24. 生まれ育った場所
レオンティーヌ・オーバンは、土の精霊に愛されるファイエルド王国の片田舎出身である。
ファイエルド王国民は実に九割が農家であり、オーバン家もその例に漏れず、毎日畑仕事に精を出し、命を育む大地に感謝する毎日を送っていた。
「ゴルァ、レオンティーヌ!! 遊んでばっかいないで、畑を手伝え!!」
「うぉーー、野獣が追いかけてくるぞ! みんな、にっげろー!!」
レオンはよく畑を放り出しては、同世代の子どもと野山を駆けまわった。毎日泥だらけになるまで転げ回り、父親にげんこつをもらっては畑を手伝う。似たような情景が繰り返される毎日は少し退屈ではあるが楽しい。
あるとき、閉鎖的ではないが、変化のない村にちょっとした事件が起きた。旅人がやってきたのだ。畑しかない辺境の村に、行商以外の人間が来るのは奇跡とさえ言える。
「アタシは占いを家業としている、シホリという。よろしく頼むよ」
そう言って、村に居着いた彼女は、遠く東の国から来たらしい。
「おお! この村にこんな器量よしが来るとは! これから、儂らと畑を育てようぞ」
大らかな村人は快く彼女を迎え、畑仕事を教えた。娯楽のない村にあって占いはなかなかの人気で、酒の肴として酒宴に呼ばれることも多い。
シホリは、緑の黒髪に黒い瞳の神秘的な雰囲気を持っていた。
「なーなー、シホリ。うらないで畑仕事できないのか?」
「シホリー。俺とあの子のあいしょう占ってくれよ」
「はいはい、元気な子たちさね。占いで畑は耕せやしないし、そんな若い内から占い頼みしてんじゃないよ。当たって砕けてきな」
シホリは毎日大人気だった。と言っても、最初の数週間だけだが。すぐに他のおもしろいものを見つけて子どもが散っていく中、レオンは殊更熱心にシホリの元に通った。
ファイエルド王国では茶髪がほとんどを占める。黒髪は非常に珍しく、レオンは村で唯一黒い頭髪だった。いじめられるようなことはないが、レオンは初めて自分と同じ髪色を見て、勝手に親近感を抱いていたのだ。
「なあシホリ、うまい鍬の使い方教えてやろうか?」
「おや、レオンティーヌ。今日も来たのかい。お前はずいぶん熱心だねえ。他の子はもうすっかりアタシに飽きたようだよ?」
遊びに行くと、シホリはいつも笑みを浮かべて出迎えた。穏やかと言うより挑発的な笑みだが、それが彼女によく似合っている。聞くと、地顔でこれらしい。
「ほら、今から畑耕しとくと後が楽なんだって! 父ちゃんが言ってた!」
シホリの腕を引っ張り、共同の畑に出ることも多い。自宅に畑を持つ者もいるが、共同畑を使う人間の方が大多数を占める。共同畑には必ず誰かしらがいるので、作業を教えてもらいやすいのだ。
「いくぞ、こうして、こうだ!!」
お手本を披露すると、シホリもそれを真似て鍬を振る。いささかへっぴり腰ではあるが、上々だ。同世代の子どもと遊ぶことも忘れず、それでも二日に一度はシホリの所に顔を出す。
充実した毎日を送っていたある日、シホリの様子がおかしくなった。
シホリの家に遊びに行ったらひどい雷雨に見舞われ、帰るに帰れなくなったあの日。窓を照らす稲光を見つめて、茫洋とした瞳でシホリがつぶやいたのだ。
「レオンティーヌ、猛き獅子の名を持つ子よ。お前は誰よりも強くなる。しかし身の内に巣くう虫には敵わない」
「シホリ? どうしたんだよ……?」
此処ではないどこかを見つめるシホリが恐ろしい。呼びかけにも応えず、赤く色づいた唇から言葉を紡ぎ出していく。
「いつの日か、その虫はお前を食い破るだろう。そうならぬために、牡丹を探せ。美しく咲く華の雫が、お前を助けられる唯一だ。すぐには見つからぬやも知れんが、きっと、出会えるはずの牡丹を忘れるな」
くるりと首を回し、レオンの方を向く。焦点の合わぬ瞳に強く見据えられ、半泣きになりながら必死に頷く。それを見届けると、シホリの身体から力が抜けた。
「お、おい……、大丈夫か?」
「ああ、大丈夫、大丈夫だから騒ぐんじゃないよ。久しぶりに、降りてきただけだからね」
恐る恐る声をかけると、いつものシホリの反応が返ってきて、胸をなで下ろす。
「アタシの国には、獅子身中の虫って言葉があってね」
「シシシンチュウノムシ?」
「まあ、いいさね。とにかくだ、レオンティーヌ。さっきの言葉、忘れるんじゃないよ」
シホリに言い聞かされずとも、心の奥深くに刻まれた言葉は忘れられそうにない。
シホリの態度の変化は不思議だったが、終ぞその真相を聞くことはなかった。
村を病魔が襲ったのだ。疫病が流行るのは初めてではないが、今回は桁外れだった。初めに老人、子どもが倒れ、体力のない者から死んでいく。次第に働き盛りの男も病に冒されるようになり、すぐに村全体が病人で溢れかえった。
青年といえる年になっていたレオンは、畑を放り出して病人の看護に走る。動ける者は皆家族や知人を救おうと必死で薬を探し、近隣に助けを求めた。
「ぅ…、ぅあ……」
「頑張れ、頑張れ! 絶対助かるから!!」
高い熱に浮かされ、ぼやけた瞳でうなされる人間を見るのは辛い。自身もいつ倒れるか分からない。それでも、見捨てることはできなかった。
しかし、努力も虚しく村は全滅状態に陥った。知らせを受けた領主は、その村を焼き払うことを決める。
感染力、致死率共に高い病を徒に広めるわけにはいかない。村に火が放たれるのを、レオンはうっすら残った意識で捉えていた。すでにレオン自身も病に倒れ、虫の息のなか、村が火に包まれるのを感じる。炎と、それに熱された空気に肺を灼かれ、苦しささえわからないなか、ふと思い出したのはシホリの言葉。
華を見つけることなく死ぬのが惜しい、と。最後にそんなことを考え、記憶は途絶えた。
* * * * * * * * *
家屋は焼け落ち、黒くすすけた残骸が散らばる村跡を、領主の使いが訪れる。焼き払ったのは仕方のない処置だが、せめて菩提は弔うべきだと使わされた。使者は村だった場所を見て、痛ましく目を伏せる。
そこは、死が充溢する空間だった。
老いも若きも男も女も、差別なく区別なく病が襲い。
死んだ者もまだ息のあった者も病が未発祥だった者も、一切の例外なく炎が呑み込んだ。
この村に住むすべての人間は死に絶えた。間違いなくそうであり、死んでいなくてはならないその場所で、レオンは生きていた。
瞼を持ち上げて最初に見えたのは、灰色に濁った空。重い雲が空を覆っている。
「ぉれ、そとで、ねぁ……?」
のどが干上がっている。口内でうまく動かず張り付く舌に、激しく咳き込んだ。
「! おい、誰か生きてるのか!?」
レオンが咳き込むのを聞きつけて、使者が寄ってくる。村の入口近く、倒壊した家屋の跡地で、年若い青年が背を折り曲げて苦しんでいた。身に着けていた服だけ綺麗に焼けたのか、一糸まとわぬ姿で煤にまみれている。
この街の生き残りがいてはならない。それは理解しているが、目の前の青年は病の気配どころか、火傷の気配すらない。
「ごほっ、ぅえ……みず……」
弱々しい声に、慌てて水筒の水を飲ませてやる。横たわっていた身体を抱え起こし、水筒を傾けてやると、幾度か噎せた後、勢いよく飲み始めた。
「君は、何者だ?」
青年が落ち着いたところで、問いかける。
「俺は、レオンティーヌ・オーバン。この村で、畑を耕してて、んで、寝る前に燃えた、と思ったんだが……」
レオン本人もいぶかしげに周りを見回している。村を焼かれた恨みはない。この村はもうダメだった。苦しみを長引かせるくらいなら、すべてを綺麗に焼き払われるほうがいい。自分だけが生き残った様子なのが心苦しいが、その理由はレオンにもわからない。
そう説明すると、使者は思案げに目を伏せ、上着を貸してくれた。
「ほら、とりあえずこれを着なさい。君が行くべき場所は、多分あそこだ」
「どーも」
ありがたく上着を羽織らせてもらう。使者が大柄な人物で、レオンは同年代と比べて華奢な体格だったため、膝上まで隠すことができた。
おとなしく使者の男に着いていく。状況はわからないが、相手の身分ははっきりしている。世話をしてくれるというなら、厚意に甘えさせてもらうのもいい。
馬車に半日ほど揺られ、連れて行かれた先は教会だった。
「ここは、エルブリージョとラオスクリーダを祀る教会だ。名前は知っているだろう?」
「あ-、まあ。名前だけは?」
村では土の精霊ラティエッラに祈るだけだった。しかも、ラティエッラはこの大地すべてにいるという考えなので、教会のような場所はなかったのだ。
「二神は生と死の神だ。きっと君も受け入れてもらえるだろう」
教会に入り、神官らしき人物と二、三言葉を交わすと、使者の男は帰っていった。領主に報告に行くのだろう。本来なら真っ先に報告するべきなのに、先に教会に連れてきてくれたことに感謝の念がこみ上げる。上着も借りたままだ。去って行く馬車に門前で頭を下げた。
「レオンティーヌ・オーバンくん? こっちに来なさい。まずはお風呂に入ろう。その後は、食事にしようじゃないか」
皺だらけの顔を優しく緩めて、神官が誘う。温かい湯につかり、質素だが味わい深い食事を堪能して、言われるままに眠る。疲れのたまっていた身体は、夢を見ることもなかった。
「すると、君は病にかかっていたんだね?」
「ああ、熱くて痛くて辛かった。火に包まれたのも覚えてる」
「なるほど。……一度、本部に行ってみた方がいいね」
神官に聞かれるまま答えていると、そう結論が出た。
その後はとんとん拍子に事が進んだ。
すぐさま中央教会の迎えだという馬車が来て、その日のうちにヴィダメルテ神国に移動する。
そこで、自身が『ラオスクリーダの最愛』であり、闇の神の加護を持つ唯一の存在であることを告げられた。
「俺が? 加護持ち? 唯一の?」
突然の環境の変化、自身も知らなかった情報を与えられ、混乱する。村にはたまに加護持ちが生まれていたが、天気を読むのが抜群にうまい『天相の加護』や、作物の収穫期を見極める『菜熟の加護』などだった。それらは経験を積んだ農夫が身に着ける技術でもあったため、村では意味のない加護だった。
混乱はあっても、元来適当なのがレオンである。教会で与えられる高等な教育を、もらえるものはもらっておくという考えで貪欲に吸収した。剣の師も付けてもらった。
境遇から言うと医者を志すべきかと思ったが、医学書の厚さにあっさり断念、男の憧れである剣を選んだ。




