序章 敗残兵
敗残兵
俺は真っ暗な林を走っていた。部隊は散り散りで俺は命からがら逃げてきたのだ。俺はイミジア王国軍スベア領に入隊、雇われ3年目の下っ端だ。百人隊に配置されていたが、トルテアーク領軍に突撃命令が出て俺の隊もその時に突撃を敢行した。部隊は1年前のラムーク王国の侵攻で駆り出されて、この戦場は3つ目だ。
戦場は丈の高い草が茂る草原で先行した奴らが刈払ったり踏み分けたりしたせいで迷路のような進軍路だった。どんよりした雲なのか煙なのか、昼前だと言うのに薄暗い。そんな中、敵兵を求めて走り回り、何がなんだかわからないまま仲間の後を追って走っていると、突然前が爆炎に包まれた。
物凄い熱気だった。声をかければ十分に届くところを動いていたヤルヒに火が点いた。いきなりボッと、一瞬で全身が燃え出して、あいつは手を上へ何かを掴むように伸ばしゆっくりと倒れていった。
ああと見る間にケイトとニックが燃え出した。5メルと離れていない。俺は喚いて振り返り全力で逃げ出した。覚えているのはそこまでだ。
何かに何度も衝突したらしい。頭から出たらしい血が顔にこびり付き固まっている。左肩に覚えのない破れがある。3本あった予備の短剣が一本なくなっているし小盾には覚えのない深い傷が2本走っている。肘までと膝から下は一面泥だらけだ。
泥を握っているのでわからないが、手甲も無くしたみたいだ。
やっと我に返り足を緩めて、周囲の警戒をしつつ自分の有様に呆れていた。
さて、ここはどこだ? 森の中のようだ。星を見上げると覚えのある星座が右手に見えた。西へ移動中と言うことか。あの戦場から西なら、ヤムル村やケルス村があったはずだが、果たして真っ直ぐ走っていたかすらわからない。
村の手前に小さな川が横切っていたはずだ。
俺は川を渡ったのだろうか?手足の泥汚れを見るとまるで泥濘の中を渡ったようだ。とてもきれいな水場を通ったとは思えないな、苦笑が漏れる。
正気に戻ってからそのまま木々の間を1ハワーも歩いた頃、多分これだろうと思われる川に突き当たった。
正直助かったよ。泥を洗い流し火を焚く。
ここで野営しよう。肩掛け袋を漁るが食い物はなかった。近くの手頃な太さの木に上り、ロープで体を固定して眠るとしよう。
上を見ると葉叢の隙間から星が覗いている。
おやじ、ガルツはなんとか今日を生き延びたよ。
眩しい朝日がまぶたを焼く。身体中が痛いと叫んでいる。
特にうるさいのはロープを巻いた尻と背中だ。周囲に動物の気配はないようだ、少しガッカリしながら胸前の輪っかを引きロープを解くと俺は木から飛び降りた。とにかく腹が減っている。何か捕まえて食わなければかなわない。
川に何か居ないだろうか、気配を殺しつつ水音のする方へ近づいて行く。
おっ、鹿の親子か?そろそろと近寄ろうとしたその時、気付いたのか突然川上へ鹿たちは走り出した。しばしそのままじっとしていると、川下からなにやらのそのそ気配が遡ってくる。風は川下から吹いているから、鹿はこいつから逃げたのか、俺の狩が下手だったのか、まあ、見てやるか。
石を敷き詰めたような河原を見ながらさらに待つこと3メニ、奴が見えるところまでやってきた。水場だからな。かなり警戒しているようだが、あれはカイマンか?猟師時代に何匹か5人がかりで狩ってるがこいつは最大記録物だ。
皮が固いから背中に刃は通らない。単独で相手するのも初めてだし、どうしたものか。
急所は喉から胸にかけて、なんとかひっくり返したいところだ。顎がとにかく凶暴だが手足の爪も鋭いし、何より尾の打撃力は半端じゃない。
俺の状態も良くはないな。もっと軽い朝飯を探すとしよう。
ゆっくりと10メルほど後退りして、奴から離れ立ち上がったその時、奴が何か騒ぎ出した。
おいおい、この距離で見つかっちまったのか?どんだけ敏感なんだよ。以前狩った奴らはもっと鈍かったはずだが。
慌てて振り向くと、俺を見つけたわけじゃなさそうだ。シッポがブンブン振れているのが見える……向こうに何かいるのか?
「うわ、あっち行け!」「うわーん、怖いよー」
子供の声か?仕方ない。見逃してやった朝飯だってのに、こっちが食われちまうことになるかもな。
子供を見捨てるわけにもいかんし。
俺は肩掛け袋を放ると、カイマンに向かって走り出した。
走りながら背負った長剣を抜く。5メル。左の盾の向きを確認する。
奴の注意は子供に向いている。もう少しだけ猶予がありそうだ。奴の死角から眼を狙うぞ。
と、俺の踏切る音が聞こえたのか奴は体を回し正対しやがった。俺の足はすでに地面を離れている。しょうがない。このまま剣に体重を乗せ突き抜いてやる。
その刹那、襲われていた子供が握っていたらしい小石混じりの砂を奴の左目に投げつけた。
嫌がるように首を震わせるカイマンの鼻面を踏みつけるように俺は落ちて行く。目は少し離れた位置になるが、何とかなるだろう!!上体を振り被るように長剣を奴の右目へ突き立てた。
開かれようとしていた上顎もうまく踏みつけ、閉じることに成功した。
だが奴は激しく首を振った。鼻面を踏みつけていた俺は、足を取られバランスを崩す。倒れ込んだところへガブリと……ん?!あいつ左目も見えないのか?右は俺が潰したが、さっきの砂か?チャンスだ!
起き上がり剣を振りかぶる。奴は匂いなのか気配なのか、俺の位置を把握しているようでこちらへ突進してきた。カイマンの皮の凹凸がハッキリと見える。
あ、こいつグリンカイマンだ。目の下の緑が濃い。半歩右へ移動し小盾で開きかけた上顎を上から左下へ擦るように押し戻す。うぐっ、何キルあるんだこいつ、クソ重いぞ。奴の進路が僅かに逸れ口も閉じかけているその首元を上から長剣でぶっ叩いた。切れるなんてことはあり得ないが、多少のダメージは通ってくれよ!
む、なんか動きが鈍い。左前足のすぐ後ろのあの辺、長剣を地に沿わせるように寝かせ、身を低くして突っ込んだ。剣は左脇腹に突き刺さったが、肋骨に当たったのか浅い。剣の鍔を握り捻って刃を縦にすると片膝をついて思い切り押し込んだ。
僅かに刺さる感触があったが、グリンカイマンが身を捻り剣は虚しく抜けてしまった。
慌てて飛び退く俺の顔を奴の尾が掠める。
「キャア!」
子供の悲鳴が上がる。
奴は尾を振り切っている。振るための反動で体は極限まで左へ曲がり三日月のようだ。首はほとんどこちらを向いており、左目が復活したのか丁度俺と視線が交錯した。
どうしたって振った尾は戻さずにはいられまい。
曲げた体では動きもままならないはず。俺は左回りに走る。狙うは左目だ。首は右へしか動かせない。曲げ切った体勢から上への噛みつきは難しいし、4足の爪も上向じゃない。お前の利は今、その固い皮だけだ。
長剣は左目の辺りを思い切り叩いた。
「ギャン!」カイマンは悲鳴を上げた。
もう一発!もう一発!何度叩いたのだろう。
気がつくと目は原型を留めておらずカイマンはぐったりとしていた。
止めを刺さなければならない。心臓を狙うにはこの巨体をひっくり返す必要がある。眼窩から脳を狙うか。途中に仕切りの骨があるから突き抜かなければならない。
長剣の柄に掌を当て体重を乗せて真っ直ぐに身体ごと押し込んだ。カイマンがビクンと大きく動いて持ち上げられられてしまう、がそのままドスンと静かになった。
さすがに切れ切れになった息が落ち着くまで、2メニ程も突き刺さった長剣の柄に持たれ俺はへたり込んだ。周囲の警戒もままならずゼイゼイと息を切らす俺に、二人の子供が恐る恐る寄って来た。
「ねえ、大丈夫?」「やっつけた?」「うわ、おっきい!」「怖かったー」
「……大丈夫だ……なんとかな……おまえらは……なんとも…なかったか?……怪我して…ないか?」
「うん、怪我してないよ」「怖かったー、もうダメかと思ったー」
やっと息が落ち着き周りを見る。血の匂いで凶暴なやつが寄って来ないとも限らない。
取り敢えず大丈夫そうだな。
改めて二人の方を見ると、女の子かな。130セロくらいの小さい子が二人、足首が見えるくらいの丈のズボン、手首を絞った長袖シャツ。手作りですって感じで毛皮を足に履いている。濃いのと薄いのどっちも茶色の髪だな。髪の色が濃い方は猫系かな?色の薄い方はおおきな黒い髪留めを後ろに付けている。どこか拾った棒、と言うか真っすぐ目の枝、杖か?を持っている。
「俺はガルツだ。お前ら危なかったな」
「あたしはアリス。助けてくれてありがとー」
黒い髪留めの子だ。
「あたいはミット。あたいもありがとー」
茶の濃い髪の猫っぽい子だな。
「正直、俺もダメかと思ったぞ。朝飯にと思って見ていたんだけど無理そうなんで逃げる途中だった。そこへお前らの悲鳴だろ。もう、やけくそよ」
「えー、汚い言葉、やめてよねー!」
「あ、すまん。その……育ちがな……ガサツなもんで。
それでお前たち、どっから来たんだ。あの肉食うまでは2ハワーはかかるぞ?それに、親はどうした?」
「あたいら、村から逃げてきたのー。みんな死んじゃったー。帰るとこないー」
「お母さんが死んだの。お父さんもお墓だからあたしにはミットしかいないのー」
「なんだって?一体何があった?」
「わかんないけど、知らない男たちがきて暴れたのー。家も焼けちゃった。畑も荒らされて食べるものが残ってないのー」
俺がここまで逃げてきたと同じように、敗残兵が掠奪に奔ったか?敵の部隊の蹂躙かもしれない。
とにかく今は身の安全が先か。
「辛いことを聞いちまった。すまん。じゃあ、行く当てはないってことでいいか?食えそうなものはあのカイマンだけだから、解体したいんだが」
こんにちはー、アリスでーす。主人公やってまーす。
あたいはー、ミットだよー。
あたしたちのお話を見てくださってありがとー。
とゆーことでー、「フロウラの末裔」はっじまるっよー。