5. 異変との会合
翌日の協会は朝から忙しない様子だった。どうやら施設内の掃除をしているようだ。
「あ、リリィちゃん。」
真っ先に私に気がついたのは、お馴染みになった受付のお姉さん。受付を片付けていた手を止め、私の元へ駆け寄ってきた。
「昨日の夜、領主様が突然マスターと話がしたいって言ってきてね。それで今日、正式にいらっしゃることになったの。で、マスターはリリィちゃんたちにも同席して欲しいんだって。」
やはり、そういうことだったか。昨日のマスターの言い分から予想はできていたが、まさか領主様直々に来られるとは。
メリアとリューゼはまだ来ていないが、私は一足先にマスターの執務室に向かった。
「話は聞いているな。今日の北領領主ソルシャ様との談合に、お前たち三人にも同席してもらう。といっても、まだリリィだけか。昨日言っていた時間より、随分と早いな。」
「家にいても、落ち着かなくて。それに、聞きたいことが。」
「ほう、珍しいじゃないか。言ってみろ。」
「昨日、父が受けた依頼について、教えて欲しいです。」
私の要求を聞いた途端、マスターの体に力が入った。
それもそのはず、たとえ家族であっても詳細な依頼内容は漏らしてはならない、というのがこの協会のルールなのだ。それでも、私はどうしても聞かなければならない理由があった。
「それは、うちの協会のきまりを分かってのことだな。何があった。話はそれからだ。」
「ルールは。」
「人の命がかかっているかもしれないんだ。構ってられるか。」
それを聞いた瞬間、私の体の力がふわっと抜けて言った心地がした。気づかないうちに昂揚していたみたいだ。
深呼吸を何度かしてから、私は重い口を開いた。
昨日、父のパーティが行商人の護衛に出かけたこと、一日で終わるはずの任務であったのに、未だまったく音沙汰がないこと。心配した母が、捜索に出かけたきり帰ってきていないこと。それから、依頼書に書かれていた依頼主は、行商人ではないということ。
そこまで聞いたマスターは、一冊のファイルを取り出した。依頼の詳細や報告書がまとめられているものだ。
「やられた。リリィ、見てみろ。最低限のことしか残ってない。こうなることを見越していたみたいだな。」
依頼主の名、ブロード・グルーチス。依頼内容は、依頼主及びその所持品の護衛。街の入り口から魔の森西側の出入り口まで。報酬は標準より高め。推定される難易度は、最上級であるSクラス。…… Sクラス?
Sクラスと言えば、国からの重要な依頼や災害級の魔獣の討伐ぐらいだ。この街でそのレベルの依頼を受けられるのは、確かに父のパーティぐらいだが。
そもそもなぜ一商人の護衛に、しかも身分が定かでない人物からの依頼でそんな高難易度の設定がされていたのだろう。それに、父たちは何か違和感を覚えなかったのだろうか。
そんな疑問を浮かべている私に対し、マスターは別の質問を私にぶつけてきた。
「そういえば、どうして実在しない名前だと分かったんだ。行商人なんていくらでもいるだろう?」
「昨日の夜、母と商人協会に行って聞いたんです。」
そこで商人たちのデータを見せてもらったところ、ブロード・グルーチスの名を見つけることができた。しかし、彼の経歴はあまりに不自然で、主に取り引きしている商品を見ても、生計を立てられるほどの利益が出せるとは到底思えなかった。
「すぐに、偽装された身分だと分かりましたよ。」
「なるほどな。それなら、予定変更だ。リリィ、お前は両親の捜索に向かってくれ。もちろん、メリアとリューゼを連れてな。領主様からの依頼は、その後でいい。」
「はい。……ありがとうございます。」
いつの間に私たちが領主様の依頼を受けることになっていたのか、なんて疑問はおいて、私はメリアとリューゼを待つべく協会の入り口に戻った。
◇◆◇◆◇
「こんなに奥に来たのは初めてね。異変の影響もあるのだろうけど、こんなに不気味だとは思わなかったわ。」
「そうだな。しかも、魔獣がどんどん強力になってきてる。もしかしたら、異変の原因に近づいてるのかもな。」
「そうだとしても、優先するのは捜索の方よ。分かっているとは思うけどね。……リリィ、大丈夫? そろそろ少し休憩した方がいいわ。」
「ありがとう。でも、わたしは大丈夫。早く行こう。」
森に入ったときから、私に謎の頭痛が襲い掛かっていた。メリアとリューゼには何もないようだから、森の影響というわけではないのだろう。原因は分からないが、両親の命が脅かされている可能性が高い今、私の体調ごときに構っている暇はない。
心配してくれているメリアには悪いが、先を急ぐように歩くペースを速めようとしたとき。ふいに何かに、左腕を強く引かれた。
「リューゼ? 手を」
「冷静になれよ、リリィ。」
彼の声は驚くほど冷たいものだった。振り向く気のない私に、リューゼの表情は見えない。
「よくわからない、けど。わたしは冷静、だよ。」
「まさか、お前がここまで馬鹿だとは思わなかったよ。」
「本当に、何を言ってるの? 今は急を要するから、早く手を離して。早く、お父様とお母様と合流しないと。」
「リリィ、落ち着けって。マスターも言ってただろ、お前の両親はもう」
「わたしたちが合流すれば、きっと、きっと大丈夫だから。だから早く、行かないと。リューゼ、お願い、だから。」
振り返ってみたが、視界が滲んでいてリューゼの顔を認識することは出来なかった。ただ、二人の息をのむ音だけは分かった。
そのとき。叢の中から微かに音が聞こえた。
警戒の態勢を取った私たちの前に、這うようにして現れたのは。
「お母、様……?」
「に、げて。」
直後、私たちの前に白い閃光が走った。数拍遅れて森が炎上。辺りは一瞬にして炎に包まれた。
地に伏した母の後方、燃え盛る木々の合間から姿を現したのは、白い鱗に覆われたドラゴン。その額には、禍々しい紫色の宝石が輝いている。
いや、そんなことより。
「お母様、早く、こっちに。」
「リリィ、待ちなさい。リリィのお母さまはもう」
「あ、そうか、怪我。早く、回復を。」
「メリア、お前の魔法でリリィを眠らせてくれ。あのドラゴンは二人で何とかするぞ。このまま引いたら街に被害が及ぶ。」
「わかったわ。」
二人が何を話しているのかも聞かず、私は回復魔法の構築をしていた。まだ頭が痛む現状、呪文を唱えた方が早いと判断し、早急に簡略化した呪文を唱えて魔法を展開した。範囲も効果も最大級の、世界で数人しか使えないと言われている魔法を。
「『大いなる生命の輝きよ。我の願いは、小さな救済。我らに一筋の光を、与え給え。』」
私が展開した光の陣は炎が広がっていた範囲まで広がり、瞬く間に消火されていった。しかし枯れてしまった木々に緑が戻ることはなく、死してしまったものに命が再び宿ることはないと物語っているようだ。
母を見つけられたことから、近くにも生き残った冒険者がいるかもしれない。そう思ってこの魔法を選んだのだが、成果はないに等しいだろう。一つの大きな存在と信じられないほどの濃度の呪いの気配しか感じられなかった。
とはいえ、この二つの気配はかなり気がかりだ。メリアとリューゼにも共有しようと思った矢先。
「悪く思わないでよね、リリィ。」
メリアの声と共に、暖かい風に包まれ、私の意識は暗転した。