アピクリーン
「食べる時代は終わりました」
ふと見た求人チラシにそんなことが書いてあった。ああ、またインチキな訪問販売か宗教の勧誘だろう。こんな無駄なことをして一体誰に向けたチラシなのか想像もつかない。こういう無駄というものが世の中には溢れている。しかしこういう無駄が一定数存在するということは利用する人もいる、ということなのだろうか、その点においては興味が湧いた。大学を出て、田舎を出て東京で一人暮らしまで始めた自分。東京なら何かを変えてくれるかもしれないと思ったが現実は上手く行くようにできていなかった。会社と家を往復する日々、それも不況に煽られてリストラされたばかりだが。憧れた東京生活にも慣れてしまって新鮮のかけらもなくなった。つまり東京に出てきたのも無駄だったのだ。
枯れた人生に時には若気の至りという名のスパイスがあってもいいのではないか。そんな興にも浸ってみる、案外ナルシスの素養があるかもしれない。運が良いことに時間は無限にある。既に枯れているのだ、一日くらい棒に振っても罰は当たらないだろう。
スマホをいじりチラシに書いてある番号に電話する。
「お電話ありがごうございます。こちら、アピクリーンの佐竹と申します」
「あの、チラシを見て電話しました、」
「あ~ありがとうございます!ご利用でございますか?」
利用? あまり確認せずに電話してしまった。慌ててチラシを見る。ん~なになに、あなたの食欲無くします。治験者大募集!月手当二十万! だって、さらに胡散臭さが増したが本当に大丈夫かこれ・・・
電話向こうから「どうされますか?」と催促される。電話をした手前断るに断れない。まぁいいか、これも若気の至りだ。
「はい、お願いします」
「では住所と日時の方を伝えさせていただきますので、所定の日に来るようにお願いいたします」
そういうと佐竹は住所と丁度三日後の日時だけを伝えて電話を切ってしまった。本当にこんな簡単でいいのだろうか・・・不安はあるが今はとにかく食えなくなるよりはマシだと思う。
無駄とわかっているものに飛び込むことを若気の至りと感じ、それに酔いしれるのをナルシストと称す。こんな俺の人生も無駄の塊だ。
電車とバスに揺られること半日以上。辿り着いた場所はド田舎もド田舎、あたり一面山、畑、平屋。本当にこんな所で何をするんだろう。引き返すにも何か癪に障るので無理。財布と携帯とチラシしか持ってこなかった自分を呪いたい。細かい所はわからないので現地の人に聞かないとな。ちょうど畑でなにかしている婆ちゃんに尋ねてみる。
「婆ちゃん、ちょっといいかい」
「ほいほい、どうされたのや、こんな時間に出歩いてるなんて旅のお方かい?」
「まぁそんなところです、ちょっと道を尋ねたくて、ここの住所に行きたいんですけど」
「ああここね、それなら畑沿いにまっすぐ行ってあの山の真ん中くらいのところさね」
「ここからじゃ見えないけど、ありがとう婆ちゃん」
婆ちゃんには暗くならない内に行きなさいね、と心配されてしまった。まあ歳をとると若いものは全員孫みたいなもんか。さらに2時間くらい歩いたところに教えられた住所があった。まったく舗装もされてない山道を歩いてきたし、なんなら熊もいたぞ・・・襲われなかったけど。そんな雑な場所に呼び出しておいてさぞ素敵な所なんだろうなと皮肉に期待を膨らませていると、確かにあった。巨大とは言わないが大病院と言っても良いほどの白い建物。こんな田舎には部相応に真新しい事から誰かが居ることは容易に想像できた。こんなちゃんとした場所なんて聞いてないぞ! 本当に聞いてないから驚いてるんだが。ドアには行儀よろしくインターホンがあるし、鳴らすか。
「こちら佐竹ですけれども」
「あの、チラシで、アピクリーンを申し込んだ・・・」
「ああ! 様ですね。お待ちしておりました」
そう言うと佐竹に慣れたように案内されて居間に通される。「今からお茶出しますね」と奥に消えていった。ソファーにテレビに台所。外からは病院のように見えた建物は立派な住まいになっている。こんな大きい家があるなんて相当な金持ちだろうなと思考を巡らせていると手早くお茶を用意した佐竹が帰ってきた。
「すみません、今煎茶しか持ち合わせがなくて」
「いいですよ、気にしないでください」
完全に客のつもりでソファーに深く腰掛けてくつろいだ。ここまで長旅をさせられてきたんだ、それくらいの見返りは欲しいし許されるべきだ。煎茶を手に取って飲む。
「美味しい…」
「美味しいでしょ? 近くで栽培してるんですよ」
「澄んでいて、少し甘い、なんだか懐かしい味がします」
「よろしければ、たくさんありますのでお帰りの際にでも持って帰ってください」
「いいんですか! ぜひ!」
本当に美味いんだこれが!今まで飲んできたのはなんだったんだってくらい好みにドストレートで、お茶なんかに拘り無かったけど今度から専門店で気にして買おうかな、試飲できるって聞くし。
考え込む俺に佐竹はにっこり笑顔で見つめていた。なんか男に見つめられるのはいい気がしない、気持ち悪い。見るなそんな笑顔で! 拒否反応で蕁麻疹出ちまうよまったく、そうだここまでの旅費に加えて蕁麻疹出たらその分もしっかり補填してもらわなきゃ・・・
意識が遠く。ぼやける視界の中で佐竹だけは表情も変えず何も話さず心配すらせずにニッコリとこちらを見つめて離さなかった。最後に一言、もう済みました運んでください。という声だけが眠りに落ちる前に聞こえた。
目が覚めると、電球の光がこちらを凝視していた。寝覚めに光は効く、すっごい眩しい。どれくらい眠ったのだろう。辺りを見回しても白い壁しかなかった。ん、、ん?・・・手が動かない、金縛りか?
起き上がろうにも上から締め付けられていて動かせない。もしかしてと思って視線を下にやると、ゴムで全身きつく縛られていた。どうなってんだ! あの佐竹、俺の事騙したのか!? まじかよ俺このままだとどうなっちまうんだ! 色んな最悪を妄想する。殺されるのは間違いなさそう、バラされる、変な薬を盛られる…それはもう盛られてる、実験動物にされる、なんかの食料にされる、怖ッッッッ。考えを張り巡らせていると誰かがこちらに来る音が聞こえた。
「おやおや、起きられましたか」
佐竹・・・
「睨まないでくださいよ・・・」
「俺に何をした」
「何をしたって、お願いされた通りですよ」
「お願い?なにもしてないぞ」
「はあ・・・ご利用になられたじゃないですか、食欲を無くしたんですよ」
食欲を無くした。そういえばそんな事がチラシに書いてたな、何かの冗談だと思ってたけど。本当に食欲がなくなったのだろうか、そもそも食欲がなくなるとはどういうことなのか。食べ物が食べられなくなる、食べなくてよくなる。とらえ方次第で事の重大さが変わってくるな・・・
「悩んでらっしゃるようですね。きちんと説明いたしますから安心してください」
「・・・頼む」
「結論から申しますと、あなたは食べ物を食べなくてよくなりました。食事によって栄養を得る必要がなくなり、別の方法で生きられるようになったのです。あまり細かいことはお伝え出来ませんが、あなたの体の中で光合成ができるようになったのです。日中は光合成によって体に必要な栄養を得ていただき、食事をとらなくてよくなった時間を自由に過ごずことができるようになりました! さあ!植物と同じ生活があなたを待っています! これから待つ充実したプラントライフをお送りください!」
言い終えると佐竹は真顔に戻った。コイツは何を言っているんだ? 光合成? プラントライフ?
ふざけた単語が連なっている。まったく魅力的に思えない演説を聞かされたわけだ。
「ふざけるな!」
「ふざけるなとは心外ですね、考えてもみてください。人間の三大欲求である食欲から解放されたんですよ? 人間は食べるということから逃れられなかった。他種族を食らうことで栄養を得て、消費して、食らうための栽培と飼育を繰り返す。まったくもって無駄ではありませんか! この大量消費文明を少しでも改善しようという私の心意気がまだわかりませんかね」
「・・・解放しろ」
もう言葉が出なかった。こんなマッドサイエンティストの言ってる事等理解できるはずがない。
「良いですよ、今楽にしますね」
そう言うと俺の体の拘束が解かれる。もう疲れた、帰ろう、意味が分からなさすぎる。俺はゆらゆらと力無く歩いた。
「気を付けてくださいね、術後すぐなのでまだ馴染んでない可能性があります」
うるせえよ。なに一人前に心配してくれてんだよ。もう喋るなうるさい。外に出るともう日が出ている朝だった。太陽の光・・・
「ああ、あ、あ、あ、あああ、あ、あ、、」
体中に張り巡らされる神経がすべて光を求めて吸収する感覚。体全体で深呼吸する心地よさが永遠と続く。分泌されたエネルギーはお腹を伝い足を伝い脳に響き渡る。脳にたどり着いた瞬間大脳がそれに反応するかのように気持ちいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい
日が傾きかけた頃、俺は見たことあるような白い建物の入り口の前で立っていた。俺はこんなところで何をしていたんだろう。まあいいやそんなこと、どうでもいいし、帰ろう。山を降りて畑通りを歩いているとお婆ちゃんが畑仕事をしていた。「おかえり」と言われたが身に覚えがないので軽く会釈をしてその場を通り過ぎていった。誰だあの人、怖。
被験者№0065 「 様(偽名)」
プロフィール
年齢25 性別 男 性格 自己中心的、短絡的、キレ症、現実逃避の傾向アリ
報告書 東京に単身引っ越したが中々職が見つからず、
自暴自棄になる。自己実現に余念がなくどこ
か強気な態度をとるが内心は豆腐メンタルな模
様。少し揺さぶれば騙されることから頭も足
りない模様。被験者としては最適であると考え
る。結果、適合率が高く常任なら発狂して緑化
するところを見た目にさした変化は無く夕方に
は問題なく自立行動できることが証明された。
引き続き都会での生活を通じて経過観察を行う。
経過観察から一年が経過した。被験者は問題な
く社会活動を営んでいたが、夜しか活動できな
いことから満足な収入が得られず務めていた会
社も首になってしまう。こちらからの手当ても
あるがそちらには一切手を付けている様子が無
いことから、恐らく手当の記憶が欠如してしま
っているのだろう。被験者のストレスは相当の
物と予想されるため、近々のメンテナンスを予
定する。
メンテナンス結果、やはり記憶は完全に失われ
ているようであった。光合成の際の緑化は免れ
ているがその代償として記憶の欠如が著しくみ
られるのだろう。引き続きの経過観察を実行
していくことで世紀の大発明として認知される
ことだろう。