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そのまま時間は流れていき、二十二時になった。
閉店の時間だ。
「ありがとうございましたー!」
お客様をお見送りして今日の業務は終わった。
さあ、とっとと帰ろう。
私は店長へ「お疲れ様でした!」とだけ言って店から逃げるようにして飛び出した。
厨房裏の休憩室にいると中島くんがやってくるかもしれない。
早く帰ったほうがいい。
できれば顔を合わせたくない。
もう心を乱されたくない。
◆ ◆ ◆
繁華街から一本入った狭い路地を歩く。
ここは人通りも少なくて落ち着く。
街頭は点いているし、少しは人もいるので、危険ではない。
「ふう。疲れたなぁ」
普段のアルバイトよりも数倍疲れた。
原因はわかっている。
中島くんだ。
中島くんのほうを見ないようにして働いていたから、いつもよりも疲れている。
心が乱れるのを抑えるのも大変で、精神的にだいぶ疲労がたまる。
というか、どうして避けなければならないのか。
気になるなら、おしゃべりをしてみればいいじゃないか。
たぶん、彼は大学生だ。
適当に大学生活のこととかに話を振って楽しく歓談すればいい。
そうすれば、仲良くなれてあわよくば友達になれるかもしれない。
友達になれば、ときどき一緒にご飯に行ったり、夜中の長電話の相手をしたりできるかもしれない。
自分はどうしてそれをしようと思わないのだろう。
仲良くするどころか避けてばかり。
不思議だ。
私は自分で自分がわからなくなってきた。
そんなことを考えていると、ポツリと水滴が鼻の頭に当たった。
「えっ、雨?」
ポツリ、ポツリと振ってくる。
まずいなぁ。
傘持ってない。
私は急いで駅まで走る。
ここからはまだ少し距離がある。
「うわぁ、本格的になってきた」
次第に雨が強くなってきた。
雲の動きが早い。
気がつけば、ザーザー降りになっている。
私はたまらずに近くのカフェに入る。
天気予報では雨の報せはなかったし、たぶん一時間くらいで収まるだろう。
それくらいならカフェで時間を潰していればすぐだ。
◆ ◆ ◆
カフェに入る。
店内は間接照明が利いていて、ちょっと大人なムードが漂っている。
チェーン店ではなく個人経営のようで、和洋折衷な内装は私好みだ。
「ブレンドを一つ、お願いします」
コーヒーを一杯頼んで、席に座る。
広々としたボックス席だ。
案内されたからここに座ったが、こんなに広いテーブルを一人で占領してしまって、なんだか申し訳ない。
窓の外を見る。
さっきよりも雨の勢いが強くなってきている。
窓にバシバシと雨が当たっていて、風の強さもかなりのものだとうかがえる。
でも、雨は嫌いじゃない。
空気中の埃とかを落としてくれるし、雨音も好きだ。
雨に濡れた街も好き。
通りのネオンが雨粒でにじんで、なんだか幻想的に見える。
そうだ。
暇だから絵でも描こう。
バッグからタブレットを取り出して電源をつけた。
私の趣味はイラストを描くこと。
高校時代からずっと描いていて、アニメのキャラクターや街の風景を絵にしている。
SNSに投稿もしていて、実はけっこう人気を得ている。
これが、私の唯一の特技。
コーヒーを飲みながら、さらさらとイラストを描く。
中島くんて、どんな顔だったっけ。
顔が小さくて、目が切れ長で、まつ毛が長くて……。
私は気が付くと、彼の顔を描いていた。
彼のことを思い出すと、心が乱れるからやめようと思うのだが、手が止まらない。
没頭してしまう。
雨音も、周りのお客さんの声も、なにも聞こえなくなる。
私は彼の顔の絵に集中する。
自分の存在さえもなくなってしまったかと思うほどに、自分の絵にのめり込む。
気が付くと、コーヒーが冷めていた。
「ふう」
だいぶ描けてきた。
いつもの私の絵柄だ。
相変わらずうまいと思う。
「でも、なんかちがうな……」
実物の中島くんはこれよりもかっこよかったと思う。
私の絵ではリアルさが表現できない。
彼はこんなアニメっぽい感じじゃない。
もっと、そこに存在する美しい芸術品のような男性なのだ。
描き直そう。
そう思って消しゴムツールで全部消す。
というか、また中島くんのことを考えていた。
考えないようにしているはずなのに。
一体どういうことなんだ。
私が自分の行いを反省していると、ふいに声を掛けられた。
「あれ? 相沢さん?」
「えっ?」
声を掛けられて顔を上げる。
そこには、目を丸くして私のことを覗き込む中島くんがいた。
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