01:物語の始まり_01
石造りの壁に赤黒い染みが目立つ薄暗い室内、カビと血の臭いが入り交じり、むせ返る様な空気の中ヒュンと甲高い音が室内に響く。
一定間隔ごとに聞こえるバシンという鈍い音は聞いた人々に室内で行われいる悍ましい行為を予感させるだろう。
「ほら…叫び声でも上げなさいよ…このグズ!!」
そういって少女は手に持つ鞭を振り下ろす。鞭はバチバチと光を放っており、ただ打たれた人の皮膚を引き裂くだけの物ではないと一目でわかる。
振り下ろされた鞭は壁に固定された小汚い人物にあたる彼の顔は醜く焼け爛れもはや原型はとどめていない。
この少女が持つのは奴隷調教用の電気鞭であり通常であれば大の大人だろうと一撃もらえば泣き叫ぶ。名前の通り反抗的な奴隷に対する調教や拷問に使われる道具である。
ただ少女はそれだけでは飽き足らず電気鞭を業者に改造させ、もはや調教道具ではなく殺傷するための武器として使えるレベルまで引き上げていた。
少女は目の前で耐えている人物を見て鼻で笑った。昔でこそ一回当たれば泣き叫び、二度三度当たったらそれこそ失禁さえしていたのだ、だが今では愚かにも耐えきることができるまでに慣れてしまっていた。
彼女はその様子に苛立ちを抑えきれず地団太を踏む。
「アンタは!!無様にッ汚く泣き叫べばいいのよ!!」
喋りながらも彼女は腕を止めることは無い。小汚い彼は知っていた、ここで泣き叫べば彼女は調子に乗りさらに苛烈なことを始めることを、だからこそ気絶もしないように歯を食いしばりただ…ただひたすらに耐え続ける。
「犬の分際で…ご主人様のいう事を聞けないっていうの!!惨めに泣いて見せなさい!!」
またも、鞭が体に当たり電気が走る、鞭が当たった部分は赤い肉が見えているが電気で焼かれ出血はしていない。
「ツ…ッ」
声が出そうになったのを彼は舌を噛んで我慢する。
少女が息を整えつつ鞭で打っていた相手を見る。すると彼は少女を真っ直ぐに見つめていた、右目は黒く、左目は黄色い猫のような瞳で。
その視線に少女は少し後ずさるがすぐに顔を真っ赤にしてヒステリックに叫ぶ。
「なによ、モロンの分際で…いいわ、今日はとことん立場をわからせてあげる」
モロンは彼女に顔を蹴り上げられる…そして一日中調教と言う名の拷問を受け続けた。
部屋に投げ入れられたモロンからはコヒューコヒューとか細い呼吸が口から聞こえる。碌な食事もとれておらず彼の体は骨が浮き上がっており、何度も折れたことがあるようで所々歪な形が目に入る。
顔は魔法で火あぶりになった際に爛れ、碌に治療もされずそのまま…これを普通の感性を持つ人間が見れば死体、もしくはアンデッドの類だと確信するだろう。
「あら…随分今日は酷いめにあったのね」
そういってモロンを上から見下げる少女。先ほど鞭をふるっていた少女と似ているがこちらの彼女は妹であり、何かとモロンに食事を持ってくるなど微妙な距離感を保っている少女。
「…妹様」
モロンは息も絶え絶えと言った様子で彼女を見つめる。
「はぁ…アドラでいいわよ、全くほら上半身を…」
そういって彼女は汚く醜いモロンの体に嫌な顔ひとつせずに抱き起こすと、壁の方へ背中を預けるように座らせ、彼女自身はモロンの正面へと座る。
「ほら、手をどけて、さっさと体拭くわよ」
「あ、自分でやるよ…」
モロンの言葉に彼女は呆れた様にアドラは首を振ると、彼の言葉を無視しながら体の状態を確認する。
皮膚は裂け、通常だったら致命傷だろう。しかし不思議なことにモロンは元気…というわけではないが無事である、明らかに出血の量も尋常ではなく死体にしか見えない状態である。
アドラは興味深そうに傷口を眺め。だがモロンがアドラの顔を覗き込んだことで彼女は動きを再開した。
「まったく何言ってるのよ、ついでに傷口を魔法で塞いであげるから、ほら」
そういって彼女はモロンがひき止める手を引きはがし、傷口に魔法をかける。
アドラの魔法により裂けていた傷口がある程度くっつき、赤黒く見えていた肉の裂け目からの血は止まり、グロテスクな状態からは少しばかり回復した。
「完全に治したら姉さんが怒るから…ゆっくりと治る持続性の高い魔法にするわよ」
「うん…あり…がとう…」
完治が遅かろうと一晩中痛みで動けないよりはマシだ。と、モロンはアドラに感謝する。
感謝したモロンの頭をアドラは優しく撫でた。
「じゃあ今度は体を拭くわよ」
そういってアドラは濡れタオル片手に優しくモロンの体を拭き始める。
すぐにタオルは血まみれになり、何度もタオルを水につけることになる。勿論アドラの手もモロンの血液により赤黒く染まる。
モロンは彼女の介護を抵抗せずに受け入れる。いや抵抗する力も残っていないと言ったところか。
体を拭き終えた彼女は手を洗うと「次は食事ね」と言って、豆などは入っているが粗末な作りのオートミールをスプーンで掬いあげるとモロンの口へと運ぶ。
モロンは久々の食事に感謝しつつ味わって食べた。あぁそこら辺の虫や自分の肉を食べるよりもはるかに美味しい。モロンは涙は出なかったが口元は震わせる。
一口、二口と運んでいくうちに皿の中は空になっていた。
「あら、足りなかったかしら…でも材料を盗んで作る時間を考えたらこの量しか持ってこれなかったのよ、ごめんね」
彼女は再度モロンを優しく撫でた。
「いや…、食べられるだけでも嬉しいよ…」
食事をとったおかげか、ようやく考えることが出来るようになった脳みそでモロンは目の前のアドラに対して首を傾げた。
「…妹様は僕のことが嫌いだったんじゃ」
そう、今でこそ彼女はモロンの世話を焼いてくれるが、昔は彼女の姉よりも苛烈な調教をしてきた。しかしここ数年でばったりとそういうことは無くなり、今では家族に内緒でご飯などを届けてくれる存在となっている。
「…だからアドラで…まぁ、私も色々と思うことがあってね…ねぇ、モロンあなたここから抜け出したいとか思わないの?」
モロンはアドラの言葉に何をバカなことをと笑い飛ばす。
「抜け出す…考えたことも無いよ」
モロンの様子から本心から言っていることを理解したアドラは「はぁ…」とため息を漏らした。
「そうよね、小さい頃からこんな目にあってたらそうなるわよね」
実際アドラは言うだけ言ってみたが、この牢から抜け出すことは不可能だろうと思っていた。
それこそ自分のような外部からの協力者がいなければ、魔法の錠前にモロンが居なくなったら鳴るようになっている警報装置…アドラはこの過剰ともいえる逃がさないための警備に考える。本当にあなたは何者なのかしら…と。
アドラの目は先ほどまでの優し気なものでは無くねっとりとした気味の悪い目へと変わっていた。
だが、何とか立ち上がろうとしているモロンはそのことに気が付かない。
「あぁ…ふぅ、立ち上がるのも一苦労だ」
壁に手を当て、モロンは何とかといった様子で笑う膝で必死に立ち上がる。
「座ってた方がいいわよ。元気だと思われたらあの女王様のお仕置きが飛んでくるわよ」
アドラは女王様と言った時だけ吐き捨てるような、憎しみが見える口調で言った。モロンも気が付いたがアドラに聞くことは無い。
「そう…だね」
モロンは冷たい地面へと腰を掛けると、そのまま目をつぶる。
――今日はご飯も食べれたし寝付けそうだ…。
耳に入ってくるのはアドラが部屋から出ていく足音のみ…と、思ったのつかの間喉元にチクりとした痛みが走る。
それと同時に襲ってくる吐き気と眩暈。
「あぁぁぁあぁぁぁ…」
何とかせっかくの食事を出すまいと吐き気は我慢したが、電気鞭の後遺症だろうぐるぐると目の前が歪む。
もしかしたら久々に食べた栄養のせいで体が可笑しな反応を示しているのかもしれない、とモロンは足りない脳みそで考える。
ドタリと音を立て地面に倒れ、少しすると顔のすぐ横から耳に馴染みがある声が聞こえてきた。
「我が主…可哀そうに」
そういって大げさな動きで涙をぬぐう仕草を見せるトカゲが現れる。
右目は綺麗な黄色い瞳だが、左には皮を巻いたような眼帯をつけた奇妙なトカゲ。
「あぁ…ノード、どうかしたかい」
「可哀そうな我が主が喉でも乾いて無いかと思って、ほら」
彼は器用に顎で部屋の隅を指す、そこには木の器に入った水があった。
「助かるよ、いつもありがとうね」
「いや、僕も本当はさっさとここから我が主を助けれたらどれほど気持ち晴れるか…力無い部下ですまないね」
ノードは心の底からそう思っているのだろう、俯くと深々と頭を下げた。しかしモロンはその頭を優しくなでる。
「今まで生きて居られたのもキミのおかげだよノード…だから気にしないで」
「そうかい…少しは気が晴れたよ」
そうモロンとノードは笑い合い夜も更けていった…次の瞬間。
「あ…こりゃすごいのがくるね」
ノードが呆けた顔をしながらモロンを見つめると石畳の地面へと爪を立てた。
そんな彼の姿をモロンは何をしているのかわからず首を傾げながら見つめた。