1. 夢のような現実
ぼんやりとした意識の中、私は聞いたことのない言語を聞いた。
霞んでいた視界が徐々に鮮明になっていく。目の前に広がった世界を見た瞬間、私は全てを理解した。
──ああ、私、転生したのか。
どうやら出生の瞬間だったようだ。身体を自由に動かすこともできないし、言葉を発することもできない。けれど、産声を上げることと周囲の観察をすることはできた。
優しく声をかけてくれているのが母なのだろう。お世辞にも体調がいいようには見えないが、幸せそうに微笑んでいる。少し離れたところで慌てているのが、おそらく父だ。落ち着きはないがとても嬉しそうなのは伝わってきた。周りで手際よく世話をしているのは、前世でいう看護師に近い職の者であろう。
なるほど。どうやら今世の私は両親に望まれて生まれたようだ。
彼らの言葉は理解できなかったが、それだけは痛いほど分かって安心した。
◇◆◇◆◇
リリィ・ウィンズの名を貰った私は、あっという間に五歳になった。その歳になれば、この世界のことについて多少は理解できた。
私が生まれたのは、グランツェという大国の北部に位置する割と大きめの街の、ごく一般的な家庭。両親は冒険者として生計を立てており、家にいる時間は二人ともバラバラであったが、相当のことがない限り私を一人にすることはなかった。どうしても外せない事情がある場合は、両親の同業者だという夫婦の元に預けられていたのだが、それはまた別の話。
ともかく、両親の職業は冒険者。そう、冒険者である。街の内外には魔獣が存在するし、一般人であっても剣や魔法を使用する。ファンタジーのようなこの世界は、ゲームが好きだった前世を持つ私にとって夢のような環境というわけだ。ヲタクとして心を弾ませずにはいられない。
とはいったものの、齢五歳の少女にできることなど限られる。そもそも日本とは文化も言語も違うのだ。約五年の生活である程度は慣れてきたが、魔法の勉強をするにはまだまだ知らないことが多すぎる。
そういうわけで、私はまず、読者から始めることにした。言語や常識の習得にはこれが最適だと考えたからだ。幸いなことに母が読書家であったため、それとなく聞いてみたところ家にある蔵書のことを必要以上に教えてくれた。
しかし、いくら母が読書ヲタクでもただの庶民である我が家には、貯蔵できる量も限度がある。前世から本を読むことが好きだった私は、簡単なものから難しい内容まで、二年もしないうちに全て読破してしまった。
しばらくは同じものを何度か読み返していたが、いつかは飽きてしまうのが人間の性というもの。というより、大抵の内容を覚えてしまった。
見かねた父は、私に剣術を教えてくれた。いや、教えようとしてくれた。考えてみて欲しい。この頃の私は七歳。本を読んでばかりいたため筋力も体力もない。加えて、私は前世から驚くほど運動が苦手だった。結果なんて、考えるもなく分かっていたはずだ。
力の弱い者でも扱えるような剣技を教えてもらったが、木製の剣を持って軽く振るったところで挫折した。安全のために父からストップを出されたと言った方が正しいかもしれない。
この一件を経て、私には剣を扱うことができないと確信した。そしてこの日から四日間は筋肉痛に苛まれた。
それからは母の勧めで図書館に通っていた。読んだ本の中には魔法の解説をしているものもあり、興味本位で家で密かに実践してみたこともあった。
本に書かれていた内容によれば、魔法の属性は生まれつきで決まっている。私の場合は光属性であり、一般的にはサポート系の魔法に向いているらしい。それを活かし、光の壁を生成したり、小さな傷の治療をしたりしてみたら、案外簡単にできた。
基礎ができたら応用もしたくなるのは自然なことだろう。そこから私の魔法に対する小さな研究が始まった。
まず、本には呪文を唱えることを枢軸として魔法の原理が説明されていたが、使いたい魔法のイメージを具体的にするほど魔法も強力なものになっていくことが分かった。もしかしたら、呪文よりも想像力が影響するのかもしれない。
試しに呪文を唱えずに想像を固めてみたら、呪文を唱えたときよりも強力な魔法が放たれた。やはり、思った通りのようだ。
想像を固めることで魔法が撃てるならば、もっと自由に魔法の形を変えることもできるはず。
そういうわけで、次はオリジナルの魔法が撃てるか試してみることにした。今使える魔法から考慮して、護身に使えるものを優先しよう。本物の剣は持ってなかったが、光を媒介にしたものだとどうだろうか。
父が剣を得意とすることもあって、この世界に生まれてから剣を見る機会は多い。イメージを固めるのも容易い。
外形は、一般的な剣でいいだろう。しかし、やはり私の筋力では持ち上げられない可能性も高い。短剣ほどでなくとも、小さ目の方がいいかもしれない。形状はごく普通に、サイズは少し小さく、切れ味は抜群にしてみよう。よし、イメージはこれでいいだろう。出力は壁の生成をした際と同じで平気なはずだ。
出来上がったのは華やかな見た目のショートソード。見た目がどこかの聖剣に似てしまったのは気にしないでおこう。
剣の完成度を試すために簡単な壁を作り、軽く振るって突き刺してみた。すると、発泡スチロールにナイフを刺したような、何とも心地の良い感触がした。簡単な壁と言ったが、強度は鉄と同じぐらいであるはずだから、剣の精度は問題なかったのであろう。
この調子なら、他の武器も同じ要領で生成できるかもしれない。
問題は私の体力があまりにもないことだろう。これを期に、父に簡単な筋トレを教わるようになった。しかし、体力はついても筋力が増すことはなかった。
それから約一年が経った頃、父に私の魔法の練習を目撃されてしまった。
魔法の練習をしていたこと自体はとっくに知られていたが、オリジナルのものまで試しているとは思ってもいなかったらしい。その時は何も言われなかったが、次の日には街の近隣の森に連れて行かれていた。
この森は「魔の森」とも呼ばれ、低級から上級まで、数多の魔獣が生息する。
私の両親をはじめとした冒険者の主な仕事は、この森に生息する魔獣を狩ったり、薬草などの植物や果実を採取したりすることなのだ。護衛の仕事や街に蔓延る面倒事を解決することもあるらしいが、基本は前者のような危険を伴う任務を行う。
ともかく、私は今、そんな危険を伴う森に来ている。魔法の練習を見られたときは、怒られるのではないかと懸念していたが、どうやらそうではないようだ。どんな魔法が使えるかを聞かれたため正直に答えると、魔獣の相手をしてみるように言われた。
相手は最初に遭遇した魔獣。羽の生えた虎のような生物だった。
名前は忘れてしまったが、様々な地域に生息する中級の魔獣で、鋭い爪と素早い動きが特徴だったはずだ。それと、好戦的で人が襲われる事件が数多く起きている危険度の高い種族であるが、程よく油の乗った肉は大変美味であり、調理用に使われる油も取れるため食料として重宝されている。加えて鋭い爪やふかふかの毛皮は武器や防寒具に使われる素材にもなり、虎の体に似合わぬ純白の羽は装飾品としてもよく利用される。
それらを考慮すると、あまり外傷はつけないようにした方がいいだろう。ならば、頭か心臓を矢で打ち抜くのが最適であるはず。まずはこちらに引き付け、近接したところで生成した矢を突き刺す、というのが私が立てた作戦だ。
私を認識すると、虎は自慢の鋭い爪を振りかぶって飛びついてきた。その行動を予想していた私は光の壁を張って攻撃をいなし、咄嗟に生成した矢を虎の頭に向けて飛ばした。
しかし、虎はその矢をいとも簡単に弾き飛ばし、再び私に跳びかかってくる。矢を刺すにも、剣で首を落とすにも好機でしかない。が、私は再び壁を呼び出して攻撃を防いだ。
そして、僅かに生まれた隙を狙って光矢の雨を降らせた。それでも仕留めるには届かず、だが確実に動きは鈍くなっていた。
今度はショートソードを生成し、弱ってなお襲い掛かってくる虎の首を狙って突き刺し、仕留めることに成功した。
最後の剣を振るう瞬間、少しだけ怖気づいてしまったからか剣を構えていた右腕に虎の爪が掠ってしまった。傷自体は浅いが、鋭利な爪で切り裂かれただけあって痛みは尋常じゃない。
この世界に来てからかなりの年月が過ぎたが、確かな痛みが、これが現実であると痛いほど知らしめた。
「『母なる光よ。我が身に、一抹の救済を。』」
回復魔法はこの程度の傷であれば簡単に治すことができる。しかし、心に生まれた傷は、どんな高位の魔法であっても治すことはできない。
そう、私はもう、かつての家族や友人に会うことはないんだ。
読んでいただきありがとうございます。はじめまして。正真正銘初めての投稿なのでドギマギしています。
しばらくは前日譚のような感じで聖女視点になります。ご容赦ください。
更新は不定期になると思いますが、これからよろしくお願いします。