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世界というものは我々人間が生み出しているのだろうか?

「お嬢様、お加減は……」

「おはよう、エマ。良くなったよ」

「! それは良かったです」


 さらに翌日。

 私がピエリス・アシュレイとして覚醒して五日目である。

 いつまでも仮病を使って部屋に引き籠っているわけにもいかないので、今日からピエリス・アシュレイとしての生活を再開することにする。


 ベッドから起き上がって、侍女のエマに身支度を整えてもらった後、私は朝食のために食堂へと向かう。


「おとうさま、おかあさま、おはようございます」

「ピエリス、もう具合は大丈夫なのか?」

「無理しなくてもいいのよ」


 私の体調を本気で気遣っている父と母。私は彼らを安心させるかのように、にこりと笑った。


「いっぱい休んだので、元気になりました!」


 食事の席につき、間もなくして使用人たちによって朝食が運ばれてくる。


 こんがり焼けたクロワッサンがふたつ。ふわふわのオムレツにマッシュポテトとグリルソーセージが添えられている。汁物には見た目も鮮やかなキャロットスープだ。それから数種類の野菜がふんだんに使われたサラダ。パンにつけるジャムはブルーベリー、いちご、マーマレードと三種類とあり、もちろんバターもある。


 うーん、今日の献立も朝食だというのに相変わらず豪勢だ。というか量やっぱり多くない?

 

 ここがゲームの世界だと気づいて、納得したことがいくつかある。

 最初から違和感はたくさんあった。

 だが、それに気づかないようにしていたのは、これ以上考えることを増やしたくないというある種の忌避的本能であったに違いない。五歳児の小さな大脳に二十八歳の思考回路が存在しているのだ。そりゃ脳も見て見ぬ振りをしたくなるものだ。


 違和感、例えば、そう。まさに目の前にある食事。


 私はクロワッサンを手にとり、一口サイズにちぎる。

 外はカリッと中はふわふわのもちもち。こんがりと焼かれたパン独特のかぐわしいクラストの香りが鼻腔をくすぐり食欲を促す。


 ここが中世ヨーロッパに近しい生活水準であるならば、こんな風に柔らかいパンが存在しただろうか。しかもクロワッサンである。


 パンにバターをつけてもぐもぐ咀嚼し、それからサラダ、スープといただいていく。どれもこれも文句のつけようがなくおいしい。


 よく欧州や合衆国の料理は日本人には合わない、という話を聞く。前世のことなので、聞いたという過去形が正しいか。まあ、とにかく、醬油に舌が慣れている日本人が海外で暮らしていると、日本食が恋しくなるというのは誰もがよく聞く話ではないだろうか。

 かくいう私も覚醒して五日になるが、早くも和食が恋しくなってきてはいる。炊き立ての白米に味噌汁、漬物はナスが好きだ。脂の乗ったさんまの塩焼きが食べたい。

 ……そこまで行くと、いかにも中世ヨーロッパなこの世界では贅沢が過ぎるというものだが、幸いなのは「洋食であったとしても日本人の味覚にあった味付けがされている」ということである。


 オムレツもマッシュポテトも、日本の家庭で作られるものよりかは遥かにおいしい。そこは我がアシュレイ家の料理人の腕だろう。そう、まるで高級ホテルのモーニングのような朝食である。


 クロワッサンの最後の一切れを飲み込み、グラスに注がれた水を飲み干す。


 水に関しても、海外だと硬水が一般的だと聞いたことがあるが、今飲んだ水は軟水である。そして日本で一般的に飲まれていた水は軟水だ。私も硬水より軟水の方が好きだ。


 ーー何が言いたいのかと言うと、食に関する全般、あまりにも日本人に合わせて作られているのだ。


 覚醒した日の晩餐なんかは、食卓にずらりと並べられたご馳走を前に、果たしてそれがちゃんとおいしいのか、僅かな杞憂があったものだが、いざ口にしてみると普通にどれも絶品なので、多少の違和感は頭に残しつつも「ご飯がおいしくて良かった」などという感想をのんきに抱いたものだった。


「本日のデザートです」


 そう言われて給仕されたものはプリン・ア・ラ・モード。子どもっぽくなく上品に盛り付けられている。

 異世界転生しても変わらず絶品スイーツにありつけているのは非常に嬉しいが、私は知っているぞ。プリン・ア・ラ・モードは日本生まれの洋食デザートである。





 朝食を済ませて立ち上がると、お腹がきゅるきゅると鳴いた。

 あれだけ食べてまだ空腹というわけもなく、食べ過ぎたのでトイレに行きたいと腹が申し上げている音である。

 食事の後にすぐにお花を摘みに行くのはいささかはしたなくも感じるが、生理現象には逆らうべきではない。


 そうしてお手洗いに向かうのだが、どうして中世ヨーロッパに近しい世界に水洗トイレがあるのか。

 当然疑問に思っていたが、ないよりはいいやと深く考えるのをやめていた次第である。



 ーーといった具合に。

 この世界は王権政治に貴族階級という中世的社会制度が敷かれていて、身の回りのあらゆるものがその時代の様式であるにも関わらず、都合の良いところだけ変に現代染みているのだ。トイレットペーパーまであるよ、ありがとう。


 それもこれも、ここが日本で作られたゲームの世界だからーーと言われると合点がいった。


 複雑な心境である。

 乙女ゲーム『かなメロ』のシナリオ通りかつヒロインが王子ルートに進むとなると、この私ピエリス・アシュレイは断罪の道、悲惨な運命を遂げるハメになるのだが、ゲームの世界というおかげで不便で不自由な生活様式の中に生きていくことを免れている。

 考えても詮無き事だが、不便な中世時代を生きるのと、滅びの運命がある程度定まっているこの世界を生きるのだと、どちらが良いだろうか。


 用を済ませてトイレの水を流す。

 ジャーっという元日本人としては、あって当然の生活音にため息をこぼした。


 こっちの方がマシかなぁ……。


 食事と衛生は何より大事なものである。





 はてさて、ここが乙女ゲーム『奏でてメロディー☆プリンス・カルテット』の世界であることはしぶしぶ理解したが、そうなってくると、どうして私はゲームの世界の中に、それも登場人物のひとりに成り代わって生きているのだろう、という疑問が、当然のようにふつふつと湧いてくる。


 以前に「世界は宇宙を内包しているのか」とかなんとか考えたが、そもそもとしてゲームは人によって制作された架空のものである。それがこうして実体を伴って現実となっているのは、どういうことだろう?

 もしかしたら、世界は人の妄想の数だけ存在するのかもしれない。

 私が生きてきた前世の世界だって、もしかしたら、どこか別の世界の誰かが書いた漫画や小説の世界だったのかもしれない。そうやって、世界は人の考えたストーリーの数だけ存在するのだ。

 ……と、そこまで考えると、歴史上、人類は小柄で非力がため考えることに特化し、知恵を使って地球の支配者となったーーと言われていたが、世界は人の精神から生ずるものであるならば、最初から人類ファーストであったことになる。


 うーん。段々とどうでもよくなってきた。


 レベッカの授業は午後からなので、それまでは時間を持て余すことになる。やるべきことはたくさんあるが、覚醒して五日目でアクセル全開では疲れてしまう。そう思ってトイレを済ませた後、自室のベッドに大の字で転がっていたのだが「世界とはなんたるか」という壮大なテーマに頭が疲れてきてしまった。


 パスカルは言った。

 人は考える葦である。

 思考によって「宇宙を包む」ことができるとかナントカ。そんな意味合いであった気がするが、こんな乙女ゲームの世界に転生した今、パスカルは限りなく正解に近づいていたのではないかと思う。

 かつての思想家たちのように、何かについて考え続けることは大事なことなのだろう。だが、それができるから彼らは偉人と呼ばれたのだ。私にはそれはできない。なんで乙女ゲームの悪役令嬢に転生したのかとか考えてももう疲れるだけである。考えるだけムダじゃない??


 考えてもわからない。そこにはただピエリス・アシュレイとして生まれてしまったという事実だけがある。


 ……というか、まだ乙女ゲームの世界で良かったかもしれない。

 幸いにして、私にはゲームの知識があるし、断罪される未来を持つ悪役令嬢に成り代わったとして、必ずしもそうなるとは決まっていない。私の行動次第でどうにでもなるかもしれないという希望がある。たくさん読んできた悪役令嬢転生系主人公たちも原作という運命をねじ伏せてきたではないか。私にもやればできるよ、たぶん。


 それに、それに何より。ここがB級パニックホラー映画とか不条理デスゲーム漫画とかの世界じゃなくて良かったって、心の底から思うんだ。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] あの……「中世」とありますが、ヴェルサイユ宮殿のようなフランス式庭園は「中世」ではありません。 ヨーロッパの中世は、一般に5世紀から15世紀、歴史的大事件で捉えるならば西ローマ帝国滅…
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