偶然という必然
時計を見ると23時を回ろうとしている。
「◯月◯日って、仕事なんだよな。有給…貰えるわけないよな」
匠は手帳を確認し、携帯の連絡帳を開く。しかし、上司に連絡する気も起きなかった。どうせ貰えるわけがない。匠は無駄な気力を使わないよう、そっと電源を切る。
布団に入ると外から鳥の声が聞こえる。匠が目を開けると外は明るかった。匠はすぐに時計を確認する。
「うわ、もうこんな時間かよ!」
疲れが溜まっていたのか布団に入るとすぐに眠ってしまったようだ。急いでスーツに着替え、店に急ぐ。
店は匠の最寄駅から2つ隣の駅近くにあり、急いでも30分くらいはかかる。匠は幼い頃に父親を亡くした。女手一つで匠を育ててくれた母親は、妹と二人で埼玉の実家に住んでいる。母親は癌になっていた。初期段階で発見できたため大事には至らなかったが、母親が心配なため匠は地元の埼玉で就職した。社宅に住むことを条件に、何かあればすぐ帰れるよう匠は県内で働けるよう融通を利かせてもらっている。
匠が店に到着すると、アルバイトの子が開店準備を進めていた。
「あ、店長!ビックリしました。来たらドア開いてなくて、合鍵使って入りました。何かあったんですか?」
「ごめんごめん。実は寝坊しちゃって、すぐに着替えるから続けてて」
「店長毎日朝から夜まで大変ですもんね。ゆっくりでいいですよ」
「そう言ってもらえると助かるよ。でも、そういうわけにはいかないから」
匠は急いで着替え始める。遅刻などしたことない匠だが、今までの疲れが出たのかもしれない。それに加えて昨日の出来事。匠の中でモヤモヤと残り続ける。その日の仕事は気が入らなかった。包丁で指を少し切ってしまったり、オーダーを間違えたりと些細なミスを何回も起こした。
「店長、少し休んだ方がいいんじゃないですか?」
25歳のフリーターの男性が言う。
「木嶋さんありがとうごさいます。すみません、今日はミスが多くて」
「疲れが溜まってるんですよ。私からもマネージャーに店長が休めるよう言っておきますよ。よくマネージャーから人が足りない時駆り出されるんで、その借りを返してもらいます」
木嶋は笑いながら言う。
「ありがとうごさいます、木嶋さん。確かに疲れが溜まってるのかもしれないです。でも、自分で言いますから、お気持ちだけで大丈夫ですよ」
「そうですか?じゃあ、今日はもう上がってください。今日はお客さんも少ないですから私達だけで回します」
「いや、でも」
「大丈夫ですって。な?高橋?」
木嶋は近くにいた女子大学生のアルバイトに同意を求める。
「あ、はい、大丈夫ですよ。店長は休んだ方がいいです」
作業をしながら高橋は言う。
「じゃあ、お言葉に甘えて。今日は皆さんにお任せします。何かあれば電話してください、戻りますから」
匠は店を後にする。こんな時間に帰るのは初めてだ、まだ少し空が明るい。匠は家路につく。帰り道の公園でまだ小学生くらいの女の子がベンチで本を読んでいる。周りには誰もいない。日も落ち、街灯の光だけが辺りを照らす。匠は女の子に近づき、しゃがんで話しかける。
「君、もう暗くなるから家に帰った方がいいんじゃない?」
「………」
返事はなかった。
「名前は?」
「……りん」
匠は一瞬固まった。しかし、すぐに話す。
「りんちゃんって言うんだ、お母さん心配してるんじゃないか?危ないから帰った方がいいよ」
少女は頷くと、走って行った。
(りん……偶然だよな。珍しい名前でもないし、そもそも年齢が違いすぎる)
少女が去って行くのを見届けると、匠は公園を出た。