第10章 正義の名をした刃、逆転は、思わぬ場所から
商業ギルドの正式な調査は、
あまりにも堂々と、白昼堂々と始まった。
王都市場の中央。
普段なら露店が並ぶ広場に、簡易の机と椅子が設けられ、
そこに三人の巡察官が腰を下ろしていた。
「商業ギルドによる、臨時調査を開始する」
その宣言が放たれた瞬間、
市場全体が、目に見えて静まり返った。
(来た……本命)
エリナは、人々の視線が自分に集まるのを感じながら、
一歩前に出た。
「エリナ商会代表、エリナです」 「調査に協力いたします」
その声は落ち着いていた。
だが、内心では理解している。
これはただの調査じゃない。公開処刑だ。
「まず確認する」 中央に座る巡察官が、淡々と口を開いた。
「貴方の商会は、短期間で急成長している」 「はい」
「価格設定、品質、仕入れ経路」 「いずれも、通常の市場原理から外れている」
周囲の商人たちが、ざわめく。
「外れている……?」 「それって……」
言葉は慎重だが、
含みは十分すぎるほどあった。
「違法だと?」 エリナは、あえて確認した。
「まだ断定はしていない」 「だから調査をしている」
巡察官は、視線を細める。
「だが――」 「“疑わしい”ことは確かだ」
(来ると思ったわ、この流れ)
エリナは、事前に準備していた書類束を差し出した。
「こちらが、仕入れ記録です」 「契約書、数量、単価、全て記載しています」
巡察官が受け取り、ページをめくる。
……沈黙。
想定より、長い沈黙。
(効いてる)
だが、相手も百戦錬磨だ。
「ふむ……」 「記録自体は、整っている」
その一言で、
周囲が少しだけ安堵した空気を見せる。
――次の瞬間。
「だが、説明が不足している」
空気が、一気に冷えた。
「説明?」 「はい」
巡察官は、エリナを真正面から見据えた。
「なぜ、同品質帯の商品より耐久性が高い?」 「なぜ、妨害を受けても供給が安定している?」
「それは、工夫をしているからです」 「具体的には?」
これは、罠だ。
技術を説明すれば、
模倣される可能性がある。
だが、説明しなければ――
(“隠している”とされる)
エリナは、一瞬だけ目を伏せた。
そして、顔を上げる。
「企業秘密です」 「……ほう」
巡察官の口元が、わずかに歪んだ。
「ギルドは、透明性を重視する」 「説明できない技術は、疑念を生む」
「違法ではありません」 「だが、不健全だ」
その言葉に、
市場の一部がざわつく。
「不健全……?」 「それって……」
“黒に近い灰色”
その印象を植え付けるには、十分だった。
だが――
「一つ、質問しても?」 エリナが、静かに口を挟んだ。
「許可しよう」
「“企業秘密”は、商業ギルドの規則で禁止されていますか?」
巡察官の眉が、わずかに動いた。
「……いいえ」 「では、記録不備ですか?」
「それも、現時点では――」
「つまり」 エリナは、言葉を区切る。
「私の商会は」 「“ルール上、何一つ違反していない”」
その瞬間。
空気が、張り詰めた。
巡察官は、すぐには答えなかった。
だが、それ自体が答えだった。
「……現段階では、そうだ」
周囲の商人たちから、
小さなざわめきが広がる。
(やるな) (ちゃんと準備してる……)
その様子を、
遠くからレヴィ商会の人間が睨みつけていた。
「チッ……」
「だが」 巡察官が、声を強める。
「だからといって、安心はできない」 「調査は継続する」
――逃がさない。
その宣言だった。
「今後、実演販売の内容」 「価格の変動」 「仕入れ経路」
「すべて、定期的に報告してもらう」
事実上の監視。
エリナは、ゆっくりと息を吐いた。
「承知しました」 「協力します」
その落ち着いた態度に、
逆に巡察官が探るような目を向ける。
「……覚悟はあるようだな」 「商人ですから」
調査は、一旦終了した。
だが、誰も「終わった」とは思っていない。
市場の空気は、重い。
「大丈夫なのか……?」 「ギルドに目をつけられるって……」
エリナ商会の前には、
客足が一瞬、鈍った。
(これが狙い)
エリナは、はっきり理解していた。
負けさせる必要はない。
疑わせれば、それでいい。
夕方。
トーマが、悔しそうに拳を握る。
「理不尽です……」 「そうね」
「ちゃんとやってるのに」 「……だからよ」
エリナは、静かに笑った。
「だから、次は――」 「“結果”で殴る」
彼女の視線は、
市場の向こう――王都のさらに上を見ていた。
(ギルドだけじゃない) (その“上”が動いてる)
この戦いは、
もう商会同士の争いじゃない。
王都全体を巻き込む、次の段階に入った。
そして、レヴィ商会は知らない。
この“公開調査”が、
自分たちの首を締める準備運動だったということを。
商業ギルドの調査から三日。
エリナ商会の店先は、以前よりも静かだった。
客がいなくなったわけではない。
だが、足を止める人間の“間”が変わった。
(迷ってる)
商品を手に取る。
説明を聞く。
だが最後に、視線が泳ぐ。
「……ギルドに目をつけられてるって、聞いて」 「少し様子見、かな」
それは責められる反応ではない。
王都では、“正しさ”より“安全”が選ばれる。
トーマは歯噛みしていた。
「……露骨ですね」 「ええ」
エリナは冷静だった。
「でも、想定内」 「想定内、ですか?」
「疑われた時点で、こうなるのは分かってた」
むしろ――
ここからが本番だ。
その時だった。
市場の入り口付近が、ざわついた。
「……何?」 「貴族……?」
人だかりの向こうから現れたのは、
控えめだが明らかに上質な服装の一団。
中央に立つのは、三十代ほどの女性。
装飾は少ないが、所作が違う。
(貴族……それも、上級ではないけど)
エリナは、瞬時に判断した。
その女性が、ゆっくりと市場を見回し――
迷いなく、エリナ商会に向かって歩いてきた。
ざわめきが広がる。
「……こっちだぞ」 「なんで、あの店に?」
女性は、店の前で立ち止まった。
「ここが、エリナ商会ですか?」
「はい。そうですが」
エリナが答えると、
女性は小さく微笑んだ。
「噂通りですね」 「噂……?」
「“説明を惜しまない商人がいる”と」
その一言で、
トーマが息を呑んだ。
(この人……情報を選んで聞いてる)
「私は、リュミエール子爵家の者です」 「日用品の質を、少し見せてもらえますか?」
――子爵。
市場が、一瞬凍りついた。
貴族が、
自分から商人を指名する。
それが何を意味するか、
分からない者はいない。
「もちろんです」
エリナは、一切慌てず対応した。
防臭加工の布。
耐久性の高い保存袋。
改良された石鹸。
一つ一つ、
実演を交えて説明する。
「こちらは、洗濯回数を減らせます」 「こちらは、湿気の多い倉でも品質が落ちません」
子爵夫人は、黙って頷いていた。
「……なるほど」
しばらくして、
彼女は静かに言った。
「“数字”ではなく、“生活”を見ている商売ですね」
その言葉に、
エリナの胸がわずかに熱くなった。
「ありがとうございます」
「気に入りました」 「我が家で、定期的に使いたい」
周囲が、どよめく。
――定期取引。
それは、
どんな噂よりも強い信用だ。
「ただし」
子爵夫人は、視線を巡らせた。
「最近、ギルドの調査が入っていると聞きました」 「……はい」
「だからこそ、確認しました」
彼女は、はっきりと言った。
「私は、“怪しい商人”とは契約しません」 「ですが」
エリナを、真正面から見据える。
「今日見た限り」 「その噂は、私の目には映らない」
――決定打。
その場にいた商人たちは、
一斉に理解した。
(ギルドより、貴族の評価が勝った) (しかも、目の前で……)
「契約の話は、後日改めて」 「今日は視察ですから」
そう言い残し、
子爵夫人は去っていった。
――だが、
空気は完全に変わっていた。
「……見たか?」 「あの人、子爵家だぞ」 「ギルドが何だって?」
客足が、戻り始める。
それどころか、
“様子見していた層”が、一気に動いた。
遠くで、それを見ていた者がいる。
商業ギルドの巡察官だ。
「……なるほど」 「これは、厄介だな」
そして、レヴィ商会。
「なぜだ……」 「なぜ、貴族が……!」
幹部が、苛立ちを隠さず吐き捨てる。
「ギルドを使ったのに」 「逆に、格を上げられた……!」
その時、
一人の男が、低く言った。
「……もう一段、上を使うしかないな」
“貴族社会”そのもの。
そこに手を出すという、
危険な選択。
一方、エリナ商会。
トーマが、興奮を抑えきれず言った。
「すごいです……!」 「完全に流れが――」
「まだよ」
エリナは、静かに首を振った。
「これは、布石」 「本当の勝負は、これから」
だが、彼女の視線は確かだった。
(第三者評価は、武器になる) (しかも、これ以上ない形で)
商業ギルド。
貴族社会。
そして、敵商会。
盤面は、完全に組み替えられた。
次に動くのは――
どちらが“致命的な一手”を打つか。
王都の空は、
ようやく雲の切れ間を見せ始めていた。




