第19章 その名は、記録から消されたそして勝利の席で、次の影が笑った
王都議会・最終審決の日。
議場は、
静まり返っていた。
ざわめきも、囁きもない。
あるのは――
結果を待つ沈黙だけ。
「これより」 「ヴァルド伯爵に関する件」 「最終審決を行う」
委員長の声が、
硬く響く。
伯爵は、
席に座っていた。
かつての余裕は、ない。
誇り高き姿勢も、ない。
ただ――
現実を理解している者の顔。
「審理の結果」
「不当な監査運用への関与」 「輸送妨害の指示」 「地位を利用した圧力」
「以上が」 「複数の証言および記録により」 「確認された」
紙をめくる音が、
異様に大きく聞こえる。
「よって」
一拍。
議場中の呼吸が、止まる。
「ヴァルド伯爵の」 「貴族称号を剥奪する」
――音が、消えた。
次の瞬間。
どよめきが、
遅れて爆発する。
「剥奪……!?」
「伯爵が……?」
「また」 「関連資産は調査対象とし」 「違法と認定された分については」 「没収、もしくは凍結」
「今後」 「公職への復帰は認めない」
淡々とした宣告。
だが、それは――
完全な終わりだった。
伯爵は、
目を閉じた。
「……そうか」
それだけ。
言い訳も、怒りもない。
敗者としての受容。
傍聴席。
「終わったな……」
「これが」 「表に出た結果か」
貴族たちの声は、
異様に低い。
自分たちにも、
起こり得る未来だから。
「以上をもって」 「本件を終了する」
槌が、打ち下ろされた。
その音は。
一つの時代の終わりを告げていた。
議場の外。
記者たちが、
一斉に走り出す。
「伯爵称号剥奪」
「地方商会問題、決着」
見出しは、
王都中を駆け巡った。
夕方。
エリナ商会。
「……本当に」 「終わったんですね」 トーマが、深く息を吐く。
「ええ」 エリナは、静かに答えた。
「“彼”は」
「でも」 「問題は、終わってない」
「制度は」 「人が変われば、また歪む」
「だから」 「残す必要がある」
「記録と」 「仕組みを」
その夜。
地方商会会議は、
正式に再編された。
「地方商会評議会」
――権力ではない。
だが、無視できない存在。
「代表は?」 誰かが問う。
視線が、
自然と集まる。
エリナ。
「……私は」 彼女は、首を振った。
「代表には、ならない」
「仕組みは」 「個人に依存すべきじゃない」
静かな拍手。
それは、
敬意だった。
夜更け。
エリナは、
一人、灯りを消す。
「……前世なら」 「ここで、満足してた」
「でも今は」
窓の外。
王都の灯りは、
まだ消えない。
巨人は、倒れた。
だが。
世界は、
これから変わる。
静かに。確実に。
祝賀の席は、王都南区の大広間で開かれた。
派手ではない。
だが、確かな重みがあった。
集まっているのは、
地方商会の代表たち。
かつて、声を上げることすら怖れていた人間たちだ。
「……信じられんな」 「貴族が、本当に裁かれるとは」
「しかも」 「地方商会が、主導して、だ」
酒杯が、静かに重なる。
それは、
浮かれた宴ではなかった。
“生き残った者たちの確認”
そんな空気。
「エリナさん」
声をかけられ、
彼女は振り返る。
「今回の件」 「我々の取引先から」 「正式な長期契約の話が来ています」
「王都常設枠で、です」
トーマが、
驚きを隠せずに言った。
「常設……?」
それはつまり。
一時的な成功ではない。
王都に“居場所”を得たということ。
「受けます」 エリナは、即答した。
「ただし」 「単独では、受けません」
「地方商会合同で」 「枠を、回してください」
周囲が、ざわめく。
「……いいのか?」 「主導権を、手放すことになる」
「ええ」 彼女は、微笑んだ。
「でも」 「独占は、次の歪みを生む」
「私は」 「それを、もう見た」
沈黙のあと。
拍手が起きた。
控えめで、
だが確かな拍手。
それは、
信頼の音だった。
一方、その頃。
王都北区。
議会とは、別の館。
重い扉の向こうで、
数人の男たちが座っていた。
「……ヴァルドは」 「切り捨てられたか」
「仕方あるまい」 「だが、放置すれば――」
「次は」 「我々の番になる」
低く、抑えた声。
その中の一人が、
静かに笑った。
「いや」 「むしろ、好機だ」
「地方商会が」 「力を持ち始めた」
「なら」 「“利用”すればいい」
「……どういう意味だ」 別の男が、眉をひそめる。
「簡単だ」
「彼女は」 「正面から来る」
「なら」 「こちらは、“正面ではない場所”から行く」
机の上に、
一枚の地図が広げられる。
王都周辺。
港。
街道。
関所。
「物流の要所だ」
「制度を使わず」 「議会も使わず」
「“事故”でも」 「“監査”でもない」
「商人同士の」 「競争として、潰す」
「……エリナ商会を?」
「違う」
男は、
指で円を描いた。
「地方商会そのものを」
館の外。
夜風が、
冷たく吹き抜ける。
同じ夜。
祝賀会の終わり。
エリナは、
一人、テラスに出ていた。
「……お疲れですか」 トーマが、隣に立つ。
「少し、考え事を」
「勝ったのに、ですか?」
「勝ったから、よ」
彼女は、
夜空を見上げる。
「今日」 「皆、前を向いてた」
「それは、いいこと」
「でも」 「前を向いた瞬間」
「人は」 「背後を、無防備にする」
その言葉に、
トーマは黙った。
遠く。
港の方角で、
小さな灯りが揺れた。
まるで。
次の火種が、息を吸ったかのように。
勝利は、確かに甘い。
だが。
甘さの直後には、
必ず――
新しい試練が、牙を研ぐ。




