プロポーズされたけど、彼から「好き」と言われていないことに気が付いた
「なぁ。お前のこと気に入ってるんだけど。俺と付き合わん?」
いつもより遅めの昼食をとっていたとき。
周囲に誰もいなかったからだろう。
目の前のごつい男がいきなり私に向かってそんなことを言い出した。
だから今、この男は柄にもなく顔中を真っ赤に染め上げているのか。
つまり、この場合の『付き合う』は男女交際をしましょうという誘いであると解釈した。
スープをすくおうとしていた私は顔をあげ、目の前のごつい男――王立第三騎士団団長のアレクをじっと見上げる。
彼は動物に例えると熊のような男である。チョコレート色の髪は短く切り揃えてあって好感が持てる。たまに、後ろの右側がちょこっとはねているときもある。恐らく寝ぐせだろう。そしてそれは今もあった。
団長の顔は怖い。それはもう見るからに「騎士団長です」という顔つきをしている。
彼が道を歩いていると、知らない人は黙って道を譲る。そんな彼に声をかけるのは年端もいかない子供か、人生を悟った年配者たちくらいだと思っている。
私は食事のために動かしていた手を止め、じっくりと団長の顔を見つめてみた。
強面のくせにセルリアンブルーのつぶらな瞳。その愛らしい顔がやはり熊のようにも見えてきた。身体も大きく胸板も厚く、そして毛深い。今も騎士服の上着の袖をまくりあげているけれど、その腕にはふさふさと金色の毛がなびいている。
「いいですよ。とりあえず付き合いましょうか」
私が再びスプーンを動かし始めると、彼はガシャンと音を立てた。どうやらフォークを落としてしまったらしい。
「団長。何やってるんですか。子供でもあるまいし」
私が席を立ち、彼の落としたフォークを拾い上げる。
「今、新しいものをお持ちしますね」
この食堂はカウンター式で食べ物が提供される。入り口の券売機で食券を買い、それをカウンターの向こう側にいる係の人に手渡す。すると向こう側から必要な食事が出てくるという流れ。
食事に使うナイフやフォークなどはカウンターの隅にまとめておいてあるので、そこから必要なものを必要分だけとってくる仕組みになっていた。だから私は団長が落としたフォークの代わりに、新しいものをそこから持っていこうと思ったのだ。
それにも関わらず、フォークを拾い上げた右手をがっしりと彼に捕らえられてしまう。
「ほ、本当か?」
団長はまるで茹で上がった熊のような顔をしている。
「だって、付き合おうとおっしゃったのは団長じゃないですか。何をそんなに驚いているんですか? とりあえず、新しいフォークをもらってきますね」
私の手をがっしりと掴んでいる団長の手を、優しく振り払った。
背中から団長の深いため息というか低い雄叫びというかが聞こえたような気がするが、とりあえずカウンターへと向かう。
シェアライト王国はメーメル大陸の中央に位置する国だ。そのため海でとれるような魚のようなものはなかなか味わうことはできない。その代わり、肉料理が豊富である。今も、王宮で働く者たちのためにある食堂という場所で食事をしているにも関わらず、団長は私の手の厚さの二倍もあるようなステーキを頬張っていた。だからフォークがなければ食事は進まないだろう。
本当に、肉には恵まれている国である。
私が新しいフォークを手にして先ほどの席まで戻ろうとすると、団長の隣に見知った男が座っていることに気がついた。
昼食からは少し遅い時間、昼休憩の時間などとっくに過ぎている。ゆうに五百人程収容できるこの食堂で席について食事をしている者などポツポツと数える程度。にも関わらず、わざわざ団長の隣の席に座っている人物は。
「ガイア副団長も今から昼食ですか?」
「なんだ、フィンも一緒だったのか」
副団長の言葉に私は少しだけ眉根を寄せた。まるで私がお邪魔虫であるみたいな言い方をしたからだ。
「はい、団長。新しいフォークをもらってきましたよ。もう、落とさないでくださいね」
私が団長にフォークを手渡すと、副団長はニヤニヤと笑顔を浮かべて眺めている。副団長は団長と違って金髪サラサラのエメラルドグリーンの目の優しい爽やかイケメンであるのに、それは本当に見た目だけで、心の中は団長の方が絶対に爽やかであると、私は思っている。
「まるでおかんだな。いや、熊の世話係か」
いくら団長が熊のような男であったとしても、私は団長のことを熊呼ばわりはしない。こういうことを口にしても許されると思っている副団長の神経が腹立たしい。
「私は団長のおかんでも飼い主でもありませんよ」
「じゃ、何? 二人で昼食なんて、どういう関係?」
副団長が手にしているフォークを私に向けてくるから、肉のソースがぴっと飛んできた。辛うじてテーブルの上にポトリと落ちてくれたから助かったけれど、もう少し飛距離が伸びたら私の服につくところだった。危ない、危ない。
これを食べ終えたらまた仕事だというのに。
「五分前に私は団長の部下から彼女に格上げされました」
ということでいいんですよね、という意味を込めて団長を見つめると、なぜか彼は耳の先まで真っ赤に染めあげていた。そんな団長と対称的に副団長は真っ青な顔をしていた。
「え? フィン。君、団長と付き合うことにしたの?」
心なしか副団長の声が震えているようにも聞こえた。
「あ、はい。どうやら団長は私のことを気に入ってくださったようなので。とりあえずお付き合いから始めてみることにしました」
「マジか……」
ガシャンと今度は副団長が床にフォークを落とした。
「ちょっと副団長まで何をやっているんですか。私は副団長のおかんでも飼い主でも彼女でもありませんから、新しいスプーンは自分で持って来て下さいね」
この場にいるのが面倒くさくなってきた私は、残りのスープとパンを急いで口の中に放り込んで、席を立った。
少し休んだら、残りの仕事にとりかからなければ。
「では団長。後で執務室の方にお伺いしますので、逃げないでくださいね。来月の予算案を今日中に出してもらわないと、第三騎士団の来月の予算はゼロになりますからね」
団長は何か言いたそうに少しだけ口を開けたが、すぐさま閉じて「ああ」とだけ返事をしていた。食器を片付ける私の後ろからは、団長と副団長が言い争いをしているようにも聞こえた。
◇◆◇◆
フィン・ミルア。それが私の名前。学院を十八で卒業した後、王国第三騎士団付の事務官としてこの王宮で働いている。
そして熊のような男である第三騎士団の団長と、とりあえず付き合い始めたのが二十歳のとき。団長はすでに二十九歳だった。まあ、団長なのでそれなりに年はいっていると思ったけれど、正確に彼の歳を知ったのはお付き合いを始めてからだ。
さらにお付き合いを始めてから一年後、私は団長からプロポーズをされた。どうやら彼は三十という節目の年までには結婚をしたかったらしい。
お付き合い一周年記念日に、彼は指輪と花束を準備して。
「俺と結婚して欲しい」
と言い出したのだ。
とりあえず、あれから始めてみた団長とのお付き合いは、悪くはなかった。元々一緒に仕事をしていたということもあり、彼の性格をなんとなく知っていたから。
付き合って半年後には、私が彼の家に入り浸るようになったけれど、その生活も悪くはなかった。
だから昨日、私は彼のプロポーズを受けた。
受けたんだけど。私は彼から大事なことを聞いたことがなかった。
「そう言えば団長って、何で私と付き合おうと思ったんですか?」
昨夜、彼からプロポーズをされ、目から涙が零れそうになるのを堪えてそれに返事をした。すると彼は有頂天になって、そのまま私を寝台に連れ込んでしまった。その後、二汗かいた頃までは記憶がある。恐らくそこで気を失ったのだろう。気づいたらカーテンの隙間を縫うようにして日の光が差し込んでいる今に至る。
つまり寝台の中で、裸の団長の胸元にすっぽりと収まっている私。
「それは、俺がお前のことを気に入っているからだ」
ふぅんと頷いた私は、団長の金色の胸毛を一本引っ張ってみた。本当は何色かわからないけれど、色素の薄いところの毛は金色にも見える。
「痛っ、何すんだ」
顔をしかめた団長だけれど、私の手の中には彼の胸毛が一本残った。それにふっと息を吹きかけて、どこかへと飛ばす。
「俺の貴重な胸毛に何をするんだ」
団長に押さえ込まれた私は、そのまま延長戦へともつれ込んでしまった。
◇◆◇◆
気が付くと太陽はかなり高い位置にまでのぼっていた。カーテンの隙間から入り込んでいる光の長さが、それを物語っている。
寝台に団長の姿はすでになかった。
手早く身支度を整えると、リビングの方に顔を出す。
「おそよう。腹が減っただろ? 今、食事の準備をしているから、先にシャワーでも浴びてこい」
「誰のせいだと思ってるんですか」
いーっと口を横に広げ、団長を睨みつけてから浴室へと向かった。
付き合い初めて一年、一緒に住み始めて半年。そして昨日、プロポーズをされたから、近い将来、結婚をすることになるだろう。
だけど私は、団長から『好き』と言われたことがない。
濡れた髪のまま首にタオルをぶら下げてリビングに向かうと、私に気付いた団長がドシドシとやって来て乱暴にタオルを奪い取る。そしてそのタオルで私の頭をわしゃわしゃと拭き始めた。
「きちんと乾かせ。それが嫌ならちゃんと拭け。お前の髪は綺麗なんだから、いたわってやらないと可哀そうだろ」
くすんだ灰色の私の髪を、団長は綺麗な髪と言ってくれる。それだけでも心がくすぐったい。
団長が言うには、私の髪は光に当たると虹色のように光るらしい。だけど、残念ながら私はそれを見たことがない。
「何だ、ニヤニヤして。気持ち悪いな」
「だって、団長。お母さんみたいなんですもん。それより、いい匂い。お腹ペコペコです」
上目遣いで団長を見ると、彼は照れたように真っ赤な顔でキッチンの方へ向かっていった。
いつもの席について行儀よく待つ。多分、団長も気が付いていると思う。私が団長のことを団長と呼び続けていることに。
「うわぁ。美味しそう」
団長が作ってくれたのはパンケーキだった。たっぷりハチミツがかけられていて、バターがほんのりと溶け出している。ハチミツとバターが交じり合っているところは絶対に美味しい。一人暮らしの長かった団長は、家事を難なくこなす。だから家事をしてくれる女性が欲しいから、私と付き合いたいと思ったわけではないことだけは、わかっているつもりだ。
「うわぁ、美味しい」
団長の作ったパンケーキは、ほっぺたが落ちるくらいに美味しかった。私が喜んで食べているのを、団長は目を細めてじっと見つめてくる。
「団長と結婚できる人は、本当に幸せ者ですね」
「お前だろ」
「そうでした」
えへへと笑って誤魔化す。
「なあ、フィン」
突然、真顔になる団長。つまり、何か真面目なことを口にしようとしているのだ。
「お前は、いつになったら。その……、俺のことを名前で呼んでくれるんだ?」
いつ言われるのかなとは思っていた。そう思いながら彼と付き合って一年。よく我慢したと思う。彼も私も。
「だって。団長と私って、とりあえずのお付き合いですよね」
一年前、団長からお気に入りと言われた時、私は『とりあえず付き合いましょう』と返事をしたのだ。
「まあ、そうだったかもしれないが。だが昨日、俺はお前にプロポーズをしたつもりだ。お前もそれを受け入れてくれたじゃないか」
「そうですね。とりあえずのお付き合いが実を結んだわけですね」
「にも関わらず。俺のことを名前で呼ばないのは、呼びたくない理由があるのか?」
あると言えばあるし、無いと言えば無い。そしてこの男は気づいていない。
「はぁあああああ」
私は腹の底から長くて深いため息をついた。もしかしたら、海より深いため息だったかもしれない。
「本音を口にしてもいいですか?」
目の前の熊のような男が憎らしくなって、ついそんなことを言ってしまった。すると、今までは熊のような態度だったくせに、熊に怯えるような小動物みたいにおどおどとし始めた。
「私。団長から好きだと言われたことがないんです」
「そ、そうか」
と言う団長の視線は完全に泳いでいる。
「団長、私、知っているんです」
「何をだ?」
「団長が副団長とのゲームに負けたから、それで私を口説けと言われたことを」
ガシャンと目の前の男がフォークを床に落とした。いつもの私ならそれを拾って、新しいものと交換しただろう。だけど今日は、じっと席に座ったまま、目の前の男を見つめていた。
◇◆◇◆
団長とお付き合いをはじめてすぐ、副団長に呼び出された。
『フィン。君さ、本当に団長でいいわけ?』
『何が、ですか?』
『付き合っている相手だよ。君ならもっと他にも選べるんじゃないのか?』
『どういう意味ですか?』
むっとしながら、私は副団長を見上げた。
『だって。団長だよ? 今まで女っ気のなかった団長だよ? あの人、君に愛を囁くの? 君を都合よく使ってたりしないの? それが心配なんだよ。なぁ、団長より数倍オレの方がよくね?』
副団長の自意識過剰は一体どこからくるのだろうか。
『うーん』
私は腕を組みながら言葉を続ける。
『残念ながら副団長って好みじゃないんですよね』
『はぁ? どう見ても団長よりオレの方が格好いいだろう?』
『おお。それを自分で言っちゃうんですか。そうですね、見た目だけなら、一般的には団長よりも格好いいと思います』
『じゃ、オレと付き合う?』
『いえ、間に合ってます』
『あのさぁ、今だから言うけどさ。団長が君にああいうこと言ったのって、ゲームに負けたからなんだよね……』
副団長は楽しそうに、ゲームの内容とその負けたときに何をすべきだったのかということを、ご丁寧に私に教えてくれた。
酒を飲んでいたときにゲームをして、そのゲームで負けた人が罰ゲームをする。その罰ゲームの内容が女性を口説くという内容だったことを。
『だから君は、団長に騙されているんだ』
◇◆◇◆
「で? 罰ゲームで私と付き合いたいって言ったから、私のことを好きだって言ってくれないんですか?」
「そ、それは……」
我ながら、いじわるしたかな、とも思う。
団長は私に向かって『好き』とは言わないけれど、それでも私のことを大好きで大事にしてくれているのは、態度でわかっていたから。
でも付き合う時もプロポーズするときも『好き』と言ってもらえないのは寂しいじゃないか。
「罰ゲームの延長で私と結婚したいと言ったんですか? それで私を罰ゲームに巻き込んでしまった責任を取るつもりなんですか?」
「違う」
団長が勢いよくテーブルに手をついて立ち上がったため、その上にあった食器がガシャンと激しく音を立てた。
「お前に告白をしたのは、ゲームに負けた約束だったからだ。だからってどうでもいい女にあんなことは言わない」
それに、と団長は言葉を続ける。
「絶対に振られると思っていたから、断られても自分が傷つかない言葉を選んだつもりだ」
だから団長は『好き』ではなく『気に入っている』と言ったのか。
「まさかお前からあのような返事をもらえるとは思ってもいなかったから。俺の自惚れかもしれないが、お前は俺のことが好きだったのか?」
「いいえ、全く」
団長の顔が固まった。またこの男は変なことを考えている。
「あのときは、きちんと返事ができるほど団長という人を知らなかったのです。知りもしないのに断るのは不誠実かなと思い、それでとりあえずのお付き合いを提案してみました」
「そ、そうか」
間違いなく団長は動揺している。
「まあ。それでお付き合いを始めてから、団長の良さというものがわかってきたわけです」
「俺の良さ? あるのか? そんなところ」
「ありますよ。まずは料理が上手なところ。家事も一通りこなせます。つまり、生活能力が高い。それから子供達にも好かれている。子供は大人の本質を見抜きますからね。それから私を気遣ってくれし、何より私は団長と一緒にいると安心できるんです」
と、団長の良いところを口にした私だけれど。
もしかして、団長って今流行っているスパダリではないのだろうか。
顔は怖いけれど、よく見れば整っているし。ちょっと表情が怖いだけで、むしろ強面なだけ。
体格は、特に太りすぎでも痩せすぎでもない。鍛えられている厚い胸板とか、整っている容姿に分類されると思う。毛深いところは、スパダリ判定に迷うところだけれど、
高学歴、高収入も、そもそも騎士団長を務めているくらいだからそこも該当する。
性格も良い。子供に好かれていることが何よりの証拠。
あとは、なんだっけ。私を溺愛してくれる。「好き」とは言ってくれないけれど、母親のように世話を焼いてくれる。何よりも、団長が作ってくれるご飯は美味しい。結局、そこに戻る。つまり私は、団長に胃袋を掴まれてしまったってことだろうか。まあ、間違いなく掴まれていると思う。
じぃっと私は団長を見つめてみた。どうやら、また目の前に茹で上がった熊が出来上がってしまったようだ。
「そうか、嫌われてはいなかったんだな。こんな見た目なのに」
団長の悪いところは、自分の見た目に自信を持っていないこと。くらいだろう。
見る人が見たら、ワイルドイケメンだと思うんだ。もしかしたらこれって、付き合っている私の欲目かもしれないけれど。
「そうですね。団長のことを嫌っていたら、とっくに別れていたと思いますけど」
茹で上がった熊は、大きく熱い息を吐いた。
「今まで自分の気持ちを誤魔化していて悪かった。お前から別れを切り出されるのが怖くて」
私としては、団長と別れたいという雰囲気を醸し出しているつもりもなかったのだが。
自分に自信を持たないところが、スパダリとしての減点かもしれない。
「あまり、好きだ好きだと言うと。重い男だと思われて、逃げられてしまうとも聞いたから」
「誰から聞いたんですか、その話」
「ああ、ガイアだ」
あんにゃろめ。副団長は私と団長がうまくいっていることが面白くないのだ。
「団長。私は団長からなら何回でも好きだって言ってもらいたいくらいです。むしろ、今まで一度も言ってもらっていないのですから」
「そうか。重い男だとは思わないか?」
「まあ。団長は物理的に重い男ですからね。これ以上重くなっても、大して変わらないと思います」
「そうか」
そこでやっと団長は笑顔になった。
「フィン。俺はお前のことが好きだ。俺と結婚して欲しい」
まさかのプロポーズのやり直し? そう言えば昨日は、『結婚して欲しい』としか言われなかった。
「はい。私もアレクのことが好きです。どうか私をあなたの妻にしてください」
どうやら私はまたやらかしてしまったらしい。なぜならそのままアレクに寝台まで連れ去られてしまったのだから。
いくら休日でもやりすぎだと思うんだ。
【完】
お読みくださりありがとうございます。
いろいろポチっとしてもらえると喜びます。
では、また次の作品でお会いできれば。