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魔法が存在する世界

 朝食の後、これから仕事に出かけるのだという父の見送りをすることになった。

 父の職場は王宮だという。

 王宮、つまりは王都にある宮殿である。

 日本のサラリーマンよろしく「そろそろ行かないと遅刻するな」なんて言ってエントランスホールへ向かう父。


 ……え? ここ、そんなに王宮に近いところにあるの?


 もしかしてこの屋敷は王都にあるのだろうか。

 この世界の交通手段なんて知る由もないのだが、こんな中世感丸出しの世界観でまさか電車だとか自動車がある、ということはないだろう、たぶん。

 馬車や馬ーーというのが一番しっくりくるのだが、やはりそうなってくると、この屋敷は王都にあると考えるべきか。

 とかなんとか。

 つらつらと考えていたが、結果として現実は想像の遥か斜め上を行った。


 厳格な雰囲気を持ったエントランスホールの、これまた重々しい扉が開かれる。


 そこには美しい庭園が広がっていた。


 ”中世貴族の庭園”と言うと、大した知識のない私の頭の中では、ヴェルサイユ宮殿に代表されるようなシンメトリーで人工的な、いわゆるフランス式庭園が想像される。

 しかし開け放たれた扉の先にあったものは、芝生の絨毯でも精密に刈り込まれた生垣でもなく、拍子抜けに長閑なーー牧歌的な自然美だった。


 屋敷自体は庭園より高いところにあって、その展望テラスから眼下の庭園までは同心円状の石造りの階段が広がっているのだがーーその庭園のなんと広いことか。


 突如として現れた広大な自然に、私はただただ気圧された。


 前世にて私は、二十八年の人生の全てを、東京のコンクリートジャングルで過ごしたのだ。

 仕事が忙しくてまとまった休暇はとれないことがほとんどだったから、海外旅行にも行きたい行きたいと言うばかりで終ぞ行くことはなく、たまの休日には映画館か劇場、コンサートホールにいそいそと足を運ぶくらいである。つまりこんな自然が身近にあったことは今まで一度だってなく。テレビの液晶画面や写真越しにしか見たことのなかった風景に、すでに認めたはずのリアリティが急速に失われていくのを感じた。夢だろ、こんなの。


 宙を踏むような心地のまま母に手を引かれ、階段を降りる。


 階段を降りた先は大きく開けており、半円形の池の前に日時計と思しき白いモニュメントが置かれていた。

 日の光を浴びてキラキラと輝く水面。

 辺りに散りばめられた色とりどりの花が、時折吹く風にその花弁を揺らす。

 テラスの壁面や遠目に見える屋外回廊の列柱にも、無遠慮に花や枝木が誘引されているというのに、不思議とそこに視覚的なうるささはないーー


 素晴らしく贅沢な空間だった。


 そして「これ本当に王都か?」と、あまりにも都会とはかけ離れた敷地の広さに疑問を抱いたのも、束の間。

 日時計の前まで歩いた父がこちらを振り返った。


「それじゃあ、行ってくるよ」


 整列した使用人たちが恭しく頭を下げ、母が「お気をつけて」と言う。馬車とか、何もないけど?

 頭の中をクエスチョンマークでいっぱいにしつつ、父が私に微笑みかけた(ように見えた)ので、控えめに手を振ることにした。それを見て父は満足げに笑みを深め、手を振り返した。そしてーー


 目を瞬かせる。

 ぱちり、ぱちり。


 そこにいたはずの、父の姿がない。

 母と繋いでいない方の手で目をこする。が、もう一度そこを見るも、あるのは白い日時計だけ。


「ふぇ?」


 思わず、幼女らしくかわいい声が私の口から漏れた。





 家庭教師としてやって来るレベッカは、母の従姉妹だと言う。

 私が三歳のときに家庭教師として一度会っているらしいのだが、そのときの私は覚醒前でぼんやりした廃人同然の子どもだったので、授業どころか会話さえ成立せず、一時中断となった経緯がある。

 しかしまあ、ぼんやりした子どもでなかったとしても、三歳から家庭教師をつけるというのは頑張りすぎではないだろうか。それとも中世の貴族ってこんなものなの? 色々思うところはあったが、前世の記憶を取り戻した私としては、知りたいことも多く、早いうちに家庭教師がつくことはありがたい。


 それになにより、魔法について、知りたかった。




「おとうさま、い、いなくなっちゃった……」


 そこには白い日時計だけが静かに佇んでいる。

 愕然として母の手を引けば、母は「ふふ」と笑って「魔法よ」と言った。


「ま、ほう」

「そう、あれはオベリスクって言うの」

「おべ、り、すく??」


 さながらオウムのように母の言葉を繰り返す。

 まほう、まほうと頭の中で何度か反芻して、それがようやく”魔法”と正しく認識されたとき。私の胸の中にぶわわと湧き上がってきたものは何と言うべきか、言葉にし難い。


 魔法が、あるんだ……。


 日本に生きていた頃は、徹夜で仕事なんかをしているときに「どうして十一歳の誕生日に魔法学校から手紙が届かなかったんだろう」と、死んだ目をして結構本気で考えたものだった。これを現実逃避と言う。ちなみに自宅のクローゼットにはローブと杖もある。大阪にあるテーマパークに遊びに行ったときに購入したものだ。

 つまるところ、前世では空想上にしか存在し得なかった魔法というものに、私は虚しいほどの憧れとロマンを抱いていたのである。二十八にもなって定期的にレプリカの杖を振っては呪文を唱えていたくらいだ。傍目からしたらただの痛い女である。誰も見てなかったのでセーフとしよう。

 だがどうだ。

 そんな渇望したロマンが、この世界には存在している。


 魔法というものが存在していると理解した後、私は魔法について色々と母に尋ねようとした。

 だが、母は母で何やら仕事があり忙しいようで、


「ごめんなさいね。レベッカが来たら教えてもらいましょうね」


 と言って、自室へと籠ってしまった。

 母も本当は娘ともっと話していたいのか、名残惜しそうな顔をしていたから、たぶん本当に忙しいのだろう。


 出鼻を挫かれたような気分になった私は、もどかしく思いながら使用人たちに「魔法ってなぁに」と聞いて回ってみたのだが、アシュレイ家の使用人教育の素晴らしいことかーー自分たちがこの真っ白な状態のお嬢様に変な先入観や知識を植え付けてはならないと言わんばかりに、「私では知識不足でございますので、レベッカ様がいらっしゃいましたらお聞きくださいませ」と、少しの情報も漏らさない徹底ぶりであった。

 そんなわけで、私は家庭教師レベッカの訪問を首を長くして待つことになったのである。



 ーーそして、午後。


 昼食を母とともに終えた後、私は母とともに二階にある談話室でレベッカがやって来るのを待っていた。

 母はメガネをかけて何やら大量の書類に目を通しており、いつもの穏やかな顔も険しく見えて、やはり忙しいのだろう、とても「魔法ってなぁに」と邪魔をする気にはなれなかった。手持無沙汰に窓から外を眺める。


 オベリスク。

 半円形の池の前に鎮座する白い日時計は、確かに日時計でもあるらしい。上から眺めていると、その影が時計の針のように見える。

 それにしても、日時計があるということは、時間の概念は前世での世界とそう変わらないのだろうか。

 異世界であっても、魔法というものが存在していたとしても、我々人類は地球という惑星に存在していて、太陽の周りを公転しているのは変わらない? 世界とは宇宙を内包してそれぞれ存在しているのかもしれない。


 暇すぎて、世界とは何たるかという壮大な物語に想いを馳せていると、眼下のオベリスクの前に、ひとりの女性が現れた。


「おかあさま!」


 思わず声を上げる。


「あら、レベッカが来たのね」

「うん!」


 いや知らんが、たぶんレベッカで合っているのだろう。

 私はメガネをテーブルに置く母に、早く早くと急かしエントランスホールへ走って向かう。

 侍女のエマが「お嬢様ったら本当に元気になられて……」と涙ぐんでいたが、それどころではない。


 エントランスホールに繋がる中央の大階段を途中まで降りると、すでに使用人たちによって屋敷へと出迎えられた緑色のドレス姿の女性が、ショールと小さなスーツケースを執事に預けているところだった。

 亜麻色の髪をしたその女性は、なるほど母の従姉妹らしくよく似た顔つきをしている。ちなみに母は儚げな印象の美人で、こちらのレベッカは溌剌とした雰囲気の美人である。


「あら、ピエリスちゃん?」


 こちらに気が付いたレベッカが驚きの声を上げる。

 三歳のときには廃人よろしかった私が、バタバタと駆けて来たからだろう。しかし、母と同じ灰色の大きな目が私を見据えたとき、私は思わず立ち竦んでしまった。


 やばい、何も考えてなかったけど、どう接すればいいんだ、これ。


 世の中の五歳児ってどんな感じだろう。

 前世で二十八年も生きてきたものの、周りも未婚者が多かったため幼子と接する機会はほとんどなかった。気まぐれにピアノの先生の真似事のようなことをしていたが、対象としていたのは十歳ほどの子どもたちだったので、一般的な五歳児がわからない。母や父、使用人たちに対して気にしていなかったが、そもそも五歳児って会話成立する?

 などなど。

 身の振り方が急にわからなくなった私はうろたえた。


「ふあっ!」


 階段であるにも関わらず、思わず後ずさりしようとして段差に足を引っ掛け案の定尻もちをつく。お尻が痛い。滑り落ちなくて良かったと肝を冷やしつつ、遅れて母がやって来たので、小動物のような俊敏さで立ち上がっては母の後ろに隠れた。


「あらあら」


 母のドレスをぎゅっと握って隠れる姿はいかにも幼女である。ふたりの女性がその微笑ましい光景に頬を緩めている。咄嗟のーー反射的な動作であったにしては完璧だろう。結果オーライというやつだ。



 こうして家庭教師となるレベッカと邂逅を果たしたわけだが、私はすぐにレベッカと打ち解けることができた。


 レベッカが非常に大らかで人の好い人物像であったこともそうだが、魔法に対する好奇心が抑えられなかったことが大きい。

 母はレベッカと少しの間談話室で言葉を交わした後、身内であるからか後は万事任せましたといった具合で仕事に戻ってしまった。放任すぎやしないかとも思ったが、それほどレベッカを信用しているのかもしれないし、早く魔法について知りたい私にとっても都合が良かったので、そこに文句はない。


 少しのとりとめのない会話をして、私はオベリスクを皮切りに魔法についてレベッカから教わることになった。


 まず、オベリスクについて。


 庭先にあった日時計は、確かに日時計でもあるのだが、この世界では一般に”オベリスク”と言われる空間魔法を利用した瞬間移動装置なのだそうだ。

 空間魔法で指定されたオベリスクへ、別のオベリスクから飛ぶことができるらしい。

 私がいるこの屋敷はアシュレイ家の領土にあって、王都とは普通馬車で移動したら数日はかかる距離にあるのだとか。だが、一瞬で行き来することができるオベリスクがあるから、父は王宮勤めであっても自宅通勤を可能としているとのこと。便利すぎる。

 防犯面がやや気になるところではあったが、その辺は法律で色々と取り締まられているらしい。五歳児では理解が難しいとさすがにレベッカは思ったようで、詳しくは教えてもらえなかった。


 そして魔法についてだがーーそもそも、この世界には魔力を持った人間と、持たない人間とがあるらしい。魔力量も人によってまちまちで、全ての人間に等しくあるものではないのだそうだ。


 それを聞いて、私には魔力があるのだろうかと不安になった。


 前世の世界のように、最初から魔法なんてものが存在しないのならば諦めもつくものだが、この魔法が存在している世界で魔法が使えないというのは、あまりにも酷である。

 そんな懸念が表情にありありと出ていたのか、レベッカは苦笑して「ピエリスちゃんも魔力を持っているのよ」と言った。めちゃくちゃ安心した。


 さらにレベッカが言うには、”由緒正しい血統のアシュレイ家”らしい。

 それを聞いて、なるほど。魔法という強大な力を扱える者たちが地方で名を上げ、人々を治め、昨今の貴族として存続しているーーというのは想像に難くない。恐らく、そういう背景があって貴族階級並びに王政が敷かれているのではなかろうか。


 選民思想とかあったら嫌だなぁ。


 そう思うと同時に、魔力を持った血族に生まれることができてよかったと胸を撫で下ろす自分がいる。 


 ちなみに瞬間移動装置であるオベリスクは、少しでも体内に魔力を持つ人間でないと使うことはできないらしい。そのため、魔法使いは主にオベリスクを移動手段とするが、魔力を持たない一般人はやはり馬車や牛車を使って移動することがほとんどなのだそうだ。

 ふと、思い立って口を開く。


「魔法使いは箒でお空を飛んだりしないの?」

「箒で? どうして、しないわよ」


 残念である。


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