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獅子に牡丹の露は降り  作者: ベジタ坊
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23. 戦場

 フェリクスの邸に移動してから、一週間が経っていた。レオンは、リゼットが迎えに来たその日に、戦場に出たという。「いってらっしゃい」を言えなかったことが、ペオーニアの心にしこりを残していた。


「ペオーニアさん、今日はどうします?」


 レオンが戦場に出ると言うことは、ペオーニアの世話係がいなくなると言うことだ。彼女を傍で守る専任の人間がいないため、穴ウサギ亭での仕事を休むことを余儀なくされていた。ゴンサロに挨拶もできず、申し訳ない思いが募る。フェリクスが使いを出してくれ、ペオーニアも一筆書いたが、やはり直接伝えたかった。


「リゼットはどうするの? 私に手伝えるなら、仕事を手伝いたいわ」


 フェリクス邸に身を寄せてから、ペオーニアはリゼットの仕事を手伝っていた。リゼットは、広い邸の維持管理を一手に担っている。すべてを完璧にこなすことは不可能なので、毎日範囲を決めて清掃し、最低限部屋の換気だけはしていた。

 ペオーニアはそれを手伝い、リゼットの手が回らない部屋の清掃を請け負っていた。リゼットは他に、洗濯や薬草の保管、栽培、そしてラホタの祝福を得るための勉学にも励んでいる。


 砦で使うシーツや包帯がなくなったときのために、それらの備蓄も欠かさない。砦の医務室の備品がそうそうなくなるとは思えないが、大量に必要なものだ、用意しておいて困ることはない。

 医療に関係する物は、相応の知識や、徹底した衛生管理が求められるため、ペオーニアは手を出せない。リゼットを手伝えないときは、裁縫に精を出していた。


 教会で毎日行っていたこともあり、ペオーニアの裁縫の腕はなかなかのものだ。おくるみやおむつはどこの街でも必要だろうと、手慰みに作っている。できあがった物は、フェリクスやゴンサロに頼んで、どこかに寄付か配布かしてもらうつもりだった。


「今日は薬草の作業があって」

「わかったわ、私は古いシーツで包帯を作っておく」


 使い古したシーツを裂いて、包帯を作るだけならペオーニアでもできる。リゼットは頷くと、自身の作業のために出て行った。

 黙々とシーツを裂き続けて、考えるのはレオンのことだ。戦場で無茶をしていないか、いつ帰ってくるのか、不安が募る。一心不乱に作業を続けている間にお昼の時間になっていた。リゼットが呼びに来てくれたのに合わせて作業を中断する。台所は自分の城だと言って、食事はリゼットが作ってくれていた。

 たわいない話をしながら腹ごしらえをして、いざ作業に戻ろうかという時だった。


「ただいま、良い匂いがしているな」


 なんの連絡もなくフェリクスが帰宅した。


「本格的に忙しくなる前に、一度家で休もうと思ってな。なにせ老体だ、労ってやらねばすぐガタが来る」


 そう言って椅子に体を預ける。隠しきれない疲れがにじみ出るその姿に、ペオーニアは膝掛けを取りに走り、リゼットは暖かいスープを用意した。

 二人の娘に甲斐甲斐しく世話をされて若返る気分だった、らしい。

 ともかく、少し落ち着いたフェリクスは、ペオーニアに目を向けた。心の奥底まで見通すような、年齢にふさわしい威厳に満ちた目だった。


「ペオーニア、レオンと話をしたか?」


 じっとりと重い声音で問いかけられる。


「ええ、加護のことを教えてもらったわ」

「そうか」


 吐息とともに吐き出された一言に、万感の思いが込められているようで、得体の知れない焦燥感が胸を灼く。それを振り払うために言葉を続けた。


「『長命の加護』でしょ? 名前からして、身体が丈夫になるのよね?」


 加護に対するペオーニアの解釈に、フェリクスが愕然とした。先ほどとは比にならない大きなため息を吐き、沈鬱な表情で口を開いた。


「あれは、『長命の加護』は、そんな単純な代物ではない。あの加護の最大の特徴は、命を前倒しすることにある」


 * * * * * * * * *


 街では経験することのない冷えた風に、反射的に身体を震わせる。


 砦を背にし、味方の指示を待つ。フェルテから出て今日で一週間だ。最初の三日は移動に費やし、四日目から戦闘が始まった。相手は素人、隊列も何もないが、生きる気力だけは人一倍だ。油断すれば呑まれかねない士気の高さと勢いがある。


 レオンは一人、遠くに見える影を眺めていた。隊で動くのが基本だが、『災厄の英雄』と肩を並べたくないとばかりに、単騎での行動を命じられた。自由に動けるのは楽で良いが、負担が大きいのも事実だ。

 レオンの戦闘能力は評価されている。そのうえで、使い潰しても問題ないと思われているのだろう。軍の考えを予想して、鼻を鳴らす。むざむざ死んでやる必要などない、と何度もゴンサロに背中を叩かれたのを思い出した。


 空を見上げる。そろそろ太陽が中天に到達する。寒いとは言っても、空気はずいぶん暖められた。視線を前に戻すと、黒い影が動き出すのが見えた。食料()を奪うために、突撃する(命を散らす)準備をしているのだ。

 こちらも戦闘準備をしているのが背中越しに伝わってくる。身を翻し、いつでも付き従ってくれる相棒、ジョアンナの元へと戻った。この軍での唯一の味方だ。


 準備が整う。高い笛の音が一度、響いた。これはレオンへの命令だ。この笛が吹かれると、レオンは一人特攻し、少し遅れて軍が続く。敵からすれば、悪魔の襲撃を知らせる絶望の音だ。レオンが長く戦場にいればいるほど、彼の恐怖が刻まれ、笛の音が響くだけで相手の戦意をくじくこともある。


 一番槍としての役目を存分に果たすべく、ジョアンナを駆り、敵陣に飛び込んでいった。

 相手にするのは、普段は農具や精々弓を扱う程度の素人ばかり。

 漆黒の鞘から抜き放った剣は、青白い輝きを帯びている。中央教会の地下に湧く泉の水で鍛えた長剣だ。レオンの手にある限り、その切れ味が落ちることはない。

 肉を、骨を、たやすく断ち切っていく。


 馬上から、敵の頭に剣を叩きつける。頭蓋骨ごと脳をかち割り、倒れ逝く姿を見ないままに、傍にいた男の首を切り飛ばす。一人を切れば、返す刀で別の一人の胴を両断する。

 レオンが通った後には、見る間に死体が積み上がっていく。加護持ちであることを示す黒の長衣も、黒髪も、彼を乗せるジョアンナも瞬く間に鮮血に染め上げられた。

 それでも決して深追いはせず、ある程度切り込んだら撤退できる距離まで引き、兵士が戦いやすいようまた活路を拓くということを繰り返す。必死に向かってくる異民族を、訓練された兵士は整然と応戦し、退ける。


 そんな戦い方を続けて今日で四日目。

 どこかに油断があったのか、相手がついになりふり構わなくなったのか。前線で戦っていた兵士の列が突き崩された。乱れた隊列を立て直そうとするも、一気に突破しようと押し寄せる勢いが勝る。加えて相手は死にものぐるいだ。ここで進まなければ彼らに明日はない。


 この場を崩されたからと言って、すぐに砦に攻め込まれるわけではないが、危なくなるのは確かだ。どうにか持ち直そうと、あちこちで奮闘する声を聞きながら、レオンも剣を振るう。

 後ろが崩れたことで、レオンが本隊に戻る路も閉ざされた。ひたすらに前へ進むしかない。青白い刃が閃く都度、命が散っていく。少しでもためらえば物量で押しつぶされる。機械的に身体を動かし、命が消える感覚を掌で受け止めて進む。


 どうにか最前線を抜けた頃には、高かった陽はすっかり沈んでいた。当然だが、夜は冷える。しかし、本隊に戻る術もない。下馬して周りを見渡せば、そこら中に事切れた骸が転がっている。


 この中のどれほどを、自分は殺したのだろう。

 胸に去来する感傷を振り払い、服を剥いでいく。これらの死体は、衛生的な問題から、戦争が終わった後に回収され、燃やされるはずだ。その前に必要な物を頂戴してもいいだろう。


 血と砂にまみれていても服は服。着込めばそれなりに暖かい。念のために騎馬にくくりつけていた水とわずかな食料を、相棒と分け合い、かろうじて風が防げる岩の陰に腰を下ろす。人の気配を感じればすぐに目は覚める。それまでに体力の回復に努めようと、瞳を閉じた。




 話し声に目が覚める。そっと岩から覗くと、いくつかの家族が馬車の陰で身を寄せ合っていた。前線ではないこの場所で、彼らも殺さなければならない。放っておけば、あの家族も戦闘に参加する。数の暴力で押し切られる前に切り捨てるべきだ。


 暖をとるために纏っていた布をはねのけた。早朝の冷気が身体を芯まで凍えさせる。隣で起きようとするジョアンナを制する。この距離だと自分で走った方が良い。数も夕べと比べるとたいしたことはなく、自分一人でも間に合うだろう。冷静に判断すると、岩陰から飛び出した。


 気づいた一人が叫ぶより前に、その胸に剣を突き立てる。愛用の剣を引き抜くと、多量の血液が噴き出した。固まって赤黒く変色した血の上に鮮やかな赤が上塗りされ、醜いまだら模様をレオンの身体に描き出す。

 死んだ男を呼びに来た妻とおぼしき女性が、レオンを見て声をあげる。異変を察して集まってきた人間を一太刀の元に切り伏せる。腕を持ち上げ、刃を振り下ろし、集まる端から淡々と命を刈っていく。


 レオンの技量は卓越しているが、連戦に加え、録に休めなかった昨夜とこの冷気、疲労も相まって剣筋が乱れる。気づけば周りを囲まれていた。鍬や斧、あるいはスコップなど、多種多様な武器が、恐怖混じりの殺意と共にレオンに向けられている。


 全部で七人。他に人が出てくる気配はない。数など数えていないが、これがこの家族の最後なのだろう。

 無造作に剣を振り上げると、恐怖に駆られて一斉に突撃してきた。包囲網を崩そうとレオンも前にでる。何人切ろうと輝きの衰えぬ長剣を振り下ろした先には、若い娘がいた。丸い瞳を限界まで見開き、こけた頬を恐怖に引きつらせている。


 ペオーニアと同じくらいか、と。

 頭を掠めた考えに、ほんのわずか、躊躇する。その逡巡が命取りだった。恐怖におののき、それでも娘は手にしたナイフを突き出した。腹に異物が埋め込まれるのがわかる。反射的に腕を振り下ろし、娘の首を飛ばす。次の瞬間、全身に衝撃が走った。

 鍬は足を砕き、斧は肩に食い込んでいる。スコップは背中を抉り、割って尖らせた木片が胸に突き立つ。首には鏃がねじ込まれ、石が頭に叩きつけられた。


 致命傷はあるが、即死の傷はない。

 即座に右手の長剣を振る。手近にいた男の肩から足までを切り裂く。呆然とする人間ののどを突き、そのまま横に薙ぐと、隣にあった頭を横殴りにたたき割る。ひるんだ残りの内、一人は眼球ごと脳を貫き、一人は腹を一文字に開いた。


「ば、化け物……!!」

「知ってるよ」


 怯えきった悲鳴(賞賛)をあげる男に、どす黒い血と一緒にかすれた言葉を吐き出してやる。長剣を突き出すと、軽い手応えを感じた。先ほどまで怯えていた生き物は、ただの肉塊に変わっている。

 視線を感じ、目を向けると、年端もいかない子どもがこちらを見ていた。目が合ったと気づくと、一目散に逃げていく。取りこぼしがあったことに舌を打つが、追えそうにない。


 身体を引きずって岩陰に戻る。肉体を食んでいた諸々を力任せに引き抜くと、血が吹き出た。長衣は数多の血を吸って、おぞましい色に変わっている。手にある長剣だけが、変わらぬ青白い輝きを宿していた。

 崩れるように腰を下ろすと、ジョアンナが鼻面を寄せてくる。それに応える気力はもはやなく、横倒しになる身体を支えることもできない。

 冷え切った砂地に、冷えていく身体を横たえる。流れる血は止まらず、直に寒さもわからなくなった。意識が闇へと落ちる間際に、大切な声が聞こえた気がした。


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