5
「相沢さん。俺にイラストの描き方を教えてください!」
「え?」
「昔っから、こんなイラストを描けるようになりたいと思ってたんです!」
中島くんは「お願です!」と言いながら、両手を合掌している。
私は突然のことに口をポカンと開けたまま、しばらく放心した。
「お、教えるって、イラストの描き方を、私が?」
「ダメですかね」
「ダメっていうか……」
いきなりそんなことを言われるとは思わなかった。
どうしよう。
なんて返事をすれば……。
さっきまでは、中島くんと一緒にいると心が乱されるから嫌だと思っていた。
心が乱れるたびに、これまでの自分の価値観や人生を否定されている気持ちになっていた。
私はこれまで異性に興味をもったことはなかったし、これからの人生もそうだと思っていた。
そっちのほうが波風が立たなくて幸せだと思っていた。
まわりの人間はみんな異性とくっつくか離れるかで一喜一憂していて、昔から私にはそれがとても滑稽に映っていた。
そんなに悩むなら、最初から異性なんて意識しなければいいのに。
口には出さなかったが、ずっとそう思っていた。
正直言うと、バカにすらしていた。
だけど、中島くんとはおしゃべりをしているだけで心が躍るように跳ねる。
脳の中から幸せを感じる成分が溶けだしてくる。
この人と一秒でも長い時間を過ごしたいと思い始めている。
これを認めてしまったら、私は私のこれまでの人生を否定することになる。
それでいいのだろうか……。
私はさんざん悩んだ。
そんな私の様子を中島くんは不安げに見ている。
うーん。考えすぎか。
まあ、イラストを教えるくらいは別にいいよね。
「いいよ。イラスト教えてあげる」
「本当ですか! やったぁ!」
「タブレットは持ってるの?」
「えっと、持ってないです。今度、買っておきますね」
いやいや。
十万円くらいするんだぞ。
学生のくせに無理しなさんな。
「これ使っていいよ。家にもう一台あるから」
そう言って、私は自分のタブレットを差し出す。
「ええ、いいんですか!? ありがとうございます!」
「タブレット用のペンは先の部分が消耗品だから、それだけは自分で買ってね」
タブレットを受け取った中島くんは、子どものようにはしゃいだ。
なんだかんだ言っても、まだ大学生なんだなぁ。
◆ ◆ ◆
私は中島くんにタブレットを渡してあげた。
すると彼は「使い方がわからない」と言うので、少しレクチャーをしてあげた。
「基本的にはスマホと一緒だよ。ペンとお絵描きソフトの使い方だけ教えるね」
「わかりました。じゃあ、そっちにいきますね」
え?
そっちに?
中島くんは席を立って、私のいるソファ席の隣に移動した。
うわわわ。
近い近い。
「どこを押せばいいんですか?」
「こ、ここだよ。これが鉛筆ツールで、これが消しゴムで……」
「ふむふむ。一度、相沢さんが操作してくれます? そのほうが早いかも」
一度、私の手にタブレットが戻ってくる。
すると彼は首を伸ばして私の手元を覗き込むように身を乗り出してきた。
今、私たちは肩が触れ合いそうなくらい近くに座っている。
「新しく白紙を出すときは、ここをタッチして、保存するときはここをタッチね」
「え、じゃあ、ここをタッチするとどうなるんですか?」
中島くんが画面に手を伸ばす。
そのとき、彼の手が私の手と触れ合った。
「……ッ」
「あ、ごめんなさい」
そう言って中島くんは手を引っ込める。
私もびっくりして肩が震えてしまった。
自分で自分がかっこ悪い。
明らかに「男性慣れしてません」という感じの反応をしてしまった。
おそるおそる彼の顔を見たが、別になんでもないという顔をしている。
私の焦りはバレてなさそうだ。
私は胸を撫でおろす。
同時に、初めて男の人の手に触れたという事件を脳の中で処理していた。
……これが男の人の手の感触。
意外とサラサラしていて、思っていたよりも滑らかだ。
中島くんの手だからなのかな。
お父さんのはどうなっていただろう。
手が触れ合った瞬間、体に電撃が走った。
なんだったんだろう、あの感覚は。
私ってそんなに敏感な人間だったっけ?
私は、自分の体なのに未知の物体であるかのように感じた。
これは本当に私なのだろうか。
これまでの人生では味わったことのない感覚だった。
バカみたいな話だけど、実はエイリアンに体を乗っ取られてて、そのせいで男性を意識するようになってしまったとか……。
いや、絶対そんなことあるわけないんだけどね。
「ふう……」
本当にやっかいで面倒臭い。
ままならない。
私はメランコリックなため息を吐いて窓の方を眺める。
窓を打ち付ける雨音はさっきより強くなっている。
外のネオンの文字は、さっきよりもにじんでいて、もはや読み取れない。
まだまだ外には出られなそうだ。
感想、ブックマーク、評価、お待ちしてます。