21. 戦の足音
野菜の価格高騰はあったものの、生活を圧迫するほどではない。多少家計が苦しくなる程度で、誰も飢えることなく冬は深まっていく。
しかしそれは、ディオス・ディスカンソ共同体内でだけの話だ。外の国は、例年より早い冬の訪れに苦しんでいた。十分な備蓄が出来ない中で迎えた冬、当然食料は不足している。暖を取るための薪も足りていない。
それは自然に暮らす生き物も同じだ。食料を求め、人里に降りてくる動物が後を絶たない。少ない食料を荒らされ、駆除してもその肉は微々たるもの。飢えた者全員には行き渡らない。
生きるために欠かせない食事、それを自力で得られないならばどうするか。
決まっている、奪うのだ。足りないなら、豊富に持っているところからもらえば良い。返り討ちにされる危険性は高いが、どのみち、食料がなければ飢えて死ぬしかないのだ。
生への渇望でぎらつく瞳に揺るがぬ闘志を燃やして、砦を見据える。風が冷えれば冷えるだけ、空気が凍えれば凍えるだけ、身に疼く戦意は熱を増していった。
* * * * * * * * *
「レオン、ちょっと来てくれ」
今日も今日とて兵士に訓練を付け、一人残らず伸したレオンをフェリクスが手招きした。訓練場を見渡して、向かってくる兵士がいないことを確認すると、訓練を切り上げる。
フェリクスと二人、人目を避けて医務室に着いた。ここはフェリクスが管理しており、軍部でもおいそれと手出しできないフェリクスの城だ。兵士の命を握る場面において、フェリクスは絶対的な権力者なのだ。
「どうした、フェリシア。何かあったか?」
質問の体をとってはいるが、この時期に呼ばれるなど、異民族討伐に他ならない。医務室の奥、入口からは見えない場所に腰掛けると、フェリクスは気が進まない様子で、重い口を開いた。
「今年は冬が早かった」
「らしいな。ペオーニアが、野菜の値段がたけえって話してた」
「冬越えの準備を、十二分に出来なかったようだ。……現時点で、二千を超える敵影が報告されている」
「…………」
「穏便に、交渉から入ってくれるなら、こちらも相応の対応が出来るが……」
異民族が砦に侵攻するのは、国土を広げようとして正規の軍隊が派遣されるときか、食い詰めた平民が破れかぶれで食料を求めるときのどちらかだ。
今回は言うまでもなく後者である。正規の軍隊であれば、交渉などで戦を避けることも出来るが、食い詰めた市民相手だとそうはいかない。援助をしようにも、向こうは村単位で食料が足りていないのだ。十分な供給は出来ない。中途半端に与えれば、与えられなかった者が大挙して押し寄せる。
実を言うと、毎年冬になると異民族が侵攻してくる。しかしそれは、食い扶持のない農民がせいぜい数百人規模で押し寄せるだけだ。それも、食料を恵んでもらうのが目的の、敵意のほぼない連中だ。無償で食料を与えることはできないが、冬の間フェルテで働くことを条件に、食料を融通することはある。大道芸的に伝統芸能を披露したり、彼ら独特の食事を作ったり、冬の間に行われる異文化交流は、フェルテの風物詩でもあった。
今年は事情が違う。食料が足りていないのは、数百人どころではないだろう。二千という敵影も、今後増えることが予想される。数千もの人間を雇い入れる余裕も、食料を与える余裕も、当然ない。
それは向こうも良く理解している。相手の目的は慈悲やわずかな食料ではない。この街そのものだ。戦える男だけでなく、女子どもを含めた家族総出でやって来るはずだ。死を目前にして、それでも生きようとあがく人間は強い。
今年は久方ぶりに、多くの血が流れる冬になることは間違いない。その中には、戦う力を持たない女も、年端のいかぬ子どももいるのだ。
「近いうちに、お前にも召集がかかるだろう。それまでに、ペオーニアと話をしなさい」
「……わぁったよ」
小競り合い程度であればレオンの出る幕はない。しかし、此度の戦争は殲滅戦になるだろう。慈悲をかければ食いつぶされるのはこちらだ。徹底的に、完膚なきまでに、つぶす必要がある。
戦争に赴けば、ペオーニアを一人にすることになる。フェリクスが預かるのだろうが、レオンが守ることはできない。フェルテを略奪から守ることは、ここに暮らすペオーニアを守ることでもあるが、彼女の傍にはいられない。歯痒い思いに唇をかみしめた。
それを見てフェリクスは不安に瞳を揺らめかせる。想像以上に早く異民族が侵攻してきたのだ。レオンはすぐにでも戦場に送られる。易々と殺されるたまではないのはわかっているが、平然と自分の命を使いつぶすことがあるのも事実だ。
「じゃ、俺は帰るわ。教えてくれてありがとうな、フェリシア」
「ちゃんと話すんだぞ」
フェリクスの忠言に手を振ることで答え、レオンは砦を後にした。
穴ウサギ亭では、誘拐事件などなかったかの如く、エウラリオが親しげにペオーニアに話しかけていた。隣に腰掛けるとゴンサロの鋭い一睨みが飛んでくるため、間に一つ空けてペオーニアに声をかける。
「ペオーニアさん、知っていますか? 近々、大規模な戦争が起こるようです」
「私は死なないわよ」
相変わらず人好きのする笑みを浮かべるエウラリオに、ペオーニアは冷たく応じる。殺そうとしたことは恨んでいないが、信頼を裏切ったことは許しがたい。
「はい、それはもちろんわかってます。エルブリージョ様があなたを生かしましたから」
エウラリオは、エルブリージョへの信仰を隠さなくなった。狂信に近いエウラリオの言には薄ら寒いものがあるが、とりあえず今はペオーニアへの害意はない。
エウラリオは毎日穴ウサギ亭にやってきて適当に話しては帰って行く。街の情報を持ってくるため、歩く掲示板だと思えばさほど気にならなくなった。
「今年は冬が早いために食糧不足が深刻なようです。私たちが異民族と呼ぶ彼らは、一応は隣国の国民ということになっていますが、実際は自治領のようなものですから。普段自由である代わりに、国からの保護も受けられない」
正確には、不毛の地の面倒を見切れるほど、国が富んでいないのだ。戦争を仕掛けるときには兵力として数えながらも、国としての援助はしない。彼らは戦争自体も出稼ぎ程度に考えている節がある。国民としての意識が薄く、砦への侵攻にも抵抗がない。
「ペオーニアさんも気を付けてくださいね。彼らは生きる糧を求めて、死にものぐるいでフェルテを目指します。生きようとする人間の意志は強く貴い。砦が落とされても、なんの不思議もありませんから」
「ペオーニアに余計な不安与えてんじゃねえよ」
戦争の恐ろしさを説こうとしたエウラリオを制止し、いつの間にか入店していたレオンがペオーニアの腕を引く。ペオーニアも逆らうことなく、椅子から立ち上がり、レオンに寄り添った。
「今日もお疲れ様、レオン」
「ペオーニアこそ、お疲れ。毎日頑張ってるな」
目の前で交わされる会話は、砂糖をまぶしているような声音で行われている。ゴンサロは毎日行われるお決まりの流れに、もはや視線を向けることすらしない。ペオーニアは意図的に甘えているが、レオンはまったくの無自覚だ。
「じゃあな、ゴンサロ。また明日」
「お疲れ様です、大将。お先に失礼します」
エウラリオの存在には一切触れず、店を出て行く。エウラリオも、わざわざそれに突っ込むことはしない。やったことを後悔はしていないが、立場はわきまえている。口を挟んで馬に蹴られるのも、護衛に殴られるのも、両方まっぴらだ。
「亭主、ペオーニアさんは、彼の正体を知っているんでしょうか?」
夕方のこの時間、穴ウサギ亭には誰もいない。夜の時間として混み出すのは、まだ少し先だ。だから、エウラリオとゴンサロ、二人きりの店内にその質問は大きく響いた。
ゴンサロは作業の手を止め、真正面からエウラリオを見返す。
「数多の戦場を駆け抜け、不敗にして全滅の伝説を作り上げた、『災厄の英雄』。レオンティーヌ・オーバン、彼がそうなんでしょう?」
確信を持った問いかけに、ゴンサロが視線を外す。無言の肯定と見て取ったエウラリオは、憂いに顔を曇らせた。
「ペオーニアさんは大丈夫でしょうか? あんな、頭に花が咲いている状態で。レオンさんに余計なことを言うのではないかと、私が気を揉んでしまいます」
「あんたが言えることじゃないだろ。もちろん、俺にも。二人が解決する問題だ」
要らぬ世話を焼こうとしたことは棚に上げ、素っ気なく返す。
「あとな、二度と、俺の前で、その呼び名、口にするんじゃねえぞ」
――『災厄の英雄』。
それは、レオンの功績をもっとも端的に表わす呼び名であり、もっとも事実から離れた称号であった。




