奏でてメロディー☆プリンス・カルテット
この世界にも春夏秋冬というものはあるらしい。
今は春らしく、窓を開け放っていると心地の良い春風が部屋の中に吹き込んでくる。
ふわっふわのベッドに埋もれながら、金糸の刺繍が施されたモスグリーンのカーテンを、春風が静かにそよがせるのをぼんやりと眺めていた。
ピエリス・アシュレイとして覚醒して四日が経つ。
家庭教師のレベッカがやって来たのが一昨日のことで、仮病を使って早速授業をサボったのが昨日のことである。
「お嬢様、お具合は……」
「今日も何だか頭が痛いの」
「では、本日もお休みされるとお伝えしておきますね」
「うん……」
心配げに声をかけてきた侍女のエマにおざなりに答える。
家庭教師がやって来たばかりだというのに、体調不良を訴え部屋から出ようとしない一人娘に対し、誰も苦言をこぼさなかった。つい最近まで廃人同然のぼんやり娘だったのである。サボりかと疑うよりも先に本当に体調を案じているのだろう。それに甘んじて私は堂々とサボる。
もちろん、勉強が嫌で仮病を使ってサボっているわけではない。
「ああ、エマ」
「なんでしょう、お嬢様」
「お昼と一緒に図書室から、何か絵本を持ってきてほしいの」
「承知しましたわ」
「それから、具合悪いから、今日はひとりでいたい」
「では、そのように」
ひとりにしてくれと言っても、もしかしたら親バカな気が垣間見える母はそのうち見舞いにやって来るかもしれないが、極力ひとりで部屋に閉じこもっていたかった。
バタンと扉が閉じられた音を聞いて、私はがばりと立ち上がる。
急いで子ども用の小さなデスクへ向かうと、オーク材の趣味の良い彫刻の施された引き出しを勢いよく開けて、中から筆記具を取り出す。
羊皮紙なんて前世日本ではお目にかかったことはないが、この世界でもお目にかかることはなかった。
取り出したものは、さらさらと触り心地の滑らかな紙質の厚いノートと、羽ペンである。
羽ペンとインク瓶なんて使ったことがなかったため、うまく扱えるだろうかと微かな心配もしたが、どうやらこの羽ペンは魔道具らしく、ペン先をインクにつけなくとも無限にインクが出てくる代物だった。日本で言うボールペンに近い。
私はノートと羽ペンを持って、再びベッドの上に横たわる。
ノートの表紙をぺらりと一枚捲った。
そこには震えた文字で『奏でてメロディー☆プリンス・カルテット』と書かれている。昨日、私が顔を蒼白にして書いた文字である。
「はあああああ」
深いため息をついた。
このちょっとアホっぽい文字列は、前世の世界において日本で発売されていた、とあるゲームのタイトルである。
目を固く瞑り、こめかみを羽ペンを持った手でぎゅうぎゅうと押す。
一昨日のことだった。
魔法が存在していると知ってテンションの上がった私は、それはもう魔法について色々と知りたがった。そんな私に対して、レベッカは五歳児にもわかりやすいように丁寧に様々なことを説明してくれたのだが、そのときに「王立ネロガン魔術院」というワードが出てきたのだ。
『魔力を持った者は、みな十五になると王立ネロガン魔術院に通う必要があるのですよ』
ーーと。
そこで奇妙な引っ掛かりを覚えた。
既視感? いや、単にどこかで聞いたことがあるだけだ。
でもどこで?
この世界のことなんて、私が知っているはずもない。
その後のレベッカの話は、正直言ってうろ覚えだ。”王立ネロガン魔術院”という言葉の引っ掛かりが気になってしまい、集中できなかったのである。
そうしてようやく”王立ネロガン魔術院”という言葉を、どこで聞いたのか、見たのか、思い出したのはその夜のこと。
ベッドにお行儀よく寝転がった私は、カッと目を見開いて叫んだのだ。
ーーこれ、『かなメロ』じゃん!!
……。
どうしてゲームとか漫画のタイトルって大体四文字くらいに省略されるのだろう。その方が日本人にとっては耳障りが良いのかしら?
乙女ゲーム『奏でてメロディー☆プリンス・カルテット』も例に漏れずファンからは『かなメロ』と通称されていた。
うわー……めっちゃやった。めっちゃやったよ、このゲーム。
そのゲームを制作した会社はたぶん結構有名ではない小さな会社で、ソシャゲも含めて色々と制作はしていたらしいが、ヒットしたものはこの『かなメロ』くらいだったと記憶している。
ファンからは「タイトルとストーリーが薄い」と厳しい声が上がっていた『かなメロ』だが、にも関わらずヒットした理由は、楽曲の良さと個性的で美麗なキャラクターのビジュアル(絵師の良さ)そしてその難易度にある。
キャラクタービジュアルに力を入れるのは乙女ゲームなら当然として、何故『かなメロ』が楽曲に力を入れたかと言うと簡単なことである。
”乙ゲーム×音ゲー”、それ故のタイトル『奏でてメロディー☆プリンス・カルテット』。
このゲームを最初にプレイしたのは高校生のときだった。
社会人になってからはロールプレイングゲームやシミュレーションゲームなどなど、様々なゲームで遊ぶようになっていたが、当時の私はコンシューマーゲームなるものをプレイしたことはほとんどなかった。友だちの家で某有名なちょびヒゲおじさんのパーティーゲームをちょっと触ったくらいである。
ではゲームというものと全くの無縁であったかと言うとそうでもなく。どちらかというと私はゲームセンターでリズムゲームを嗜むような学生だったわけである。
そんな私が『奏でてメロディー☆プリンス・カルテット』などというやや迷走気味なタイトルをした乙女ゲームをプレイするに至ったのは、同じ吹奏楽部に所属していた友人から勧められた、というのと、それが音ゲーであったからだった。
華の高校生であるにも関わらず、あまり恋愛というものに興味が持てなかった私は「乙女ゲームなんて……」と最初は気が進まなかったのだが、音ゲー要素があるとのことで、また友人から「曲がいいんよー! 曲が!」と熱弁されたこともあって、まあ物は試しかと友人からハードごと借りプレイすることになったのだ。
そしてあっという間にドはまりした次第である。
当時の技術にしては美麗なグラフィックであったと思う。
だがそんなものより私は曲とそのゲーム難易度の虜となった。
クラシックを取り入れたEDMーー洗練されたヴァイオリンのメロディラインに挑戦的なダンサンブルなEDMが恐ろしくマッチしていて、まだEDMが日本でそこまで流行っていた時代ではなかったから、その新しい音楽の在り方に戦慄したのをよく覚えている。しかも音ゲーとしてもよくできていて、シンプルに難しい。そんなやりごたえもあるゲームだからこそ、私は嘘みたいにドはまりしたのだ。
余談だが『かなメロ』の楽曲は本当によくできていて、楽曲アルバムがよく売れたのはもちろん、発売から十年が経っても大手動画配信サイトなどでは「永遠に聞いていられるゲーム音楽集」やら「テンションが上がるゲーム音楽トップ50」やら、そういった類の動画には必ず選ばれる具合である。
話を戻そう。
王立ネロガン魔術院が乙女ゲーム『かなメロ』の舞台である学院であることを思い出した私は、とてもその夜は寝れなかった。
姓がアシュレイであったかは思い出せないが、ピエリスという名前のキャラクターは確かに存在していたとまで考えて確信する。
これって、乙女ゲームの悪役令嬢に転生しましたーーってやつ!!
ピエリスというキャラクターは、確かにこんな風にプラチナブロンドの髪をした美女だった。五歳児の現在ではさほど気にならないが、十五歳の彼女はやや釣り目気味の若干キツそうな印象のあるビジュアルである。
ゲームでの役回りはと言うと、ヒロインのライバルに位置するいわゆる”悪役令嬢”というやつで、ヒロインが王子ルートに入ると対立するシステムだ。テンプレである。加えてその悪役令嬢の末路もテンプレである。言わずもがなお察しであろう。
私は眠りにつけぬまま、枕を涙で濡らして朝を迎えた。
家庭教師のレベッカから聞きたいこと、教わりたいことはたくさんあったが、今はそれどころではない。心と頭と情報の整理をまずはすべきである。
そうして昨日、仮病を使って部屋に引き籠った私は、今日も今日とて同じように情報の整理に没頭することにしたのだった。
ノートを開いた私は昨日書いた、覚えている範囲のゲームシナリオや登場人物を読み返す。
『奏でてメロディー☆プリンス・カルテット』
舞台:メルディア聖王国、王立ネロガン魔術院
物語の開始軸:十五歳
登場人物:
ヒロイン※デフォルトネームは思い出せない:
・ピンクの髪と瞳、三つ編みのおさげ(物語中にショートカットボブになる)
・天真爛漫で純真。乙ゲーヒロインテンプレの天然。
・男爵家の娘、女神メルディア? メルディス? の加護を持っていて男爵家に引き取られた。音魔法が得意。
王子※名前忘れた(攻略対象①):
・正当な王位後継者、金髪碧眼のテンプレ王子。
・王子ルートのライバルはピエリス。
リヒト※姓忘れた(攻略対象②):
・王子の側近。騎士。
・灰色の髪に青い瞳。穏やかな性格で常識的。
・プレイするときはいつもこのキャラを攻略していた。
・リヒトルートのライバルはキャメル。
教師※名前忘れた(攻略対象③):
・優秀な魔導士だったはず。黒髪赤眼。
・このキャラのルートやったことないからわからない。
生徒A※攻略対象④:
・赤髪、軟派枠。
・神官見習いとかだった気がする。このルートもやったことない。
昨日ウンウン唸りながら書きだしたのはここまでだ。
……全然覚えてないやん。
「はあああ」
再び重いため息が口からこぼれる。
蘇った前世の記憶の最後は、赤坂のコンサートホールにいたときのものだが、確かそのひと月前くらいに『かなメロ』をプレイしてなかったっけ? 何故か最新のハードで移植版が出たからつい買ってしまったのだ。そして夜遅くまで例のごとく熱中していたはずなのだが?
……まあ、人間の記憶力というのはこんなものなのかもしれない。
異世界転生悪役令嬢系の漫画とかだとスラスラ今後の展開について思い返す描写が多かったように思うが、現実はこんなものだ。むしろ”王立ネロガン魔術院”というワードだけで『かなメロ』を思い出せた自分を褒めてあげようと思う。
ええと、それで。
私は今後どうしたら良いんだ?
王子ルートなんて一回しかプレイしたことがないからシナリオの細かいところなんて、てんで覚えていない。
ピエリスがヒロインを毒殺しようとして……だが毒を飲んでしまったのは王子の方で、王子は死にそうになるが……それをヒロインが魔法で救う……。
昨日も思い返した顛末を頭の中でなぞって、頭痛がした。
確かその後のピエリスについては詳しく描写されていなかったはずだ。唯一、王子の「彼女は法によって裁かれるだろう」というセリフのみ。なんだが、まあ普通に考えて王族に毒飲ませたってなったら、反逆罪やら何やらで死刑もしくはそれに準ずる刑罰が妥当かと思われる。
これって私が毒殺なんて企まなければ万事解決する? よくある”運命による強制力”? とか働かないだろうか。ものすごく心配になってきた。
あー、魔法学校行きたくないなぁ。
あんなにも夢にまで見た魔法学校だというのに。気分は落ち込みっぱなしである。
しかし魔力を持った貴族は必ず入学することが義務付けられているから、どうあがいても入学は避けられないのだろう。だったら私は全力で魔法学校生活を楽しみたい。そもそもヒロインが王子ルートに入らなければピエリスはほとんどストーリーとは無関係になる。
どうかヒロイン、別の攻略対象を狙ってくれますように!
私は目を閉じて真剣に祈りを捧げた。