シスター・コンプレックス
「実はですねーー兄のスヴェンも、転生者なんです」
シェーマ王立劇場の人払いがなされた休憩室で、目の前のソファに座るアリアは、のんびりとした口調でそう言った。
「え? スヴェン・モロン?」
「はい~、双子の兄ですので~」
「なるほど?」
転生者の双子の片割れは転生者だとでも決まっているのだろうか。いや、別にそういうわけでもないだろう、知らんけど。
予想外の事態に、頭がうまく働かない。あの推定隠しキャラと思われるスヴェン・モロンも転生者???
「それで~、スヴェンが以前私に『そういえば、お前は”かなめろ”を知ってるか?』と、聞いてきたことがありまして」
「ええと、アリアは……その、『かなメロ』を知らないのね?」
「聞いたことないですねぇ……兄も結局教えてくれなかったし。何なんですか? ”かなめろ”って」
私は答えに窮した。
転生者であるというスヴェン・モロンは、ここが乙女ゲームの世界であることをアリアに伝えていない。
何の意図があってそうしているのかわからないが、わからない以上勝手に伝えてしまうことは、まずいのではないか。
「わたしーー」
私も知らないーーと、嘘をつこうとして、何だか言葉が出てこなくなった。言葉がつっかえるのは、後ろめたさか。
この世界で初めて会った懐かしい異世界を知る同胞に、きっと私は嘘をつきたくなかったのだ。
「私は知ってる、けど……お兄さんから聞いた方がいいと思う……ごめんね」
申し訳なさそうに言えば、アリアは「ええ~」と少し不満げにした後、
「ま~、いいですよぉ。スヴェンも『お前が知ってるといいことにはならない』って言ってたので~」
と、微かに苦笑した。
「お兄さんとは仲がいいのね」
「それはもう、前世からの仲ですからねぇ」
「へ?」
何だか今日は次から次へと驚きがやって来る。
「前世でもなんと兄妹だったんですよ~、なんかもう生まれ変わっても兄妹なんて、笑っちゃいますよねぇ」
どうせなら今度は私が姉が良かったなぁーーなんてアリアが冗談混じりに言ったところで、コンコンコンと、扉が控えめにノックされた。
結構話し込んでいたようだ。休憩室のテーブルに置かれている時計に目をやれば、それなりに時間が経っている。
どうぞ、と短く入室を促せば、扉を開けて姿を現したのはレイラークだった。
「ごめんごめん、ふたりとも~。なんか話が長引いちゃってさ」
「いえいえ~、楽しくお話ししてましたので大丈夫です」
「飲み物持ってこようかと思ったんだけど、もうこれどっかカフェでも入っちゃった方がいいかなって」
レイラークは言葉巧みである。軽薄だのなんだの普段思っていたが、このときばかりは感謝した。
劇場のエントランスホールに戻り、外へ出ると、クリスが私たちを待っていた。
「ピエリス様、おかえりなさいませ。楽しめましたか?」
「ええ、とっても良かったわ。クリスは?」
「色々と買わさせていただきました。ーーこれはお返しします」
そう言って銀色の懐中時計が差し出される。
それを受け取って、ついでに時間を確認する。夜の六時前。
「この後はどうしましょう。ディナーを王都で食べていってもいいけれど……さすがにモロン男爵は心配されるかしら?」
私の父と母も過保護ではあるが、幼馴染のレイラークと一緒であれば、夕食を外でとってきてもとやかく言われないだろう。過去に数度ある。
しかしモロン男爵家の方はどうだろうと思って、アリアに尋ねてみれば、アリアは少し唸って「父がーーというより兄が心配するかもしれません」と言った。そのときだった。
「アリア!」
声を荒げて、こちらへと走り寄ってくる人影があった。
ウェンディル家の護衛騎士たちが、やや体を半身捻って前へ出る。レイラークはその声の主を見止めて、それを手で制した。
「あれ? お兄ちゃん?」
やって来たのは、今日は来れないはずのスヴェン・モロンだった。
襟元や袖口に控えめな金糸の刺繍が施された、シックな黒い外套を羽織っている。いつもは魔術院の制服姿なので、なんだか新鮮である。
「今日は”お見合い”じゃ……?」
「終わったから王都に寄ったんだ」
スヴェンは少し息を切らしていて、本当に急いでやって来たのだとわかる。レイラークが私の肩をつついて小声で「シスター・コンプレックスってやつ?」と言ってきた。私は静かに頷く。
スヴェンはこちらをキッと鋭い目で振り返った。……耳聡く聞こえてしまったのだろうか。
「レイラーク様、本日は妹を観劇にお誘いくださり、ありがとうございます。そろそろ父も心配いたしますので、私たちはこれで」
「ええ~」
アリアが不満げな声を出す。
スヴェンは至って丁寧な口調だが、どこか棘を感じるのは気のせいではないだろう。というか、たぶんだが私に対して敵対心があるように思える。
なんでだ? 私何かしたっけか。
一瞬はて? と思ったものの、すぐに私は、自分が悪役令嬢ピエリス・アシュレイであることを思い出した。
アリアが言ったのを鑑みるに、恐らくスヴェンは前世で『かなメロ』をプレイした、もしくはタイトルだけでも知っていたのだろうーーいや、タイトルを知っているだけでは、ここが『かなメロ』の世界だと一致させるのは不可能……となると、やはり少しは内容を知っていることになる。私が悪役令嬢という役回りのキャラクターであることを知っていてもおかしくはなかった。
「あらら、おれとしては、もうちょっとゆっくりしたかったけど、お迎えが来ちゃったんならしょうがないな」
レイラークはスヴェンの警戒心を知ってか知らずか、頭の後ろで手を組んでのんびりとした口調で言った。
「それでは、私どもはこれでーーほら、アリア行くぞ」
「え、え、もう! ピエリス様、レイラーク様、本日はありがとうございましたぁ! 楽しかったです、また学園で~!」
スヴェンに腕を引かれたアリアは慌てて私たちにお礼を言う。ぶんぶんと手を振る姿はあっという間に見えなくなっていった。
「……まあ、あんだけかわいい妹だったら過保護にもなるか?」
呆れ気味のレイラーク。
前世においても妹で、かつその妹が、乙女ゲームのヒロインというポジションに転生したとなれば、ああして心配してしまうのも仕方ない気がした。悪役令嬢と一緒にいたし。
「アリア様ったら、ちょっと天然っぽいしね」
「たしかに」
私たちは少し笑いあってーーふ、とレイラークは急に真面目ぶった顔をした。
「それじゃあ、本日のお礼にディナーをお付き合いいただいても? レディ」
「あら、そんなんでいいの? ーー喜んで」
そうして、その夜は王都にあるレストランで食事をして帰宅したのだった。
*
王立ネロガン魔術院の本棟三階には、食堂とはまた別にカフェテリアが設けられている。
私はそのカフェテリアの一席に座って、目の前でぼとぼとと、次々にカップへと投入されていく角砂糖を、引き攣った顔で眺めていた。
あの観劇の日から、二週間が経った。
王立ネロガン魔術院での授業は相変わらず座学ばかりだ。
まずは基礎からーーということなのだろうが、いい加減一度くらい呪文を唱えてみたいものである。
さて、今日も今日とて、いつも通りに授業を終え放課後になったので、さあ帰るかというタイミングで、教師シアに声をかけられた。
珍しいこともあるものだ、と思ったのも束の間、どうやら私ーーピエリス・アシュレイだから声をかけた、という風ではなく、談話室に残っていた生徒のうち、たまたま目に留まった生徒に声をかけたーーといった様子だった。それで言うと、私の母譲りのプラチナブロンドの髪は人目を引くと理解しているので、たまたま目に留まる確率も高そうである。
そしてアリアへの言伝という雑用を賜ったのだが、アリアはもうとっくに談話室を出て大広間の方へーーオベリスクのある部屋へ向かってなかったっけ?
私は慌ててアリアを追いかけ(公爵令嬢として見苦しくない程度に)、なんとか呼び止めることができて、教師シアの言伝を本人へ知らせたのだ。今日この後用事があるという内容だったので、アリアが帰ってしまう前で良かった。というかそういう内容なら、ちゃんと前もって本人に報せておけよシア、と思わなくもない。
そこで気になったのは、「二階の空き教室」というワードに考える素振りを見せたスヴェンだ。
そして間髪入れず「おれも行く」とでも言い出しそうだったので、思わず、アリアの用事が終わるまで一緒にお茶でもどうかと誘ったのだった。普段はにこにこと、人の好さそうな表情を浮かべているイケメンが、一瞬、忌々しそうに悪鬼のような顔を覗かせたのは見間違いではないだろう。
そんな経緯があって、今私はスヴェン・モロンとカフェテリアで対面しているのだがーー
「…………」
「…………」
無言である。
カフェテリアには、学級問わず様々な生徒たちが思い思いに寛いでいた。
何かと話題になりがちなモロン男爵家の長男と、三大公爵家の私が一緒のテーブルに着いているので、やはり気になるのか、こちらをそれとなく窺う視線もちらちらとある。
そんな視線もどこ吹く風ーーといった調子で、目の前のスヴェンは涼しい顔をしているのだが、私たちの間に流れる空気の、なんと悪いことか。
スヴェンが紅茶の中に六つ目の角砂糖を入れようとしたところで、私は意を決して口を開いた。
「入れすぎでは?」
銀製のシュガーポットに伸びていた指がピタリと止まる。代わりに、男のくせに白魚のようにほっそりとしたそれは、シュガーポットと同じ銀製のトレーに乗ったミルクピッチャーを持ち上げた。
スヴェンの前に置いてあるカップには、キリマンジャロのどこかフルーティーな香り漂うコーヒーが入っているが、やはりミルクも大雑把にどぼどぼと注いでいくので、良質な風味もコクも台無しである。どうでもいいけど、この世界にはキリマンジャロという山はないのに、どうしてキリマンジャロコーヒーは存在するのだろう。
「……それにしても、シア先生は何の用事があったんでしょうね」
「おおかた、音楽祭関係でしょう」
ずっと黙ったままでいるのも居心地悪いので、話題を振ってみれば、素っ気なく返される。
優雅にコーヒーカップに口をつける姿はずいぶんと様になっていた。しかし甘ったるそうである。
「……一回生から音楽祭に出演する生徒は、アリアとーー後は王太子殿下だけですから、きっと王太子殿下と音楽祭について何か話を聞いているのだと思いますよ」
「なるほど」
やけに詳しい。私は”そういうの”があったかてんで覚えていないが、やはりイベントのひとつだったのかもしれない。
本当なら、せっかくスヴェンとふたりでいるのだから、色々と聞きたいことが山ほどあったのだが、あいにく傍らにはクリスが控えているし、周囲には他の生徒たちの目もある。互いにテーブルへ身を乗り出して、小声でこそこそ話をするわけにもいかなかった。
まあ、いつ渡そうと思ってたから、ちょうどよかったかも。
私はおもむろに鞄から(これも魔術院の指定鞄だ)、一冊のノートを取り出した。赤茶の本革で装丁された分厚いノートだ。
「スヴェン様、これを」
「……これは?」
差し出せば、スヴェンはカップをテーブルへと置いて、ノートを受け取る。
「魔術式が組み込まれてますね?」
「あら、よくお分かりですね」
素直に感心した。道具に魔術式が組み込まれているかどうかを見定めるには、色々とコツがあって難しいと聞いている。
「それは伝達帳ですわ」
伝達帳ーー手紙も即日で届くこの世界だが、手紙というのは暖炉前でないとすぐに受け取れないものである。この伝達帳というノートは、手紙よりももっとダイレクトな文字通信を目的としたものだ。この伝達帳は二冊でワンセットとなっており、片方に記入した文字が、リアルタイムでもう片方にも反映されるーーそういう仕組みになっている。
スヴェンは伝達帳についての知識はさすがにあるのか、一瞬眉根を寄せた後「もう一冊はあなたが?」と言った。
「ええ、ぜひ色々とお話ができたらと思いまして。ーーアリア様からすでにお聞き及びでしょう?」
「…………」
何をーーとは言わない。私も彼らと同じ転生者であることだ。
スヴェンはほんの少し考えた素振りを見せた後、素直にそのノートを受け取った。傍に控えるクリスが物言いたげな雰囲気を醸し出しているが、無視だ、無視。
「ピエリス様~、スヴェン~! 用事終わりましたぁ」
と、そこにちょうど良いタイミングでアリアが戻ってくる。
その姿を認めて、スヴェンは静かに席を立った。
「アリアも戻ってきたので、私はこれで失礼します」
「ええ~……私もお茶したぁい」
「今日はレッスンがある日だろ」
むう、と口を尖らせるアリア。
レッスンとは音楽祭に向けて、だろうか。ゲーム通りであれば、アリアは声楽で音楽祭に挑むこととなる。
まだ彼女の歌声を聞いたことはない。純粋に楽しみだ。
私が「またの機会にお茶しましょう」と、好意全開の笑みを向ければ、やはり好意全開の微笑みを返してくれるアリア。実に平和である。不穏なところが今のところただの少しもない。これで断罪の未来など本当にあり得るのだろうか?




