15. 世話係の役割
飛び散るガラス片から反射的に身を引いたエウラリオは、ペオーニアからも離れることになった。ガラスの雨に咄嗟に身を丸めたペオーニアの体に、破片が触れることはなかった。おそるおそる顔を上げると、欠片から離れた場所に移動している。
「遅くなって、悪かった。怪我は、ないか、ペオーニア」
傍らにひざまずき、腰に佩いた剣で手足の拘束を断ち切ってくれる。荒れ狂う激情を無理に押しとどめているのがわかる、不自然に優しい声だった。
濡れ羽色の髪と瞳。漆黒の剣はいつか見た物と同じ。あのときはシャツとズボンだけの姿だったが、今はその上に夜を閉じ込めたような長衣を纏っている。
神や精霊の御名が裾に縫い込まれた長衣は、加護持ちの証。それぞれの神、精霊に応じた色を、誇りと共に纏うのだ。
黒は闇を示す、ラオスクリーダの色。
――死の守護神、闇の女神、ラオスクリーダの最愛
レオンの長衣の裾には、一見するとただの模様にしか見えないほど過剰に装飾された旧い文字で、はっきりとそう縫い取られていた。
ペオーニアが身を起こすのを手伝い、体に触れて怪我の有無を確かめる。縛られていた手足が多少痺れるだけで、他に怪我はないと言っても納得せず、無遠慮に全身を探る。
心配と不安から事務的に動く手が、確認以外の意味を持っていないことは明白だったので、好きにさせることにした。
「レオンさん、彼女はあなたの助けたり得ますか?」
じっと二人の様子をうかがっていたエウラリオが、レオンに問いを投げかける。
それには答えず、おもむろにレオンが立ち上がった。ペオーニアの視線の先で、銀糸の刺繍が揺れる。黒に銀がよく映える、と場違いな感想が頭をよぎった。
レオンは無言のまま、剣の柄に手をかけた。一息の内に距離を詰め、鞘に収めたままの剣で、エウラリオの腹部をしたたかに殴打する。避ける動きを見せたエウラリオだが、レオンはそれを見切って的確に剣を振っていた。
レオンの動きには一切の無駄がなく、祭で見た剣舞のように優雅だった。武術の心得がないペオーニアにも、レオンの常人離れした強さはよく伝わった。
エウラリオに勝ち目などないとはっきりわかる。
「ぐ、うぅぅ……」
腹部を押さえてうめくエウラリオに、レオンが問いただす。
「どうして、ペオーニアを狙った?」
「……どうしても、です」
側頭部に蹴りを入れる。
「教会の命令か?」
「さて……」
顔面を蹴り上げる。
「ペオーニアを殺してどうする?」
「どうも」
後頭部に踵を振り下ろす。
答えになっていない答えを返す都度、靴と人体が歪な音を立てる。
こちらに背を向けているレオンの表情がわからない。
「もうやめて!」
自分を襲った相手とは言え、一方的に痛めつけられている姿を見せられては気分が悪い。たまらず制止の声をあげる。
緩慢な仕草で振り返ったレオンの顔は人形のようで、怒りすら読み取れなかった。その足は、うずくまるエウラリオの頭に乗せられたままだ。力を込めれば、そのまま頭蓋を踏み砕くことも、あるいは可能かも知れない。
「レオン……」
何を言うべきかわからず、ただ名前を呼ぶ。感情の読めない瞳を、逸らすことなく見つめる。
先に目をそらしたのはレオンだった。頭に置いていた足を下ろし、かがみ込むと手際よくエウラリオを縛り上げる。立て続けに頭部に衝撃を与えられたエウラリオは、もうろうとしているようで反応が薄い。
拘束を終えると、レオンがペオーニアに近づく。距離にして三歩。短い、あまりに短すぎる距離は瞬く間に零になる。
「……悪かった」
後悔と苦悩に濡れた声で告げられ、矢も盾もたまらずレオンに飛びついた。下から跳ね上がるようにしたペオーニアを、レオンは危なげなく抱き留める。レオンとペオーニアの身長差は頭一つ分。それを埋めるため、シャツの襟を鷲掴み、無理矢理顔を寄せる。
「どうして謝るの!」
「どうしてって、嫌なもん見せただろう」
「嫌? 何が嫌なものなの? 確かに、リオさんは怖かったけど」
「そうじゃねえ! 俺だ、っくそ、お前の前であんなことすんなんて!!」
あんなこと、とは、一方的に暴力をふるったことだろう。
「あれの何が嫌なことなの! 私を守るためにしてくれたことでしょう!? そりゃ、ちょっとやり過ぎかとは思ったけど」
「俺はお前の世話係として、護衛として、常に冷静でいなくちゃなんねえ。私情に駆られて、お前を守れなかったら意味がねえんだ」
力なくレオンが言う。優先すべきはペオーニアの安全だったのに、あの瞬間、レオンは自らの感情のままに行動した。どこに伏兵がいるかわからない状況で、護衛対象の傍を離れて殴りにかかるなど言語道断だ。それだけではない。激情に飽かせて、敵を叩き伏せた。レオンの役目はペオーニアの心身を護ることだ。目の前で人を痛めつけるのはそれに反する。
「レオンはちゃんと私を守ってくれたわ。ほら、私、少しも怪我なんてしてないもの」
体を離し、両手を広げて無事であることを主張する。だめ押しに、くるりと回って見せる。
それを見て、レオンの表情が泣きそうにゆがむ。安心させるために笑おうとした途端、強い力で引き寄せられた。そのまま、腕の中に閉じ込められる。
「レオン……!?」
息苦しいほどの力で抱きすくめられる。レオンの体温を間近に感じて、顔だけでなく全身が熱くなる。レオンが何か言おうと口を開いた、その時――、
「誰も殺してないな!?」
部屋の扉を壊す勢いで、フェリクスが飛び込んできた。着慣れた水色の長衣に足を取られるほど焦って、フェリクスは室内に視線を走らせる。
「殺してない。安心しろ、フェリシア」
ペオーニアを胸に抱いたレオンが、落ち着いた声で答えた。
激高しているのではないか、我を忘れて人死にが出ているのではないか、と気をもんでいたフェリクスは、その言葉にひとまず胸をなで下ろした。ペンダントがちぎられたのを知り、すぐさま現場に向かったレオンがどのような対応をするのか、密かに心配していたのだ。
「レオン、放して!」
レオンに抱かれたペオーニアが、真っ赤な顔で腕を叩いているが、当の本人は意に介した様子もない。鍛え上げられた肉体には、華奢な少女の攻撃など意識にも昇らないのだろう。しばらく抗議を続けていたペオーニアは諦めたのか、徐々におとなしくなった。開き直ったようにフェリクスに顔を向け、笑顔で挨拶をした。
「お久しぶりです、フェリクスさん。こんな恰好でごめんなさい」
赤みの残る顔でしっかりと話す彼女は、見たところ着衣の乱れもなく、元気そうだ。
「無事で良かったよ、ペオーニア」
「フェリシア、アレをどうにかしてくれ」
部屋の隅に転がされた男を顎でさしてレオンが言う。
「エウラリオ・カルカテルラ。外から来た商人だそうだ。ペオーニアを殺そうとした」
淡々と自分の持つ情報を開示していく。ペオーニアに動揺は見られない。なぜ狙われたのか、理解している証拠だ。あまりに泰然と、殺されかけた事実を受け入れている姿にフェリクスの胸が痛んだ。
「あい、わかった。その男はこちらで預かる。レオン、こんなことがあった後だ、悪いがしばらく私の家に泊まってもらうぞ」
身元引受人として、ペオーニアの身の安全を守るための決定事項を告げる。レオンは嫌そうに眉をしかめたが、文句が音になることはなかった。彼もフェリクスの邸に滞在したほうが良いとわかっているのだ。
「外に馬車を待たせている。それに乗って帰りなさい」
「ああ、助かる。あとは任せた」
「あの、ありがとうございます、フェリクスさん。あと、迷惑かけてごめんなさい」
二人の会話を聞いているだけだったペオーニアの言葉に、フェリクスは首を振る。迷惑ではない。これは進んで身元引受人を引き受けたフェリクスの仕事だ。言いたいことが伝わったのか、ペオーニアの口元が緩んだ。
「さあペオーニア、フェリシアの家に行くぞ」
「わかっ、きゃっ」
話している途中で抱き上げられ、言葉尻が悲鳴に変わる。降ろして、と喚くペオーニアを無視して、フェリクスの呆れた視線を横目に部屋を出て馬車へと向かった。
フェリクスが雇っているのだろう心得顔の馭者は、乗り込んだ二人に何も言わず扉を閉めると、素早く馬車を走らせ始めた。向かう先はフェリクスの家、軍から貸し出されている戸建ての邸だ。祭の喧噪にあふれる街で、奇妙に静かな馬車は粛々と目的地に向かって行った。




