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私はとりあえず「三十代」だということだけ伝えた。
なんとなく、正確に伝えたくなかった。
心のどこかで曖昧にしておきたいという気持ちがあった。
中島くんはそれを聞いても「ええ、見えないです! 同い年くらいだと思ってました!」と言ってくれた。
本心なのか、お世辞なのかはわからなかったが、自然と口角が上がり始めてしまう。
ダメダメ!
こんなんでニヤニヤしちゃダメ。
ただのお世辞じゃないか。
私はお世辞を真に受けていると思われたくなかったので、「もうおばちゃんだからね~」とちゃかして誤魔化した。
そして、イラストのほうに話を戻して再び歩き始める。
それにしても、びっくりした。
ってことは、今までちょっと年上のお姉さんぐらいに思っていたのか。
どうせなら黙ってればよかったかな。
◆ ◆ ◆
白洲通りまでやってきた。
ここで中島くんとはお別れだ。
「それじゃあ、俺はこっちなんで。今日はありがとうございました」
中島くんは軽く会釈する。
「ううん。私も楽しかったよ。またイラストのこと知りたかったら、カフェに誘ってね」
無難に返す。
大人の余裕を心掛けなければ!
ここまでは翻弄されまくりだったが、私のほうが年上だということも明確にされてしまった以上、もう惑わされないぞ。
しかし、そんな私の覚悟など露も知らない中島くんは、禁忌の質問を投げかけてくる。
「あの……相沢さんてご結婚されてるんですか?」
「けうぇ、結婚?」
変な声が出てしまった。
なぜ急にそんなことを聞く!?
「結婚してないよ。独身」
心拍数が跳ね上がったが、平静を装って返事をする。
ただし、膝は震えている。
私の返事を聞いて中島くんは嬉しそうな顔をした。
「それじゃあ、今度、相沢さんの家に行きますね! そこでもっとイラストを教えてください!」
い、家に来るの!?
「あ、うん。別にいいよ。隣の駅だからすぐだよ」
「よかった。それじゃあ、また」
そう言って中島くんは私の手に傘を持たせてくれた。
そして、そのまま雨の中を走って行ってしまった。
「え、傘……」
彼の「家に行きます」発言によってパニックになりかけていたせいもあり、傘を手渡されたことに対する反応が遅れた。
気が付くと彼の背中は遠くなっていて、傘を持ったまま茫然としている私だけが残った。
傘、よかったのかな。
中島くんが雨に濡れちゃうのに。
というか、家に来るって言ったよね。
ほ、本当に来るの?
カフェじゃダメなの?
なんで家なのーーー!?
それに、結婚してるかってなんの確認よ!?
女性にそんなことを急に聞くなんて、どういうつもり!?
……ん?
私は独身→なら家に旦那はいない→だったら家に行ってもいい、という考えだったのか。
なるほど、それで確認してきたのか。
ビビった。
告白でもされるのかと思ったじゃないか。
「そんなわけないかぁ……」
ありえない。
その直前に30代であることをカミングアウトしているんだから。
それにしても、心臓に悪い。
変な質問を急にしてくるのはやめてほしい。
結局、今日は翻弄されっぱなしで終わってしまった。
◆ ◆ ◆
家に到着。
サビれたアパートのドアを開ける。
傘は開いたままにして、ベランダに出して乾かそう。
そうすれば、明日には返せる。
バッグを壁にかけて、すぐに服を脱ぐ。
ジャージに着替え、風呂の湯を沸かす。
それらの作業をしながら、私は今日あった出来事を思い返していた。
正確には、彼のことをだ。
フランクに話してくる馴れ馴れしい態度、ああいうのは一番嫌いだと思っていた。
だけど、彼のように爽やかに話してくれると、それもいいかなと思えてくる。
育ちがいいのかな。
家がお金持ちとか?
今度会ったら聞いてみよう。
いきなりカフェで話しかけられたときは驚いた。
こっちがおばちゃんだったから、気軽に声を掛けられたのかもしれないが……。
いや、私の年齢はわかっていない様子だった。
同い年くらいだと勘違いしていたようだったし、そうなると、彼にも下心があったのかもしれない。
口角が上がってきてしまう。
もしかして、中島くんは私のことを……と。
年齢がわからなくて、普通にナンパしちゃった可能性もあるのか。
私は鏡に映るニヤニヤ顔を見て、正気に戻る。
そんなわけないじゃん。
万が一、そうだったとしても、もう年齢は割れてるから意味ないし。
「同い年くらい、か」
そんなに童顔だろうか。
鏡を見てみる。
たしかに、二十代のころとそんなに変わらない気がする。
けど、顔の作りは一緒でも、子供っぽさはだいぶ抜けているはずだ。
肌も年齢なりのハリだと思う。
さすがに十代のころのぷるぷる感はない。
自分の顔を確認して、大きなため息が出る。
落ち込んでいる自分に気が付いて、首をぶんぶんと振る。
私、おかしくなってる!!
なんでため息なんてしてるんだ。
そもそも恋愛なんて興味ないんだから、自分が何歳でもいいじゃないか。
ちょっとイケメンと触れ合ったからって、これまでの自分の人生哲学を否定するのか?
そんなの嫌だ。
そんなふうに自分を変えたくない。
私はいつでも平穏な暮らしを追い求めているんだ。
惚れた腫れたは、禍を呼ぶ。
そういう友達をさんざん見てきたじゃないか。
仮に、中島くんと運よくうまくいったって、結婚できるわけじゃないし。
別れるときが絶対来る。
そのときになって損するのは私なんだ。
じゃなくて、うまくいきっこないから!
どんだけ豪運持ってるつもりだ私は!
「仮に」とかないから!
”お風呂が沸きました。お風呂が沸きました。給湯栓を閉めてください”
もう考えるのはやめよう。
中島くんとは友達。
それ以上でも以下でもない。
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