第16章 差し出された蜜、隠された毒、そして壊されたのは荷ではない
招待状は、白く、重かった。
上質な紙。
金の縁取り。
刻まれた家紋。
「……王都貴族、ヴァルド伯爵家」 トーマが、喉を鳴らす。
「来ましたね」 エリナは、静かに言った。
「“正式な妨害”の前に」 「必ず、これが来る」
場所は、王都中央区。
一般商人が、
足を踏み入れることすら躊躇う区域。
馬車を降りた瞬間、
視線が突き刺さる。
「地方商会の代表が……?」
「例の、議会で噛みついた女か」
囁き声。
好奇と警戒。
そして――
明確な“選別”。
応接室。
豪奢だが、無駄がない。
「お初にお目にかかる」 「エリナ商会代表、エリナ殿」
ヴァルド伯爵は、
穏やかな笑みを浮かべていた。
「突然の招待、感謝します」 エリナは、一礼する。
「いやなに」 「最近、王都が騒がしいのでな」
視線が、
柔らかく――
だが、逃がさない。
「君の行動は」 「実に、勇敢だ」
「地方商会の声を集め」 「議会を動かした」
「若さに似合わぬ手腕だよ」
「……光栄です」
「そこでだ」
伯爵は、
指を軽く鳴らした。
書類が、
差し出される。
「王都準公認商会」 「推薦枠」
トーマが、
息を止める。
「物流の優遇」 「検査の簡略化」 「一部関税の免除」
どれも、
喉から手が出る条件。
「条件は?」 エリナは、即座に問う。
伯爵は、
笑みを深めた。
「簡単だ」
「地方商会会議」 「そこから、一歩引いてほしい」
空気が、
一段冷えた。
「代表の君が抜ければ」 「会議は、瓦解する」
「君は」 「王都で、安泰に商いができる」
「皆、幸せだろう?」
沈黙。
トーマは、
唇を噛みしめている。
これは――
最高級の飴。
「……伯爵」 エリナは、静かに口を開いた。
「一つ、確認しても?」
「何かな」
「この条件」 「私が“従った場合”のみ」
「反した場合は?」
伯爵の目が、
一瞬だけ、細くなる。
「……聡いな」
「その場合」 「王都は、厳しくなる」
穏やかな声。
だが、
脅しそのものだった。
エリナは、
笑った。
「ありがとうございます」
伯爵が、
満足げに頷く。
「理解が早くて助か――」
「――ですが」 エリナは、言葉を切る。
「お断りします」
室内の空気が、
凍りついた。
「……理由を、聞こう」
「簡単です」
「私は」 「一人で勝つ気はありません」
「束になった弱者が」 「強者と対等に話せる世界を」 「作りたいだけです」
「理想論だ」 伯爵は、低く言う。
「現実は、違う」
「ええ」 エリナは、頷いた。
「だから」 「現実を、変えるんです」
帰りの馬車。
「……心臓に悪いですよ」 トーマが、ようやく息を吐く。
「ええ」 「でも」
エリナは、
窓の外を見つめた。
「今ので」 「向こうは、確信した」
「何を?」
「私が」 「折れないってことを」
その夜。
ヴァルド伯爵邸。
「……拒否されました」 側近が報告する。
「そうか」
伯爵は、
静かに笑った。
「なら」 「鞭の番だ」
翌朝。
王都に、
噂が流れ始めた。
「エリナ商会は、危険だ」 「秩序を乱す」 「王都に仇なす存在だ」
意図的な、
風評。
だが。
今回は、
違った。
「またか」 「同じ手口だな」
「事実は、もう見えてる」
商人たちは、
簡単には踊らなかった。
飴は、効かなかった。
鞭は、
もう、十分に見えている。
次に来るのは――
露骨な破壊。
事故は、早朝に起きた。
王都北門、
エリナ商会の定期便。
荷馬車が、
橋の中央で横転した。
「……積荷が」 報告を聞いたトーマの声が、震える。
「どういう状況?」
「車軸の破断です」 「ただ――」
言い淀む。
「加工跡が、ありました」
現場。
砕けた木片。
散乱する布。
濡れた地面。
「……自然劣化じゃない」 エリナは、しゃがみ込み、断面を見る。
「削ってある」 「内側から」
「つまり……」
「事前に壊された」
被害は、大きかった。
・高品質織物、全滅
・納期遅延
・契約先からの違約請求
だが――
死者はいない。
それだけが、
“救い”だった。
「でも……」 トーマが、拳を握る。
「もし、橋の下に人がいたら……」
「ええ」 エリナは、静かに答える。
「もう」 「商いの話じゃない」
同日。
別の報告が、入る。
「東門でも」 「地方商会の荷が、止められてます」
「理由は?」
「……“安全確認”」
エリナは、
目を伏せた。
「連動してる」
王都商会連盟。
「事故は、偶然だ」 「我々は関与していない」
公式声明は、
乾ききっていた。
だが。
噂は、別方向に広がる。
「聞いたか?」 「削られてたって」
「偶然なわけ、ないだろ」
「……やりすぎだ」
不信が、
静かに、しかし確実に積もる。
地方商会会議・臨時集会。
空気は、
張り詰めていた。
「次は、うちかもしれない」 「もう、黙ってられない」
「だが」 「相手は貴族だぞ?」
視線が、
一点に集まる。
エリナ。
「皆さん」
彼女は、
ゆっくり立ち上がった。
「今日」 「ここで決めてください」
「“耐える”か」 「“記録する”か」
「……記録?」 誰かが、呟く。
「ええ」
「事故」 「検査」 「遅延」 「噂」
「全部です」
「私たちは」 「感情で戦わない」
「証拠で、潰す」
沈黙。
そして。
「……乗る」 北部代表オルドが言った。
「これ以上」 「黙ってたら、次はない」
「うちもだ」 「うちも」
次々、声が上がる。
その夜。
エリナは、
一人で書類を整理していた。
事故報告。
検査記録。
日時と担当者。
「……揃ってきた」
その目に、
迷いはない。
同時刻。
ヴァルド伯爵邸。
「少し、やりすぎたか?」 側近が、恐る恐る言う。
「いいや」 伯爵は、ワインを傾ける。
「これで」 「折れるか」 「潰れるか」
「どちらかだ」
だが。
彼は、
気づいていなかった。
壊れたのは――
荷ではない。
壊されたことで。
地方商会は、
完全に、繋がった。
そして今。
怒りは、
静かに、しかし確実に
刃に研がれている。




