【ホラー】猫のあーちゃん【ショートショート】
小学生の時、飼っていた猫がバイクに轢かれて死んだ。
姉がどこかから拾ってきたノラ猫で、何故かよく靴下を食った。
靴下やセーター、布団の端などを齧って食べてしまう。そのたびに動物病院へ駈け込んで胃洗浄をしてもらった。姉は「ミミちゃん」と名付けたが、のちにオスだと判明した。
子猫の頃は、姉、母、わたしの交代で、スポイトみたいな道具で授乳した。成猫になったミミちゃんは噛む力がなかなか強く、爪も鋭かったので、わたしと母は生傷が絶えなかった(姉は早めの段階で世話を放棄した)。顔の上で猛ダッシュされた時は、けっこうザックリ切れた。傷がふさがるまでの間、学校でのわたしのあだ名は「抜刀斎」だった。
猫を飼うのは初めてだった。「室内飼い」という概念がなく、放し飼いにしていたのがよくなかった。わたしが学校から帰ってきたときには、全部手遅れだった。
母は泣いて泣いて、寝込んでしまった。
わたしはどうしたら母が悲しくなくなるのか、無い知恵を絞った。無いから絞っても出なかった。友達に相談すると「近所に捨て猫が居る」と教えてくれた。わたしはチャリで現場に急行した。
お菓子工場の裏側に段ボール箱があり、中に子猫が居た。絵に描いたようなザ・捨て猫。目は開いていて、青くもなかったから、最低でも生後3か月ぐらいだろうか。キジトラの子猫だった。わたしはリュックサックに子猫を入れて自転車で家に持って帰った。
母の臥せっているベッドのそばに寄ると、まだ顔色が悪く、深く落ち込んでいた。わたしはリュックサックから子猫をとりだして母に見せた。
母は、まるでお産を終えた母親が、やっとわが子と対面できたときのように涙を流し、キジトラの子猫を、そうっと抱き上げた。それから、泣きながら笑顔を浮かべ、「ありがとう」と言った。
母はキジトラの子猫を「あーちゃん」と呼んだ。
姉がオシャンティな名前を付けたのだが、母は「あーちゃん」と呼んだ。母は前の猫のことも「あーちゃん」と呼んでいた。
昔飼っていたハムスターも、たまたま見かけた散歩中の小型犬も、あたたかい季節になると必ず庭木の枝にとまりに来るメジロたちの事も、全部「あーちゃん」と呼んでいた。
かくいうわたしも時々「あーちゃん」と呼ばれていた。
わたしの名前に「あ」は付かない。
なぜ「あーちゃん」なのか、わたしは一度も聞かなかった。
父親はよく怒鳴る人で、母親はよく泣く人で、姉はやるなと言われた事を全部やる人だった。
わたしは3人の顔色と声色に気を付けて、聞かない方がいいと思ったことは聞かないようにしていた。息を潜めて生きていた。
キジトラの「あーちゃん」は12年後、心臓発作で亡くなった。母はまた泣いたけれど、今度は里親募集をしていた保護猫を譲り受けた。「タビ」という猫だ。足だけが白くて他は真っ黒で、尻尾が短かった。母は「タビ」を「タビ」と呼んだ。
姉は家を出て行った。父親は相変わらずよく怒鳴る。母はもうわたしを「あーちゃん」とは呼ばず、前よりも冷淡になった。まあ、170センチも身長があると、どうしても無理だろう。
母は子どもが好きだった。小さい生き物だけを愛していた。
時計を見た。もうすぐ姪が来る。母の「あーちゃん」だ。
姉はいつの間にか妊娠していつの間にか出産して、時々金の無心に来る。姪を連れて。
小学生だったあの日、父に雷を落とされるのを覚悟の上で、背中に子猫を背負って坂道を必死に漕いだ。日々、母親の心が自分から離れていくのを感じていた。既にわたしの体はだいぶ大きかったが、心は幼かった。母が喜ぶものを差し出せば、母もわたしに差し出してくれると期待するほどに、幼い子供だった。
しかし母が愛するのは、昔も今もこれからも、赤ちゃんだけなのだ。
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