17. 約束
「こわい。こわいよぉー、れおん。わたし、いらないこで、しんだほうがよくて。あたらしいこのほうが、わたしよりうまくできて」
「そんなことはねえよ。お前が要らないなんてことはあり得ない」
「かごをはつげんできて」
「加護が全てじゃねえ。ゴンサロも、お前はよく働くって、褒めてたぞ」
背中に感じる体温はあまりに優しく暖かい。ペオーニアへの思いやりと慈愛に満ちていて、この腕の中にいれば何も恐い物はないのだと思えた。
「ペオーニア。俺は、お前が頑張ってるのを知ってる。料理だって、ずいぶんうまくなった。朝飯は俺が作ってるが、正直に言うと、三食お前のメシを食いたいよ。お前はどんなことでも出来るまでやる奴だ。加護の発現も、かなり努力したんだろうな」
腕の中の体が震える。教会という一つの価値観の中で、隔離されるように過ごしてきた彼女にとって、自分の価値を計れるのは加護だけだ。
加護が発現しない、ただその一点で、彼女の評価は決まった。
「加護は、授かり物だ。特に俺らは、一人しかいない加護持ちだ。祝福もねえ。正真正銘、俺らしか、神の影響を受けた奴はいねえんだ。だからな、こう考えりゃ良い」
胸元にある頭が動き、潤む金の瞳が見上げる。泣いたせいで朱に染まった目尻が痛々しい。いまだこぼれる雫を指先でぬぐい、しっかりと視線を合わせた。
レオンの黒の瞳には、不思議な引力がある、とペオーニアは思う。一度目を合わせたら、自分から逸らすことが困難なのだ。
黒と黄金の視線が交錯する。闇に呑まれそうな恐怖があり、同時に、レオンにならすべてを奪われても良いと思った。
一心に見つめるペオーニアに、レオンが息を呑む気配がする。
一秒が何時間にも思える沈黙の後、かすれた声でレオンが言う。
「……だから、こう考えろ。加護を与えたのが神なら、加護を発現させねえのも、神だ。すべては神の導きだって、胸張ってろ」
先ほどの会話を続けられた己を、レオンは内心で褒め称えた。涙で輝く蜂蜜の瞳は蠱惑的で、体に渦巻く衝動のままに動いたら、何をしていたことか。
幸い、レオンの懊悩に気づくことなく、ペオーニアは目から鱗と言った表情で口を開けている。
「加護があるのも、加護が発現しないのも、神様のせい……」
そう考えたら、今までの悩みが全部吹き飛ぶ気がした。加護を持って生まれてきたのも、加護を発現できないのも、すべて神の意志。ペオーニアには落ち度はない。
強引な責任転嫁に思えるが、実際に、加護の発現に本人の意志は関係ない事が多い。日常生活でも使える類いの効果なら、自然と発現するが、例えば軍隊を殲滅するような加護は、実際にその状況に陥らない限り発現しない。加護の使い方は訓練や練度がものを言うが、発現するかどうかは持って生まれた加護による。だからこそ、すべては神の導きだと言えるのだ。
「加護がなくたって、どうとでも生きていける。加護持ちだが加護が発現してない奴だって、そんなに珍しくもないさ。教会が躍起になってるだけで、お前はなんもおかしくないし、悪くないんだよ」
「そう、なの。そうなんだ」
憑き物が落ちた顔で、ペオーニアがレオンに抱きついた。両手を回し、力の限りしがみつく。
「レオン、私ね、ここに来るまでは、いつ終わっても良いと思ってたの。それが私に望まれてることで、唯一出来ることだと思ってた」
「……ああ。フェリシアに聞いた」
「なんだ、知ってたのね」
レオンは、自らも処分されようとしていたことも知っていたのだろうか。
「お前がここに送られたのは、戦いに巻き込まれても不自然じゃないからだって聞いたよ。フェリシアは一度教会でお前を見たらしい。だから俺を推薦したんだと」
自分の知る中で、誰よりも強く、優しい人間を選んだのだと、以前彼は語っていた。
「じゃあ、私が死んだら、あなたも一緒に殺される予定だった、というのは?」
「知ってたさ」
レオンは何を思って世話係を引き受けたのか。ペオーニアを殺させるつもりでなかったのなら、普段の行動はあまりに軽率だった。
「お前が死んだら、その責を問うて俺も処分できる。そう、フェリシアは上層部を説得したらしい。俺なら、絶対にペオーニアを死なせることはないと信じてな」
レオンとしては、ペオーニアはもっと警戒心が強いと思っていたらしい。そのため、日中は目を離しても大丈夫だと思っていたのだとか。それが思いの外絡まれるため、ゴンサロにも注意するよう頼んでいたと聞き、申し訳ない気持ちになった。
「私が抵抗しなかったのは、それが私の役割だと思ってたからなんだけど。今日リオさんに捕まった時、初めて『まだ終わりたくない』って思ったの」
おもむろに口を開いたペオーニアの話にじっと耳を傾ける。
「この街に来てから、色々楽しくって。料理も洗濯も初めてだったし、穴ウサギ亭での仕事も知らないことばかりだったわ。教会にいた頃は毎日が同じことの繰り返しで、今日が何日かもわからないくらい。でも、ここは毎日が違うの。それに、毎日話を聞いてくれる人がいる。私はお飾りの人形でいる必要はない。話したら答えが返ってくる、話を聞いているのかいないのかわからないようなだんまりじゃない」
滔々と綴られる言葉に、教会での暮らしはよほど息苦しかったのだとわかる。
「レオンはいつも私の話を聞いてくれたでしょう? 正直、私もくだらない話してるなって思うときもあったんだけど。話を止めたりしなかった。何よりね、食事の時に私と話してくれたでしょう。教会では、広い部屋に私だけでご飯を食べてたの。まずくはなかったはずだけど、もう味を思い出せない。あなたと二人で、おいしいご飯を食べられることが、とっても嬉しいの」
さぞ味気ない食卓だったのだろう。一人で、話し相手もなく、ただ食べるための食事は、どれほど心をすり減らしたことか。
「ねえ、レオン。私、約束したでしょう、あなたと」
いささか唐突に尋ねられ、返事に窮する。彼女と結んだ生活上の約束はいくつかあるが、それではないだろう。少し考え、すぐに気づいた。
「祭か!」
「ええ。三日目、祭の最終日に一緒に回ろうって、約束したでしょ? だから私、リオさんに抵抗したの。約束は破っちゃいけないから。私は一回約束を破ってるし、なおさらね」
門限を過ぎたことだ。あの時はレオンも大人げない対応をしてしまった。後から考えても、最低の態度だったと反省している。
「約束は元々守るべきものだけど、レオンとの約束は破りたくなかった。忙しいあなたが、わざわざ私のために時間を割いてくれたから。約束、守りたくて、終わりたくなくて、抵抗しちゃった」
「だったら、もっとたくさんの約束をしよう、ペオーニア」
自嘲の笑みを浮かべた彼女に、言葉が口を突いて出た。
「食事を一緒にとろう。話をしよう。食事はお前が作ってくれ、その代わり俺が洗濯を請け負おう。祭を一緒に回るんだったな、賑やかなのが好きか? 祭が終わったら、いろんな所に出かけよう。ファイエルド王国に行ったことはあるか? あそこは自然が豊かで気持ちが良い、季節の花が咲く花畑も、緑に囲まれた泉もある、大樹の陰で休むのも最高なんだ」
つらつらと並べられる提案に、また涙がこぼれた。自分は泣き虫ではないと思っていたが、今日は泣いてばかりだ。
「うん、うん! 私、あなたとたくさんのものを見たいわ、いろんなところに行きたい!」
泣き笑いの表情で何度も何度も頷く。そんなペオーニアを見て、口が勝手に動いていた。
「なあ、ペオーニア。俺と一つ、大事な約束をしてくれ」
「なに?」
「絶対に、何があっても、俺がお前を守る。だから、決して、終わりを望むな、生きてくれ……!!」
真剣な声でレオンが請う。痛切なその響きは、どこか泣いているようにも聞こえて、ペオーニアはしがみつく手に力を込めた。
「約束するわ、レオン。私、これからは生きる。生かされるんじゃない、私のために生きるのよ。だから、あなたは私の傍にいて、私の生を守ってね、絶対よ」
「ああ、約束だ、ペオーニア」
背骨がきしむほどに強く抱きすくめられた。苦しさもあったが、幸せな苦しみだ。
『約束』があるなら、もう恐くない。そう思ったのは果たしてどちらだったか。
互いの体温を分け合うように、飽くことなくいつまでも抱きしめ合っていた。




