第9章 ヤルクツール 16
左の通路から太ったおばさまが出て来ました。紺の飾り気のない上着とズボン姿。お掃除の方でしょうか?
「ふうん。カイトは少女趣味だったか」
「今カイトって言ったかいー?」
ミットさまー、絡まないでください。
「ああ言ったよ。あたしになんの用だね」
「……エスクリーノ…さん?」
アリスさまは驚かれたようです。あたくしもですが。
「そうさ。あたしがこの落ちぶれし街、ヤルクツールの街長をもう20年もやってるエスクリーノだよ」
あら、失礼をしてしまいました。
「あたいはミットだよー。アリスにシロル。一つ知らせを持って来たよ。いい知らせかどうかは分かんないけどねー」
ミットさまはこのおばさまと波長が合いますね。
「そうかい。こっちへ来な」
おばさまが通路を奥へ戻ります。右に曲がるとすぐのドアから
「こっちだよ」
広い執務室。左手に大きな机。上には40セロもある書類の山がひとつ。背凭れの高い椅子。
正面には10人座れそうな低い長椅子とこじんまりと見えるテーブル。その向こうに小さめの机が二つ。女の人が二人、書類と格闘中。
おばさまが手前の一人掛けに座り右手を出してヒラヒラしました。ここへ並んで座れと言う意味でしょう。
「お客さんだよ。お茶入れとくれ」
慌てたように右のお姉さんが立ち上がりました。
アリスさまがおばさまから一番近いところへ、ミットさまは向かいへ回ります。あたくしはアリスさまの隣に座りました。
おばさまはミットさまを怪訝な顔で見ています。
ミットさまは腰を下ろすなり言いました。
「固い椅子だねー。お客さんが気の毒だねー」
「何が言いたいんだい?」
「もっといい椅子を買わないかって話だけど、アリスの話を先に聞いとくれー」
ミットさまに自分の縄張りを引っ搔き回されたご気分でしょうか。
先程のお姉さんがお茶を配ります。アリスさまもミットさまも猫舌ですから警戒して手を出しません。拗れるといけませんのであたくしが一口。
「あら?これ、お茶でございますか?」
「「プーーツ!」」
「あっははははー」
ミットさま笑い過ぎです。アリスさまはなんとか堪えています。
目を白黒させておばさま、もとい、エスクリーノさまがお茶を確かめました。
「薄いね。お茶はお茶だよ」
ボソッとおっしゃいます。
アリスさまもクスクス笑い出してしまいました。
「で、なんの用だね。話が一つも進まないじゃないか」
困惑するエスクリーノさまの前で二人がうずくまり、ヒクヒクと笑いの余韻を楽しんでおられましたが、冷たい視線にやっと本題へ入ります。
「チューブ列車は知ってるよね?」
「ああ、大事な観光資源だよ」
「あれね。勝手にいじっちゃった。先に謝っとく。ごめんなさい」
「な!何したんだい、一体」
「うん。部品が一つ焦げてたから取り替えた」
「……」
ミットさまがお茶に手を出し一口。
「うわっち!まーだあっついよー」
「取り替えるとどうなるんだい?」
「列車が呼べる。あたしたちが知ってる4つの乗り場へそれに乗って行ける」
「どう言うことだい?」
「だからー、壊れてたとこを直しちゃったのー」
「あれは遺跡だぞ?」
「違うよー。壊れてたのー。こんくらいの部品が一つー。取り替えたら直ったんだよー?あれは現役ー」
「……」
「こりゃ長椅子まで話が行かないねー。これから見に行こうー。そっちのお姉さんたちも行くよー」
ミットさまが仕切り出します。これで安心。
あたくしたちが一斉に立ち上がると釣られて3人が立ちました。頭の上に分からんが3つくらい揺れているのが見えるようです。
近いので一言も喋らないまま茶店の横まで来ました。
「ここはどーするの?開けていいなら開けるよ?」
「鍵があります」
おばさまに鍵を渡されたお姉さんが柵を開きます。通路が暗いのでアリスさまが灯りを点けてめいめいに持たせます。
何かぶつぶつ言ってますが後でいいでしょう。突き当たりまで来ました。
「ここは開けられる?」
「左側が同じ鍵で開きます」
おばさまはまだ再起動できていませんね。
全員が路線図の前に並びました。
「ここに触れるとロセンズーが出るのは知ってる?」
アリスさまが壁に触れると大きな丸が現れます。あまり明るくはありません。
「丸の線上に12個の小さな丸と四角があるのが分かるかな?
この一番下がヤルクツール。右はまだ調査してないから行かない方がいいけど、左の一つ目は近くに町がない。2つ目がレクサール。3つ目がハイエデン。次がケルヤーク。その次は近くに町がない乗り場だよ。
列車を呼ぶには行きたい場所を触る。ハイエデンまでは2ハワーちょっと。呼んでみるよ」
左の3個目をポンと触った。
「7メニだって」
「チューブ列車は馬車ごと乗れるんだよー。普通の馬車は12台一度に乗れるんだってー」
おばさまはまだ本調子とは行きませんか。まあメモの取れる環境で纏めてお伝えしたほうがいいでしょう。黙りこくったままの待ち時間が過ぎていきます。
「来たよー」
コオォォーーー
音がはっきりと右から近づいて来ます。
灯りが見えて来ました。車内灯の反射で列車が見えるようになり
ヴヴヴゥーーー。
止まりました。少し間があって音もなく入り口が開きます。
「ハイエデンまで行ってくるかいー。行くならあたいが付き合うよー。今日はやることないから」
「2ハワーちょっとですか?帰って来られるんですよね?」
「そこは保証するよー」
「あなたたちも行って来ますよ」
「「……」」
ミットさまが入り口を閉じないように跨いで立っています。
「鍵なら閉めておきますよ」
アリスさまの言葉で皆さん動き出しました。
「ミットー。お土産頼んだよー」
「あいよー」
乗り込むと扉が閉じ出発します。
ヴヴヴゥーーー
「さ、戻ろう」
柵を閉め歩き出すと
コオォォーーー
行ってしまいましたね。
こんにちはー。ミットだよー。
アリスでーす。
ア:ミットずるいよ。一人で里帰りなんて。
ミ:アリスも来ればいーじゃないのー。
ア:いや。あたしはまだやることがあって……
ミ:うん。しょうがないよねー。しょうがない、しょうがない。
ア:うぐぐー。
ミ:じゃあねー。バイバーイ。