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現実系ショートショート

幽霊屋敷で出会った女性の話、もしくは初恋の終わり

 高校を卒業し、大学に入るまでの春休みのとある日。

 青年は自分がおかしな恰好をしていないかを玄関で確認する。朝から何度も繰り返されるその確認のあまりの入念さに、青年の姉はまるでこれから人生初のデートに出かける子供のようだと言い、からかうように笑っていた。


 笑われようと知ったことか。


 家を出た青年は心の中で一人呟く。

 そして三年前の春休みのあの日と同じように、近所で有名な幽霊屋敷への道を辿り始めた。


 青年の家と、通っていた中学校を結ぶ通学路に存在するその大きな屋敷がいつから幽霊屋敷などと呼ばれていたのか、その屋敷になにがあって無人になってしまったのか、青年は知らなかったし、調べる気もなかった。確かなことはその屋敷は青年が物心ついた頃にはすでにそこにあり、そして青年の知る限りは長らく誰も住んではおらず荒れ放題になっていたということだった。

 幽霊屋敷、などと呼ばれてはいたが、その屋敷の近くで幽霊を見たという人は誰もいない。ただ荒れ果てて不気味だからそう呼ばれているだけである。




 志望していた高校に合格し、中学校を無事に卒業したかつての青年が、なぜ夜中にその屋敷に忍び込んだのか。そこには深い意味はなく、無理に理由をつけるなら退屈だったから、になるのだろうか。

 特に深い考えはなく、突発的な行動だった。


 夜にジョギングをしていたとき、屋敷が目に入った。

 そしてふと、中学校を卒業する直前に同級生の一人が、真夜中にあの幽霊屋敷に一人で忍び込んだことを自慢げに話していたことを思い出したのだ。


 あいつが忍び込めたのだから、僕にも出来るだろう。


 その程度の考えだった。




 三年前にジョギングコースに使っていた道を、逸る気持ちを抑えながらゆっくりと歩いていく。


 今日この日が来ることを、青年は指折り数えていた。姉の言っていた人生初のデートというのもある意味では的を射たものだろう。

 青年にとっては、ひょっとしたらそれ以上に大事な日であるかもしれない。



 そろそろ幽霊屋敷が見えてきてもおかしくない場所にまで進んだ青年は、おやと首を傾げた。いつまで経っても屋敷の屋根が見えてこないのだ。

 まさか、と思った青年は思わず走り出す。すると、やはり思った通り、幽霊屋敷はすでに取り壊されており、フェンスに囲まれた空き地が広がっているだけであった。


「あ」


 青年が呆然とフェンスの方を見ていると、そんな青年の様子に気が付いたのかベージュ色のスーツを着た女性が近寄ってくる。そして、こんにちはと言って軽く手を振った。


「ええと、あのときの中学生くん、だよね?」


 その言葉に青年ははいと頷く。そして思わず言った。


「あのときよりずっとお元気そうですね」


 夜の闇の中で見たかつての女性の顔色と、今日明るい日差しの中で見る顔色が同じに見えるわけはないが、それを差し引いても女性はずっとずっと健康そうに見えたからこその言葉だった。

 その言葉に女性は一瞬虚を突かれたような表情をするが、すぐに声を立てて笑うとそうだね、と返した。


「あのときよりずっと元気だからね」




 青年が幽霊屋敷に忍び込んだあの夜。鍵は壊されて久しいらしく簡単に忍び込めた青年が一階をなんとなく見て回っていると、頭上である二階から誰かが歩くような、古い床板をきしませる音が聞こえてきた。


 幽霊はいないんじゃなかったのかと怖がりながらも恐る恐る二階の一室、一階で音を聞いた部屋のちょうど真上にあたる部屋の様子を見に行った青年が目にしたのは、天井の梁に紐をかけようとしている、一人の女性の姿だった。


 その様子を見た青年は思わず声をあげ、一歩後ろに下がってしまう。すると腐った床板を踏み抜いてしまう。


「いたっ」


 足をくじいた青年は思わずそう声に出す。するとどたどたという音がして女性が部屋から出てきた。

 つい先ほどまで泣いていたのだろうか。女性の目元はメイクが滲んでおり、頬にまで跡がついていた。


「えっと……お姉さん、こんなところで、なにをしてるんですか?」


 女性が自ら命を絶つつもりであったのは、先ほど見た状況だけで十分理解できた。だが当時の青年は、それを口にしてしまえば女性が本当にそれを実行してしまう気がして、それが怖くて、そんなことを言っていた。


 女性は青年の言葉に一瞬ぽかんとする。分からないわけがないと思ったのだろう。だが、まだ子供に対して自殺しようとしていたなんてはっきりと口にできるような人ではなかったらしい。

 女性は力なく笑うと、なにしてるんだろうね、と言った。



 それから青年と女性は、夜通し話をしていた。というよりは、ほとんど青年がずっと女性に話しかけ続けていた。

 夜が明けるまで話し続けていれば、女性の自殺を止められる。そんな気がしたのだ。


 どんな話をしていたのかは思い出せない。だが夜が白み始めた頃に女性に聞いた質問のことははっきりと覚えていた。


「お姉さんはいま、幸せですか」


 なんでそんなことを聞いたのかは分からない。幸せならこんなところに来てあんな真似をするわけないだろう。そんなことは分かっているのに、なぜかそう聞いていたのだ。

 青年からの質問に女性は少し考えるような素振りを見せてからこう答えた。


「うん、幸せだよ」


 絶対に嘘であるそんな言葉を、女性は笑顔で言った。

 嘘で着飾ったその笑顔に、青年は心を奪われた。


 だからだろう、その後にあんなことを言ったのは。


「えっと、それなら、また会いませんか。三年後にでも」


 なぜ三年後と言ったのだろうか。まだ中学を卒業したての自分では釣り合わないと思ったのだ。

 三年後、つまり高校を卒業したあとなら、もしかしたら釣り合うと思ったのだ。


 その言葉に女性はしばらく返事をしなかった。だがやがて、うん、と言った。


「三年後、また会おうね」




 そして青年は三年後、つまり今日この日に女性に告白しようと思っていたのだ。

 しかし女性を見てそんな気持ちはなくなってしまった。

 女性に対して魅力を感じなくなったわけでなはない。だが、先ほど気が付いてしまったのだ。


 青年に向かって振った左手。その薬指に、指輪が光っていることに。


 だから青年は告白の代わりにこう尋ねた。三年前のあの日と同じように。


「お姉さんはいま、幸せですか」


 三年前と同じ質問に、女性の答えもまた変わらなかった。


「うん、幸せだよ」


 しかしその笑顔は、心からのものだった。

 青年は涙をこらえる。そして強いて笑顔を浮かべると、それならよかったですと、そう言った。



 そこから少し立ち話をしてから青年はそれじゃあと女性に別れを告げる。すると女性は青年に向かい深々と頭を下げ、そして、言った。


「あのときあそこにいてくれて、ありがとう。私がいま幸せなのは、間違いなく君のおかげだよ」


 その言葉に青年は、僕はなにもしてないですと言うと、女性に背を向けた。そしてその場を歩いて離れる。


 必死に涙をこらえているせいで滲んだ景色の中で、まだつぼみのままの桜が青年のことを応援するように揺れていた。


ここまでお読みいただきありがとうございます。

良ければ感想、評価等よろしくお願いいたします。

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