13. 彼女が街に来た理由
目が覚めると、目の前にエウラリオが座っていた。祭ではしゃぎすぎたのかと、はっきりしない意識の中で粗相を恥じたが、すぐに思い出す。
自分は、この男に拐かされたのだ。
「目が覚めましたか? 大丈夫、あれは短い時間意識を奪うだけの薬で、そんなに時間は経っていませんよ。レオンさんとの門限も過ぎていません」
堂々と宣う男に言い返そうとして、体が動かないことに気づいた。焦ってもぞもぞとしていると、笑いを含んだ声で教えられる。
「申し訳ありませんが、拘束させていただきました。逃げられると困るのです。ああ、ここは私が借りている部屋ですからね。祭の日に女性一人連れ込んだところで、文句を言う人はいませんから、安心してください。そこそこ良い部屋なので、防音設備も完璧です」
ならばとせめて大声を出そうとしたペオーニアを制するように、絶望的な情報が付け足された。
「……何がしたいの?」
「はて? あなたは襲われても抵抗一つせず、黙って受け入れる人だと思っていたのですが」
心底不思議そうに首をかしげられ、血の気がひいた。
「何、言って……」
「だってそうでしょう? あなたは、なぜ自分がこの街に送られたのか、きちんと理解しているはずです」
「それは……」
エウラリオの言葉に、自由にならない身で顔を逸らす。地面に寝転んだままでは、取れる体勢に限度がある。両手は後ろ手に、両足もひとまとめに拘束されていては、満足に動けない。
「これでは話しづらいですね、少し待ってください」
エウラリオがペオーニアの体をすくい上げる。暴れようとした体を押さえ込み、壁に背を預ける形で座らせる。
「何がしたいのよ!!」
たまらず吼えたペオーニアに、やはりいぶかしげに首をかしげる。
「おかしいですね。あなたは先日、街のごろつきに連れられたときは抵抗などしなかったのに」
どうして今日はそんなに暴れるんですか、と聞いてくる男に、ぞっとした。先日、穴ウサギ亭からの帰りに、ペオーニアが襲われたときのことだ。この男は、ペオーニアが連れ去られる一部始終を見ていながら、あの瞬間まで助けなかったのだ。
「あんた、見てたのに!」
「ですから、助けたでしょう? 私は別にあなたを辱めたい訳ではないのです。むしろその反対。あなたには尊い存在であってほしいのです」
『エルブリージョの寵児』様と呼びかけられて、ペオーニアの全身から力が抜けた。
「あなた、誰? ど、して、それ……」
「私はあなたに何一つ偽ってはいません、聖女様。名前はエウラリオ・カルカテルラで間違いありませんし、職業は商人。そして信仰しているのは、光の神であるエルブリージョ様です。もちろん、あなたを祭に誘いたいと思ったのも私の意志」
頬へのキスは親愛の証です、とまで説明された中でも、二度と聞きたくなかった呼称に、耳をふさぎたい衝動に駆られる。拘束された腕では叶わぬ願いだが、それでもいやいやと首を横に振る。
「教会を出る折、あなた様は覚悟を決めていたと聞き及んでおります。それがなぜ、今の今まで生きておられるのですか?」
それが聞きたくて連れてきたのだと暗に言っている。言葉を紡ぐごとに丁寧になる言葉と、込められる敬意に、じりじりと身が灼かれるようだ。
「あなた様は、エルブリージョ様の唯一の加護持ちとして、お生まれになった。しかし、加護は顕れず、長く様子を見た教会も、あなた様のことは諦めたのでしょう」
四精霊の加護持ちは多数いるが、二神の加護持ちは二人しかいない。光の神と闇の神、それぞれの加護持ちが一人ずつ存在するだけだ。
それ故に、教会の権威の象徴としての側面も持つ加護持ちは、『エルブリージョの寵児』『ラオスクリーダの最愛』と称され、教会で手厚く保護される。また、神の加護は代々強力なものが多い。その力をもってして、教会はディオス・ディスカンソ共同体の中心としての地位を確立してきたのだ。
「あなた様は、エルブリージョ様の加護をその身に有しながら、一切加護を扱えない。けれど、あなた様がいては、次の寵児が生まれる事が出来ない」
そう、同時に二人の加護持ちは存在し得ない。しかし当代の加護持ちは、その力をまったく振るえない。
ペオーニアが加護持ちだと判明したのも、今代の『エルブリージョの寵児』を探すために教会が方々に派遣した『鑑識の加護』持ちが、そうと見抜いたからだ。『鑑識の加護』は、加護の有無と、どの精霊に属する加護かはわかっても、その詳細はわからない。ペオーニアは光の神の加護を持っていると言われ、教会に引き取られた。
それまで加護の片鱗などなかったペオーニアは、教会で世話をされるようになってからも加護を発現できなかった。世界に一人しかいない加護持ちを教会は手厚く保護したが、あまりに力のないペオーニアを、不要と判断したのだろう。ある日、フェルテの街に行くよう命じられたのだ。
その理由は明白だった。
「使えぬ加護を宿すその身を早々にラオスクリーダの下に還し、次なる寵児を世界に与えるのがあなたのお役目のはずです。ですがあなたは今もこうして息をし、私と言葉を交わしている。なぜですか?」
純粋に疑問なのだと、エルブリージョへの崇敬で澄んだ瞳が問いかける。ペオーニアが生きているのが不思議で仕方ないと言葉で、仕草で語る男は、ペオーニアの知るエウラリオ・カカルカテルラだった。彼の言うとおり、嘘など一つも吐いていない。ただ、常人には理解し得ないエルブリージョへの信仰を、ペオーニアに見せなかっただけだ。
「あなた様が生きていると聞いたとき、私は期待したのです。もしや、加護が発現なされたのでは、と。もしそうであるならば、それはとても喜ばしいことです。教会は諸手を挙げてあなた様を迎え入れるでしょう」
エウラリオの言葉に体が震える。加護が発現しないことは、ペオーニアの十字架だった。
なりたくてなったわけではない教会の聖女、自覚のない加護、加護が発現しないまま過ぎる歳月と、冷たくなる周囲。
すべてがペオーニアを追い詰めた。いつしか、当たり障りのない笑顔を浮かべることが、ペオーニアの仕事になっていた。
「それで、ペオーニア様。いえ、『エルブリージョの寵児』ルミーナ様。加護は発現されたのでしょうか?」
エウラリオの問いは、死刑宣告だった。
うつむいて答えないペオーニアに一つ頷くと、エウラリオはナイフを手に取った。何処にでもある、食材を切るためのナイフだ。これで切るなり刺すなりして、死体は裏路地に放置しておけば、性質の悪い破落戸の仕業として処理されるだろう。そもそも教会がペオーニアの死を是としている以上、どんな反論も封殺される。
「この街が選ばれたのは、私が殺されても不自然ではないから?」
ずっと黙っていたペオーニアの質問に、エウラリオが座り直した。エルブリージョの加護持ちであることは間違いない彼女の言葉を無視するのは、背信だと考えているのかも知れない。
それならそれで好都合だ。どうにかして時間を稼ぐ。なんとしても生きて戻るのだ。
「そうですね。ここは軍人が多く一見治安が良いように見えますが、蓋を開ければ軍人崩れがごろごろしています。大通りから一歩外れれば、何をされても自業自得の無法地帯です。街が戦場になれば、住民が巻き込まれても不思議はない」
「私が不幸な事故で命を落とすのを期待してた?」
「その通りです。そしてそれはあなた様もご理解のうえだったでしょう」
確信を持って言われて、苦笑する。確かにそうだ。この街に来たとき、ペオーニアはすぐに死ぬつもりだった。自ら命を絶つつもりはなかったが、襲われたら抵抗をしない程度には、命に執着がなかった。
しかし、レオンに出会ってしまった。
世話係というのは名ばかりで、教会の息のかかった者が死ぬまでを監視するのだろうと思っていたペオーニアの予想を裏切り、レオンティーヌ・オーバンという人間は、甲斐甲斐しくペオーニアの世話を焼いた。ただ傅くというのではなく、ペオーニアを一個人として扱い、『エルブリージョの寵児』ではなく、ペオーニアとして接した。
それでも死のうと思う心は変わらなかったために、さらわれても襲われても抵抗しなかった。体を暴かれそうになったときは、死とは別の恐怖から抵抗したが、あれがただペオーニアの命を狙ったものであれば、おとなしく殺されていた。
しかし、今は違う。劇的な何かがあったわけではなく、特別な出来事もない。ただ――
「約束したの、レオンと。三日目、最終日に、一緒にこのお祭を楽しもうって」
それだけしか時間が取れなくて悪い、と心底すまなさそうに頭を掻いて言ったのだ。レオンが街の防衛に従事していることは知っている。祭の時期が忙しいのもわかっている。だからこそ、ペオーニアのためだけに割かれた時間が嬉しかった。その約束を破ることは、できない。
「レオンティーヌ・オーバン。あなたの世話係ですね。ご安心ください、彼もすぐにラオスクリーダの下へ行きますから」
ラオスクリーダは死者の守護者、闇を司る神だ。その下に行くのは死を意味する。
「!! 何を言っているの!? レオンに何をするつもり!」
「そう声を荒げないでください。彼があなた様の世話係になったのも、それ相応の理由があるのです」
変わらぬ柔和な笑みのなかで、いらだちにほんのわずかに眉を動かし、淡々と説明してくれる。
「あなた様の素性を知らされねども、命令であるあなた様の世話係、すなわち護衛の任を全うできないのは、立派な命令違反です。あなた様のお命を守れなかった彼は、あなた様の本当の名を知らされた後、刑に処される。当然ですね、この世に二人といないエルブリージョ様の加護持ちを死なせたのですから」
「それがどうしてレオンなの。レオンが私の巻き添えで殺される理由は、まだ説明されてないわ」
思わぬ事実に動揺する内心を押し隠し、背後で拘束されたままの腕を気づかれぬよう動かす。体の柔軟性には自信がある。どうにかペンダントを引きちぎれたら、レオンが助けに来てくれる。それまで殺されるわけにはいかない。
「ご存じなかったのですね」
ペオーニアを見つめる瞳に哀れみが浮かんだ。何も知らぬ幼子に優しく教え諭すように、ペオーニアの知らぬ事実が告げられる。
「あなた様の世話係、レオンティーヌ・オーバンは、『ラオスクリーダの最愛』。闇の神の加護持ちです」




