カフェ、プティフール
最終回です。
私が嫁ぎ先のカリム家から逃げ出し、他の国で平民として暮らし始めてから五年ほど経った。
半年くらい経った頃、カリム家の一族が処刑されたことを新聞で読んだ。
こちらの国では、平民でも優秀な人は養子縁組で貴族の一員になることがある。
徹底的な粛正に、「あの国は特殊だから」と距離を置くような反応だったのを覚えている。
私も一応カリム家に籍があったので、母国には見つからないようにしないといけない。
だから翻訳という形で関わりを持つのも、本当なら好ましくないのだ。
ただ翻訳はお金になるので、なかなかやめる勇気が持てない。
学園で出会った同級生は数カ国を行き来して、商売をしている。
この国に来たときには顔を見せに来て、新しい翻訳の仕事をくれたりとてもお世話になっている。
実家が没落したことなどは、新聞に載らないので彼から教えてもらった。
母の生家が、かなりがめついことをしたというのも。
母の生家に戻った庭師が元気なら、それだけでいい。
今日も、彼からの手紙を預かってきてくれた。
手紙というか、押し花ね。いや、押し薬草か。
「また、難しい薬草に挑戦しているのね」
山の奥に生えている薬草。それが街中で栽培できたら、すごいことだ。
母でも、一割くらい収穫できれば良い方だった薬草。
成功率はわからないが、押し花にしても惜しくないくらいは採れているんだろう。
濃いめのミントティーと砂糖の入った入れ物を出す。
お土産にもらったバクラヴァを箱のまま出した。ここには、マナーにうるさい人間はいない。
「ずっしり密度の濃い、甘いバクラヴァ。美味しいわ。ナッツたっぷりなのも嬉しい」
こちらにもバクラヴァはあるが、もう少し食感が軽い。
「これだけは、母国の勝ちだな」
彼も一つ食べて、ミントティーで口をサッパリさせている。
「あの国ヤバいからさ。支店をいくつか残して、こっちの国に本拠地を移そうっていう計画があるんだ」
軽い調子で、母国に見切りをつけたような発言をした。
「その方が良いかもね。平民を人間だと思ってない国なんて、異常だよ」
才能がある人間を産まれたときの階級で切り捨てていたら、どれだけ多くの機会を失うことか。
「ヤスミンに頼む翻訳には入れてなかったけど、取り扱ってる魔道具の中に武器関係もあるんだ」
「それは、今、私にしゃべっていいの?」
「うん。これからは翻訳を依頼するかもしれないから。
でさ、母国の初代王が二百年前に出奔した方の国があるじゃん?
そっちで、魔力消費が少ない武器の開発に成功したんだ。一撃分の魔力量が低くて済むやつ」
「へえ、それで?」
母国は元の国を未だに敵だと認定しているので、どんな便利な道具も輸入しないだろう。
バクラヴァを噛むと、染みこんだシロップがじゅわっと口の中に広がった。粗く刻んだナッツの歯ごたえと香ばしい香り。
「うちの国の平民に、弱いけど魔力持ちが生まれてるだろ」
「そうね。二百年もあれば、貴族が隠れて平民を襲うこともあったでしょうし」
平民に魔力持ちを誕生させたくないから「馬の家」を作って、管理しようとしていたのだろう。
だが感情を持つ人間を、そう簡単に管理できるわけがない。
貴族のジアドも、平民の歌姫に惚れ込んで愛を囁いていたし。
「身分を超えた愛とか、そういう発想ないの?」
同級生は苦笑いする。
「あいにく、そういう情緒を育む環境にいなかったの」
「そういや、そうか。ごめん。女の子はロマンスが好きだって思い込んじゃって」
「それは、あなたの奥さんの話でしょう」
彼の妻も同級生だ。ほわほわと夢見がちな少女だった。
「彼女もこちらの国に移住するの?」
「そのつもりだ。慣れない習慣とかあったら、教えてやってくれ」
「そんなの、お安いご用だわ」
彼女には、私も癒やされていた。久しぶりに会うのが楽しみだ。
「んで、話を戻すと、魔力が少ない奴にも使える武器ってことさ」
「へぇ~?」
遠い国で開発された武器なんて、あまり興味はない。
契約書を翻訳することになったら、構造や部品、故障しやすい状況を勉強しないといけないけど。
「武力だけで先住民を抑えつけていた貴族たちに、反撃するチャンスが生まれるってこと」
「ああ、そういうことね。革命でも起こすわけ?」
男は軽く肩をすくめただけで、答えなかった。
それぞれのカップに、ミントティーを継ぎ足す。
少しだけ、会話のきっかけを探るような沈黙が降りた。
「そういえば、カリム家の使用人たちは、他家で働けないような経歴を持つ者ばかりだって知ってたか?」
「知らなかったわ。食事をしても、お互いにしゃべらなかったもの」
まあ、平民と恋愛関係にある主人の元で働きたい人間など、いないでしょうね。訳ありばかりになるのも、当然だ。
「平民の権利を求める運動をして捕まった人たちの内で、中心人物じゃないその他大勢とかいうか……そういう感じの」
「なるほど。中心人物は処刑されるもんね」
「だから、平民の愛人を黙認していたんじゃないかって。労役刑になった人も多いみたいだ」
あの国の貴族制度を根幹から揺らがせたカリム家。働く人たちも曲者揃いだったとは。
思った以上に、危険な家だったのね。
「助けたい人とか、いないか?」
「あの家にはいないわ。庭師が無事なら、他はどうでもいい」
手紙にそっと触れる。
「そっか。了解」
市民革命に積極的に協力するつもりなのかしら?
「そういえば、結婚とか考えてないのか? 誰か、紹介しようか?」
突然、話題が変わった。
「結婚?
自分で決められる今が楽しすぎて、しばらく夫は要らないわ」
一応、一度結婚しているんですけど……まあ、あんな中身が伴わないのは、数に数えないわよね。
父親も夫も「真実の愛」とやらに狂っていたから、うんざりっていうのもあるのかもしれない。
愛なんて、胡散臭いもの。
私は、自分で選んで、自分の足で歩いて行ける。




