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乙女ゲームにおける宗教事情と暗殺者(のたまご)

 街外れ、海のほとりにほど近い丘陵の上。

 その石造りの建物は、派手な装飾を一切持たず、古びたーーと言うよりは伝統と格式ある佇まいを感じる。

 建物の左右双方には、ふたつの塔がそびえており荘厳な雰囲気を醸し出していた。


「ここはロークルイド修道院だよ」

「修道院?」

「エレヌス聖教が運営している修道院なんだ。……エレヌス聖教についてはもうレベッカから教わったかな?」

「少しだけ」


 私たちは話しながら修道院の入口に繋がる石段を上る。


 この世界で主に信仰されているのは、エレヌス聖教というものである。

 父に答えたように、レベッカの授業ではまだ少ししか触れていない。


 この世界は女神メルディスによって創始されたーーと云われている。


 女神メルディスは天地を創り、あらゆる生き物を生み出した。

 そして女神メルディスは全ての生き物の中から、エレヌスというひとりの人間に祝福を授けたのだ。

 祝福を受けたエレヌスは、この地に国を興し、人々の主導者となった。ーーそれがこのメルディア聖王国の建国にまつわる逸話である。


 建国の際に現在の暦である聖王歴が定められ、聖王歴二〇五六年現在まで、このメルディア聖王国は王朝こそ替われど、他国に脅かされることなくその歴史を紡ぎ続けてきたのである。


 メルディア聖王国が国教としているのが、父の言ったエレヌス聖教であって、これは神の名をみだりに呼んではいけないという教えがあるために、祝福を受けた聖人エレヌスの名を冠してエレヌス聖教とされているのだ。


 修道院の前まで来ると、ひとりの修道士らしき女性が立っていた。


「突然の訪問ですみませんね」

「いいえ、いいえ、とんでもございませんわ」


 修道士の女性は、元日本人の私が想像するシスターのような黒い修道服ではなく、形状こそ似ているがベージュ色の修道服に身を包んでいた。


「カミーユ院長、こちらが娘のピエリスですーーピエリス、この方がここロークルイド修道院の院長カミーユ様だよ」

「アシュレイ家のピエリスでございます」


 紹介を受け、私はスカートの裾を軽く持ち上げてカーテシーの礼をした。


「これはこれは……ご紹介に預かりまして光栄でございますわ。レディ・ピエリス。私はカミーユにございます」


 カミーユ院長は五十代くらいだろうか。それなりにお歳を召しているように見えるが、笑みを浮かべたときに強調されるほうれい線や目尻の皺が、かえって若々しく好ましく見えた。こういう歳の取り方をしたいものである。


 私たちはカミーユ院長の案内の元、修道院内を見学させてもらえることになった。


 このロークルイド修道院は、孤児院のような役割も兼ねているようで、災害や事故によって肉親を失った子どもを保護しているのだそうだ。

 国内にある修道院は他も同じような仕組みであるらしい。

 国営ではあるが、領内にある修道院に対して、領主は様々な支援を行うことが通例のようである。


 エントランスホールから大聖堂、中庭、回廊、食堂、孤児たちの居住スペースと見て回る。


 恐らく父は「領内にはこういう場所もあるよ」と、私に見せたかったのだろう。百聞は一見に如かず。実際に自分の目で見て回ることは大事である。私もせっかく連れてきてもらった場所なので、しっかりと見学しようと注意深く見て回った。


 かつて前世にて観た映画などだと、修道院や孤児院の子どもたちは体罰を受けていたり、過酷な労働を強いられていたり、院長が寄付金を着服していたりと、仄暗く汚い一面も多かったわけだがーー果たしてここはどうだろうか。

 院長であるカミーユは、どうもそういう悪事とは無縁そうな人物に見えるが、見た目や雰囲気だけで判断してはいけない。善良そうな悪人というものは存外たくさんいるものだ。


 と、まあ監査のように比較的厳しい目で修道院内をチェックして回っていたのだが……うーむ、杞憂そうな雰囲気である。


 まず修道士たちだが、院長同様、戒律に則った清貧さを体現したかのような装いで、華美なアクセサリーの類は一切つけておらず、修道服の質も劣等とまではいかないが上等なものでもない。

 修道院で引き取っている子どもたちも、修道士たちと同じような質の衣服を身に着けていて、不衛生な様子はどこにもなかった。それに父は予め訪問の予定を伝えていなかったようなので、前もって体裁を整えておくということも難しいだろうと思われる。

 修道院内はどこも清潔に保たれていて、孤児たちの居住スペースについても八人で一部屋使っているようだが、それなりに十分な広さがあって、それが二十は数もあったことから、無理にぎゅうぎゅう詰めにしているような様子も見られなかった。


 最後に裏庭に案内されたとき、ようやくこの修道院は問題なさそうだと胸を撫で下ろす。


 裏庭の畑には、楽しそうにイチゴを摘んでいる子どもたちの姿があったのだ。


「元気そうですね」

「ええ、今はちょうどイチゴが旬ですからね。娯楽も少なければ贅沢もできませんので、ああして育てたイチゴをおやつに食べるのが楽しみなのですよ」


 子どもたちに向けるカミーユ院長の目は柔らかだ。


「……あれ?」


 そんな微笑ましい光景の中、子どもたちの輪を外れて、ひとり木の陰に座る子どもの姿があった。


「どうかしましたか? レディ・ピエリス」

「いえ……あの紫色の髪の子は……」

「おや、よく髪の色がわかりましたね。とても目がよろしいようで」


 木陰にいるというのに、私には不思議と、その子の髪色が暗い紫であることが手に取るようにわかった。

 私は彼女に見覚えがある。王子ルートなんて一回しかやったことがないのに、不思議とその姿を目にしたとき鮮明に思い出されたのだ。


 ピエリス・アシュレイの名もなき忠実なるしもべ。


 ヒロインを毒殺しようとしたピエリス・アシュレイが、まさか自らの手を使って毒を仕込むわけもない。その役目を担ったのが、紫色の髪をした侍女だった。

 エマの髪は亜麻色だ。アシュレイ家のどこにも、紫色の髪の使用人はいない。


 そうか、ピエリス・アシュレイはこの孤児院で彼女と出会ったんだ。


「あの子はクリスといいます。少し人の気配に敏感なようで、この修道院に来て一年が経つのですが、まだみなと上手く馴染めていないのですよ」

「案内いただきましたが、確かにたくさんの方々がいらっしゃいますからね」


 父が相槌を打つ。

 私は、自分でも無意識に口を開いていた。


「では、私の侍女にアシュレイ家で引き取ることはできませんか?」





 ーーやってしまった。

 ヒロインを毒殺する気なんて一ミリもないのに、どうしてあんなことを言ってしまったのだろうか。


 五歳児である私が、急に活舌もよろしく大人びて意見を言ったものだから、父もカミーユ院長もしばしポカンとして私を見つめていた。すぐにいたたまれなくなって、誤魔化すように「同じ年頃の話し相手がほしいのです……」と言ったところ、ふたりは揃って納得したような表情になったのでほっと息をつく。


 まさか五歳児の戯言が本気で聞き遂げられることもあるまいと油断していたら、フムーーと、顎ヒゲもないのに顎を撫でた父が「それも良いかもしれない」と、賛成してきたので肝を冷やした。いや、なんで。


 院長も院長で「成人したとして、良い就職先に恵まれるとも限りませんから、お嬢様のところで雇っていただけるなら、それほど幸いなこともないでしょうね」と有難そうに言うものだから、すっかり紫色の髪の少女ーークリスをアシュレイ家で引き取る方向で話がまとまってしまい。あとは本人の意思を確認する時間をいただければーーと、本日はお暇することになったのである。


 後日に私が「あれはやっぱナシで」とか、とても言える雰囲気ではない。ああ、やってしまった。


 頭を抱えたが、これまたどうしようもない。

 彼女を私付きの侍女に抱えたとして、普通の侍女として教育して、普通の侍女になってもらえば良いだけの話かもしれない。

 ゲーム作中では名前は登場せず「ピエリスの侍女であり暗殺者」と表記されていたのだが……原作のピエリスは彼女を暗殺者として育てたのだろうか。だとしたら空恐ろしい。


 クリスがアシュレイ家で働くことを拒否すれば、あの人の好さそうな院長であるーークリスに無理強いはさせないだろう。だが、私には不思議と、クリスは働くことを望むだろうと根拠のない確信があった。


 あのとき、自然と言葉が出たことといい……まさか、これが運命による強制力なのか……!? 絶対ゲーム通りのセリフを吐く仕様とかになってたら、ど、どうしよう。


 ワーズロース近郊の屋敷へ向かう帰りの馬車の中で、私はひとり背中を震えさせたのだった。


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