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ルーチン

作者: 倉崎 町羽

am 7:00

朝の光が静かにワンルームマンションの窓を通り過ぎて来た。


―リリ、リリ、リリ―

悠人ゆうと、おはよう。もう時間よ。」

「う~ん、おはよう。」

高校3年生の悠人は、毎朝、母親の声で目覚める。


時計を見る

⋯もうこんな時間か⋯


悠人は、朝の支度を手早く済ませ家をでた。


「行ってらっしゃい」

「行ってきます」


悠人の一日は時間通りに進んでゆく。

毎日がルーチン化している。


8時ちょうどに家を出て学校へ。夕方5時には帰宅する。5時には、というより5時ちょうどに家のドアを開ける。

6時半にお風呂に入り、10時に布団に入る。


「早く寝なさい」

「はーい」



悠人は別段几帳面という人間でもない。

ただ、いつも時間通りに1日が過ぎていった。


「おやすみなさい」

「おやすみ」


「おっと、いけない」

悠人はおもむろに起き上がり机に向かった。


机上には、可愛い電車のイラストが描かれた包装箱に乗った目覚まし時計と、若い女性の写真が置いてある。


悠人は写真に向い、もう一度「おやすみ」と言った。



am 5:00


薄暗い朝の景色に、悠人の部屋から明かりが滲み出ていた。

その日は、大学の入試の日だった。


悠人は、筆記用具や参考書などが入ったカバンを何度もチェックした。


そして、最後に身繕いを整えると、悠人は机上の写真に話しかけた。


「今日は早く家を出ないといけないんだ。頑張ってくるよ。僕自身やり切ったと思えるくらいやり切ったよ。自信あるけど、応援してね。じゃあ、行ってくるよ」


悠人が玄関のドアを開けると、冷気が頬をなでた。

空には、はるかかなた水平線からこぼれでたであろう太陽の光を受け止めた大きな雲があった。


10年前のあの日と同じ光景だった。





「ごめんね、ゆうと。なにもしてあげられなくて」

病院のベッドの上で母が小さくつぶやく。


「何言ってるの?これからも、いろんなことしてよ」

「ネネおばちゃんの言うこと、よく聞いてね」

「いやだ、ネネおばちゃんなんてイヤだ」

「そんなこと言わないで。ネネおばちゃんはママの大好きなお姉ちゃんなんだから」

「でも…いやだ、いやだ…」


僕はぐずったまま、母のベッドで眠ってしまった。


翌朝、けたたましい靴音と会話に起こされた。

僕は、茫然としていた。

何もわからない、分かりたくもなかった。


病室の窓越しに見えた雲は、下の方だけ焼けていた。



数日後、伯母から『ママからのプレゼント』と言われ、小さな箱を渡された。

それは、小さな目覚まし時計だった。悠人が好きな電車のイラストが描かれたデジタルの時計だった。



添えられた紙には、母の文字がのっていた。


「悠人 ありがとう。

ママは いつも悠人がいてくれて うれしかったよ。

悠人は がんばりやさんだから 大きな がっこうへ行って りっぱな おとなの人になってね。

べんきょう おうえんしてるね。

それと おじかん ちゃんとまもろうね。おじかんを まもれる人は すてきな人になれるよ。

だから ママから かわいい とけいさんを ぷれぜんとしてあげるね。

なかよく してあげてね。


悠人 ほうとうに ありがとう。

悠人のママで ほんとうに うれしいよ。」




悠人は、中学卒業まで伯母の家で育てられた。

そして、母の残してくれた僅かな財産と伯母の援助で高校入学前にアパートに移った。


初めての一人暮らし。

机の上に最初に取り出したのは、目覚まし時計だった。




⋯まずは、アラームを合わしとかないとな⋯

悠人は、箱の中から目覚まし時計を出した。


色褪せた可愛い時計とともに黄ばんだ紙が机に落ちた。


⋯取説もこんなに黄ばんじゃったな。もう破れかけてる。テープを貼っとかなきゃ⋯


悠人は取扱説明書など読んだこともないし、無くてもかまわないんだが捨てることに抵抗があった。

それは大切な母との大事な繋がりでもあったから。


悠人は 取扱説明書を優しく広げた。

何気なく取説の文章を見ていると『音声入力』という文字が目に入った。


⋯自分の声も録音できるのか。なになに、アラーム音を押して⑤~⑭を選ぶ。そして、メモリーを押して声を吹き込む。再度、メモリーを押して終了。か⋯


⋯なんで、こんなに沢山の録音設定があるんだろう?⋯



悠人は、アラーム音を押し続けて⑤を選んだ。

時刻は am 7:00 に既に設定されていた。 


そして、声を吹き込もうとメモリーを押そうとした。


その瞬間、悠人の視界が流れ落ちていった。



―ママ! ママの「おはよう」だ―




悠人はもう一度アラーム音を押した。


アラーム⑥

am 8:00

「行ってらっしゃい」


母の声がスピーカーから流れ出た。




悠人はアラーム音のボタンを押し続けた。


⑦ pm 5:00 「お帰りなさい」


⑧ pm 6:30 「お風呂の時間よ」


⑨ pm 7:00「もうすぐご飯にしようか」


⑩ pm 7:15「いただきます」


⑪ pm 7:50 「ごちそうさま」


⑫ pm 8:00 「明日の準備はできた?」


⑬ pm 9:50 「今日も頑張ったね、早く寝なさい」


⑭ pm 10:00 「おやすみなさい」


悠人は、何度も何度も聞き返した。


そして最後に、

時計に描かれた電車の窓に、母の笑顔を思い浮かべながら、アラームを全て『ON』にした。






⋯思い返せば10年前のあの日からも、僕はずっと幸せだったんだ⋯




悠人は外の冷気に包まれながら、玄関のドアを閉めた。


そしてドアに向かって大きく語りかけた。


「行ってきます」




あの日と同じ空が、悠人を包みこんでいた。



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