覚醒のオルゴール
世界というものは我々人間が生み出しているのだろうか?
五歳のときだった。
父が怪しげな占い師からもらったという”覚醒のオルゴール”ーーこれまた非常に怪しいことこの上ないのだが、母は神にも縋る思いでその巻き鍵を回したのだそうだ。
そのオルゴールのメロディーを聞きながら、頭の中で走馬灯のように駆け巡ったのは、いわゆる前世の記憶というやつで。
ぼんやりした表情でベッドに座っていたらしい私は、そのオルゴールが音色を奏で終えたとき、日本人として生きた二十数年の記憶と人格を取り戻したのだった。まさに覚醒である。
”覚醒のオルゴール”という名の魔道具(魔道具であると知ったのはかなり先のことである)は、役目を果たすとともに粉々になってサイドテーブルの上で崩れていた。
そもそも何故、私の今生での父と母が”覚醒のオルゴール”などという怪しげなものに一縷の望みをかけるに至ったかというと、私は彼らの一人娘であるのだが、どうにもその五歳のときまで、私は非常にぼんやりとした子どもで、泣きもしなければ笑いもしないーーよその子どもたちのように何かで遊ぶこともしなければ、人々の呼びかけにも反応薄く、日中の大体の時間をぼんやりと虚空を眺めているか、寝ているかのどっちかといったような、まあ一言にしてしまえば廃人染みていたらしいのだ。
そうして”覚醒のオルゴール”とやらで前世の記憶を取り戻した私は、ピエリス・アシュレイという名で二度目の人生を迎えたことを自覚した。
……。
いや待って、私いつ死んだの。
走馬灯のように駆け巡った記憶の中に、死の間際のものはなかった。
大学卒業後に新卒として入社した大手メーカーで営業事務として働く傍ら、趣味として近所の子どもたちにピアノを教えていた二十八歳、独身。
蘇った記憶の最後は、赤坂にあるコンサートホールでファゴット・カルテットのアイネ・クライネ・ナハトムジークの第一楽章を聞いているところである。そこで前世の記憶はぷつんと切れて、目を瞬かせれば中世ヨーロッパが如し、今生での私の私室である。モーツァルトもこんな部屋で生活していたのかしら?
混乱しつつも、生まれてからの記憶も朧げながらあるので、不安そうにこちらを見守る父母のために口を開く。
「おなかすいた……」
しっかり彼らの方を向いてそう言えば、ちょっとこちらがドン引きするくらいには狂喜乱舞となって、その日の晩餐は何かの祭りかと思わんばかりの豪勢さであった。
たった一言で、この喜びよう。後になって聞いた話だが、そのときまでの私は、口がきけないのではないかと医者に診せたほどに言葉を発することがなかったのだそうだ。
五歳児にはあまりにも多すぎる料理の数々が長いテーブルの上に敷き詰められ、今まで食が細かった私の胃はすぐにもう食べられないと音を上げたが、悲しきことかな元日本人である私にはもったいない精神が根付いてしまっていたので、少しでも無駄をなくそうと一生懸命フォークとナイフを動かした。そしてその娘の姿に再び涙する親バカな父と母である。
閑話休題。
とりあえず、私は自覚がないまま日本で死に、なんでかわからないが新たに生を受けたのだろうというところまで理解した。
記憶と人格を取り戻してしばらくは夢オチというのも検討したが、私のこの小さな体での五感はとてつもなく絶好調で、夢オチを期待するには、見るもの、聞くもの、触れるものーー全ての感触と食べすぎによる胃もたれが、夢オチではないだろうと断言できるほどに生々しくリアルだった。
死後の世界について考えることなど、ほとんどなかった。
日本に住んでいた私にとって”死”というものは遠いところにあって、祖父母や親戚の誰かが亡くなったなんてときに、葬儀場に行ってようやく”死”というものを痛感するくらいである。それも、またひと月も経たないうちにすぐに身近なものではなくなっていく。
でも……そうかあ、転生かあ。
ベッドの上に寝そべって、ぽっこりと膨れたお腹を、ふうふう言いながら擦る。さながら豚である。ほんとに食べ過ぎた。
前世で転生系のコンテンツが流行りに流行っていたことを思い出す。
かくいう私も転生系の知識はゼロではない。小説こそ読んでいなかったが、ネット小説発端でコミカライズされたものを漫画アプリでよく読み漁ったものだった。
「うーん……」
部屋の中にすでに誰もいないことを良いことに、ひとりウンウンと唸る。食べ過ぎで苦しい。
この状況、まさに数多の創作物の冒頭のようではないか。
異世界転生、まじか。
今日までぼんやりと廃人のように生きてきた私だが、ほんの少しは自身の置かれている環境への知識があった。
ここはメルディア聖王国という国で、私は貴族階級に位置するピエリス・アシュレイ。アシュレイ家の一人娘である。
……まあ、これだけなんだが。
それでも異世界に転生したのではないだろうかと推測するには十分である。
まずメルディア聖王国。
この時点で恐らく前世と生きる世界が違う、気がする。
前世での私は歴史が得意だったかというと、可もなく不可もなく。大勢が知っているようなことは知っていて、大勢が知らないようなことは知らない、という感じだ。
さて、聖王国。
そんなものが歴史上、地球という惑星に存在していたのだろうか? 私は聞いたことがない。もしかしたら本当に聞いたことがなかっただけで、いつかの時代のどこかの大陸に、それが存在していたこともあったのかもしれないけれど、多分やっぱりそんなものは存在しなかったんじゃないかなあと考える。根拠はない。
未来である線を考えないのは、生活環境が中世ヨーロッパ染みているからだ。
部屋の内装にしたって、ザ・中世お貴族の部屋感がすごいし、夜だというのに照明はキャンドルランプという、LED照明に慣れている元日本人にとっては少々頼りない光源のみである。
私が生きていた時代の遥か先、何らかの理由で文明が一度失われて「歴史は繰り返す」と言わんばかりに中世時代が再来しているとするならば、かつて映画で見たようなドレスを母が着ているのも、たくさんの使用人たちに恭しく世話を焼かれるような階級制度が復活しているのも、しぶしぶ納得できるのかもしれないけれど、もうそれってほとんど異世界である気がする。
とにもかくにも、私はピエリス・アシュレイという名で新たに生を受け、これからを生きていかないのといけないのだと考えると、貴族階級に生まれたのは幸運である気がした。中世時代の平民や農民の暮らしに詳しいわけではないが、何ひとつ不自由なく最先端技術の恩恵を受けて生きてきた元日本人にとっては、彼らの暮らしはハードモードすぎると思う。
ちなみに、このとき私はひとつの違和感と疑問を胸に抱いていたのだが、それが解消されたのは翌日のことで、今度は「世界とは何たるか?」という大いなる疑問を得ることになるのである。
*
ーー翌朝。
ピエリス付きの侍女に優しく起こされる。
メイド服を着た若い女性で、営業スマイルなのだろうが笑窪がかわいい。たぶん二十歳くらい。
ベッドに腰かけたまま、寝起きのモーニングティーをいただき、寝ぼけ眼のまま、侍女が用意した銀製のボウルに入ったぬるま湯で顔を洗われる。
「お嬢様、お支度を」
と言われて、ベッドから立ち上がる。
ぼうっと開け放たれたカーテンから差し込む光に目を細めている間に、要領の素晴らしい侍女の手によって、私の恰好は寝衣からドレスに早変わりである。
アンティーク調のドレッサー前に腰かける。
元日本人とはかけ離れた西欧顔がそこにあった。
本当に転生したんだなあ。
そしてめちゃくちゃ美人に生まれることができて幸せである。
前世の私はそれはもう平凡顔であった。
整形メイクなるものがあった世の中だから、マツエクにハイライトとシャドウベース、メイクテクを駆使すれば中の上くらいには化けることもできたが、生まれきっての彫りの深さには到底及ばない。どうにか鼻をもう少し高くできないか、眉と目の距離を近くできないかと骨格マッサージまで頑張ったことだってある。だが、そんな涙ぐましい前世での努力を嘲笑うかのように、今の私は完璧に整っている。
鏡の中に映る自分。
透き通るような白い肌に、チークなしで桃色に色づいている頬。鼻筋はすっと通っていて、全体的に彫り深く、恐らく人間の顔で最も美しい比率と言われる黄金比に沿って全てのパーツが置かれている。くっきりとした二重まぶた。マツエクが全く必要のない長いまつ毛。寝ぼけ眼であっても爛々と輝いて見える宝石のような翡翠の目がこちらを真っ直ぐ見つめている。我が顔ながら吸い込まれそうである。
……人形みたいだ。
「本日は午後にレベッカ様がお見えになります」
「レベッカ様? だれ?」
「お嬢様の家庭教師でございます」
侍女ーーエマは、私のプラチナブロンドの長い髪をブラシで丁寧に梳きながら言葉を続ける。
「お嬢様が元気になられたということで、いったん中止にされていたお勉強を再開することにしたと、昨日奥様が」
「ふぅん」
私は曖昧に頷いた。
こういう時代の貴族の教育ってマナーに関することだろうか。それとも学問? 私が木から落ちるリンゴを見て万有引力を発見すれば歴史に名を残せたりするのだろうか。
どうでもいいことを考えているうちに、プラチナブロンドの髪はすっかりきれいに編み込まれていた。五歳のくせにとても上品に見える。
朝食の時間だというので、部屋を出て長い廊下を歩く。
詳しくはわからないが、きっとアシュレイ家はとても裕福な貴族なのだろう。屋敷がとてつもなく広く、食堂が遠い。レベッカという家庭教師に聞けそうであれば、うちはどういう貴族なのか聞いてみるのも良いかもしれない。
食堂の場所はなんとなく理解していて、迷うことなく辿り着くことができた。
後ろをついてきていた侍女のエマが、何故か涙ぐみながら重たそうな扉を開けてくれる。確かに朧げな五年間の記憶の中で、ピエリス・アシュレイが食堂に自力で辿り着いた覚えはない。
「ピエリス!」
長いテーブルの席についていた母が、驚愕と喜びの入り混じったような声を上げる。日本で言うお誕生日席に座る父も、母と似たような表情をしていた。
「……おかあさま、おとうさま。おはようございます」
「……!!」
朝の挨拶をしただけで、この反応。
父と母、感動ここに極まれりといった表情である。
私がかつて読み漁った異世界転生系かつ令嬢系物語では、転生した先で主人公は冷遇されていたり、そもそもの家族仲が良くなかったり、という家庭に問題があるものも多かったので、両親のこの反応には、ほっと胸を撫で下ろすばかりである。
過保護な気が垣間見えてはいるが、不仲であるよりずっと良い。
第二の人生、イージーモードか? これ。
裕福な貴族階級。
愛情溢れる両親。
美しく整った顔。
こんな恵まれた環境、容姿を与えられるほど、私は前世で徳を積んだだろうか。買い物に行けば道を尋ねられることが多く、割と親切に道案内もした方ではあるが、それだけである。
まあ、神様、ありがとう。
私は信じてもいない神様に適当に祈った。
席について、食事の前に祈りを捧げてみたが、父と母は不思議そうな顔をするだけで、同じように神様に祈りを捧げるようなことはせず食事を始めた。なるほど、やっぱり地味にヨーロッパ文化とは違うらしい。宗教の違いかもしれない。私は元日本人らしく都合の良いときだけ神様を信じるタイプなので、必要なさそうだし昼食からは祈りを捧げないことにしよう。