
カイルが淡々と書き留める。
時間。
場所。
所属。
すべて、合法。
翌朝。
評議会に正式な報告が上がった。
裏社会の人間が、初めて“書類に載った”。
その頃。
ルーヴェル商会の奥。
「……認可が出た?」
ガルドが眉をひそめる。
「評議会は何を考えてる」
部下が答える。
「様子見でしょう」
ガルドは舌打ちした。
「面倒なことになったな」
合法の刃は、
裏社会にとって、最も厄介な武器だ。
しかも、それを握っているのは、
感情で振り回さない相手。
「……次は、こっちが見せる番か」
ガルドの目が、冷えた。
倉庫街の夜は、静かだった。
静かすぎる、と言った方が正しい。
人の往来は減り、酒場の灯りも早く落ちる。
巡回の回数が増えたことで、裏の人間たちが“息を潜めている”のが分かる。
表面上は、治安は改善していた。
だが——
「おかしいな」
アーロンが低く呟いた。
巡回三日目。
違法行為の摘発は、たった一件。
それも、末端の若造だった。
「逃げてる、というより……」
トーマが周囲を見回す。
「誘ってる、感じだ」
エリナは頷いた。
静けさは、準備の時間だ。
その夜半。
倉庫街の外れ、旧水路沿い。
警戒線の外側で、火の光が上がった。
「——煙!」
見張り役の声。
走る。
現場に着いた時、倉庫の一つが燃えていた。
炎は大きくない。
だが、積まれているのは食糧だ。
水をかけ、延焼は防いだ。
被害は限定的。
だが。
「……これは」
カイルが歯噛みする。
焼け跡には、何も残っていない。
犯人の痕跡も、逃走経路も。
ただ一つ。
「許可証の範囲外だ」
火を放たれた場所は、
巡回認可区域の、ぎりぎり外側。
計算されている。
「違法行為はしている」
トーマが言う。
「でも、俺たちが直接動いたら——」
「越権になる」
エリナが引き取った。
合法の刃が、届かない距離。
翌朝。
評議会への報告は、受理された。
しかし。
「捜査権限の拡張は、現時点では難しい」
ギルバートは、相変わらず穏やかだった。
「被害が限定的ですし、
犯人の特定も困難です」
「被害は、これから増える」
エリナは言う。
「可能性の話ですね」
その一言で、線は引かれた。
評議会は、動かない。
いや、正確には——
動かないことを選んでいる。
帰路。
「黙認だな」
アーロンが吐き捨てる。
「評議会は、裏社会が“どこまでやるか”を見てる」
「そして、こちらがどこまで耐えるかも」
カイルが続ける。
エリナは、歩きながら考えていた。
合法は万能ではない。
だが、無力でもない。
「向こうは、恐れてる」
ぽつりと呟く。
「だから、範囲外でやる」
つまり——
こちらが踏み込めない場所を、守りきれないと思っている。
「なら」
トーマが笑う。
「踏み込ませればいい」
夜。
エリナは、倉庫街の古い地図を広げていた。
巡回区域。
未指定区域。
そして、評議会管理地。
「境界が多すぎる」
「だから、穴ができる」
カイルが指でなぞる。
「ここ」
旧水路と市場裏を結ぶ、細い路地。
「人が通るが、管理は曖昧」
「燃やされた倉庫とも近い」
エリナは、静かに息を吐いた。
「……囮を置く」
一瞬、沈黙。
「合法の中で?」
アーロンが確認する。
「合法の“顔”で」
エリナは答えた。
「裏を、引きずり出す」
数日後。
噂が流れた。
倉庫街の外れに、
高価な魔導部品を一時保管するという話。
管理者は、エリナたち。
警備は、評議会認可付き。
あまりにも分かりやすい。
だからこそ。
夜半。
路地の影が、動いた。
三人。
動きは慣れている。
だが。
「止まれ」
エリナの声。
同時に、屋根の上からアーロン。
背後からトーマ。
逃げ場はない。
だが、男たちは笑った。
「悪いな」
一人が言う。
「ここは、管理区域外だ」
そして。
路地の奥から、別の影。
数が違う。
囲まれたのは——
エリナたちの方だった。
その瞬間。
エリナは、迷わず言った。
「記録開始」
カイルが符を起動する。
魔導記録具。
音、光、位置。
すべてが記録される。
「評議会宛だ」
エリナの声は、冷えていた。
「“黙認された暴力”の、証拠として」
男たちの顔色が変わった。
想定外。
合法を、武器として使われるとは思っていなかった。
「撤退!」
叫び。
だが、遅い。
衝突は短時間。
過剰な力は使わない。
だが、逃げた者も含め、記録は残った。
翌日。
評議会庁舎は、騒然としていた。
否定できない証拠。
管理区域外での、組織的暴力。
ギルバートは、初めて眉をひそめた。
「……想定より、早かったですね」
それは、誰に向けた言葉だったのか。
一方。
ルーヴェル商会。
ガルドは、報告を聞き、無言になった。
「評議会が、動くか?」
「……分かりません」
部下が答える。
ガルドは、ゆっくりと立ち上がった。
「なら、次は——」
合法でも、黙認でもない。
「力で分からせる」




