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獅子に牡丹の露は降り  作者: ベジタ坊
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9. 助けてくれたのは

 狭い路地、男達の向こうには壁しかなく、ペオーニアは自分よりも体格の言い男にのしかかられて、身動きが出来ない。

 慌てて走ってきたのだろう誰かの、荒い息の合間に挟まれた制止の言葉に、ペオーニアにまたがっていた男がうっとうしそうに目を向けた。


「んだよ、後にしろよ。こっちも後ろつまってんだからよぉ」

「こんな場所に何のようですかぁ? ボクちゃんはおうちに帰りまちょうねー」


 ペオーニアからは見えないが、やってきたのは男達の仲間ではないようだ。


「助けて! お願い、嫌なの!! 助けて!!」


 そこに一縷の望みをかけて、必死に叫んだ。


「わかっています、今、助けますから、どうかそのまま!」

「は? 何言って――」


 ガラスが割れる音が聞こえたかと思うと、上にいる男の声が不自然に途切れた。体がかしぎ、ゆっくりと横に倒れていく。いつの間にか髪も放されている。


「うぎゃぁ!」

「目が、いてぇ、目が!!」

「鼻が、鼻がぁぁああ!!」


 力の入らない腕を叱咤して身を起こすと、男達が苦悶の声を挙げてのたうっているのが目に入った。


「ペオーニアさん、大丈夫ですか!?」


 さっと傍にかがまれ、顔をのぞき込まれる。先ほどの恐怖からのけぞったペオーニアにはっとした顔をすると、この状況を作り出したであろう当人は、申し訳なさげに身を引いた。


「すみません、平気ではないでしょうが、今はこらえて。走ってください」


 立ち上がり、差し出された手を見る。焦燥を募らせつつも無理にペオーニアに触れようとせず、待ってくれている。


「くっそが!! 何しやがった?!」


 周りの男達が血眼でこちらを凝視しているが、鼻や目を押さえたまま動かない。動けないのかも知れない。少し冷静さを取り戻した頭は、この場にわずかに漂う臭いに気づいていた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()


 手を差し出す人物が焦れた様子なのは、この状況が長く保たないとわかっているからだろう。すぐに男達は立ち上がって追ってくる。それまでにどうにか逃げなければならないのだ。

 手を引き、もう一度ペオーニアの傍にかがもうとした彼を目で制して立ち上がる。

 どこも怪我をしていないし、まだ何もされていない。


(大丈夫、立ち上がれるし、走れるわ)


 胸中で確認すると、足に力を入れる。気丈に振る舞うペオーニアに、栗色の髪の青年はうなずく。逃げる前のだめ押しとばかりに懐から取り出した赤い粉を撒くと、不自然な風が男達のちょうど目の高さまで、粉を運んでいった。

 粉は非常に小さな粒で、それを動かすのは風。避けるのは不可能な赤い粉が目に入った男達は、言葉にならない悲鳴を上げて悶絶する。


 それを尻目に走り出した彼を追う。複雑な構造の路地を、迷うことなく進んでいく。

 やがて、ペオーニアも知る通りに出た。どれほど時間が経っていたのか、あたりは薄暗い。普段ならば夕食の用意を終えている頃だ。

 早く帰らなければ、レオンを心配させてしまう。けれどその前に。礼を告げなければならない。

 男達を無力化し、路地から連れ出してくれた相手に改めて向かい合い、頭を下げた。


「助けてくれて、本当にありがとうございました。リオさん」





「いいえ、間に合って、あなたに何事もなくてよかった」


 心底から安心したと大きく息を吐くエウラリオは細身で、先ほどの男達と喧嘩になればすぐに負けるだろうと思われた。危険を冒して助けてくれた彼に、感謝の念が募る。


「でも、どうしてあんなところに?」


 あそこは裏路地のさらに奥まった場所にあった。偶然通りがかるような場所ではない。


「実は、裏路地を使うと近道ができまして。だから時々使っていたのですが、今回は路地を一本間違えたのです。そうしたらあのような状況で」


 目を伏せ、痛ましいとばかりに表情を歪めるエウラリオが、日常的に裏路地を使っていることに驚いた。今日は偶然助けられたのだろう。


(この間も、レオンに偶然助けられたのよね)


 自分は悪運が強いようだ、と妙な感慨にふける。


「どうやって私を助けてくれたの?」


 ペオーニアが周りを見られたときは、すでに男達はもだえ苦しんでいた。最後に赤い粉を撒いたのは見たが、あれが何かはわからない。なにか劇物だったのだろうか。

 不思議に思ったので尋ねると、あのような使い方は本来ならよくないのだが、と前置きしたうえで教えてくれた。


「あれはビネガーとペッパー、最後の赤い粉末はハバネロです」


 つまり男たちが鼻や目を押さえていたのは――


「目や鼻に入るよう、『揺風の祝福』で調整しました」


 想像するだけで痛い。喧嘩慣れしていない身としては、精一杯の攻撃だったのだろう。その中にしびれ薬などの劇物も混ぜられていたのは、ペオーニアには関係ないことだ。


「祝福を持っていたのね」


 すごい、と微笑むペオーニアに照れ笑いを浮かべる。


「それでですね、ペオーニアさん。今日のようなことがまた起こらないとも限りませんし、良ければペオーニアさんを送らせてもらいたいと」

「……何してんだ、ペオーニア」


 エウラリオを遮り、夕闇を裂くように冷え切った声が響いた。





「ペオーニア、何してる」


 心胆が冷えるような声で呼びかけられ、錆び付いた動きで振り向くと、レオンが立っていた。表情はなく、黒瞳は周囲の薄闇などものともしない、すべてを呑み込む闇のようにこちらを見据えている。


「あ、レオン……、あの」


 うまく口が回らない。何を言えばいいのか、レオンに気圧されて何か言わなければと思う気持ちだけが膨らむ。


「初めまして。私はエウラリオ・カルカテルラと言います。ペオーニアさんとは穴ウサギ亭で知り合いました」


 ペオーニアを庇うように前に出て、エウラリオが早口で名乗る。

 レオンからすれば、見ず知らずの男が、庇護すべき少女を自分から隠すようにしたのだ。威圧感が強まった。


「あ、あの! レオン、今日は遅くなってごめんなさい、あの、でも、あの」

「私がペオーニアさんを引き留めていたんです。彼女ともっと話がしたくて」


 先ほどの出来事を、できればレオンに言わずに済ませたいというペオーニアの気持ちを汲み、エウラリオが泥をかぶってくれた。

 ペオーニアの身に起こったことを説明すれば、レオンは間違いなく男達を殺しに行くだろう。軍に引き渡すのではない、間違いなく彼自身が殺す。

 そう確信できる雰囲気が、今の彼にはあった。


「……ペオーニア、暗くなる前に帰るよう言ったよな」

「っ! ごめんなさい、私もつい話し込んじゃって」


 鋭い視線にさらされて身がすくむ。レオンの言うことはもっともだ。暗くなる前に帰ることは、働く上での条件だった。それを破ったのだから、レオンが怒るのは当然だ。


「約束一つ守れねえなら、働くのをやめろ」


 あくまで静かに、声を荒げるような事はせず、淡々とレオンが言う。


「待ってください! 今回のことは私に非がある。それでペオーニアさんが働くことを禁止するなど、理不尽です」

「部外者は黙ってろ。俺がペオーニアと約束して、ペオーニアがそれを破ったんだ」


 闇色に沈む目でにらみ据えられても、エウラリオは引かなかった。荒事になど慣れていないだろうに、ペオーニアのためにレオンと交渉してくれている。

 今のレオンはペオーニアの知らないレオンだった。ペオーニアが知るレオンは、無愛想なところがあって、ちょっと怖くて、でも優しい。これほどまでに恐ろしいレオンを、ペオーニアは知らない。

 こんなに怒るほど、レオンにとって約束は大切なのだ。


 レオンとの約束を破ったことを、ペオーニアは深く後悔した。なぜ約束を破ったか、説明するのは簡単だが、レオンには知られたくなかった。知らない男たちに触れられ、汚される寸前だったなど、()()()()()()()知られたくないのだ。

 ゆえに口をつぐむしかない。理由を説明できない以上、沈黙しかなかった。


「あなたがそうやって、彼女の世界を狭めているのではないですか?」


 エウラリオの言葉に、レオンが鼻白む。


「ペオーニアさんを長く引き留めたことは謝罪します。申し訳ありませんでした。女性をこのような時間まで引き留めるなど、思慮が足りなかったと言わざるを得ません。今後、二度と同じ事が起きないようにすると約束します」


 見知らぬ相手に深々と頭を下げられ、ここまで言われて。

 引き下がるべきはレオンの方だった。仕事をやめろと言うのに、私情が入っているのは自分でもわかっている。

 気持ちを落ち着けるために、大きく深呼吸する。


「レオン……」

「悪かった、ペオーニア。俺がお前を縛るのは、一番許されないことだ」


 不安げなペオーニアに、安心できるよう笑みを向ける。レオンの表情は弱々しく、ペオーニアの胸がざわついた。


「カルカテルラ殿、失礼な態度をとってすまない」

「いえ、恋人が遅くまで帰ってこないのは心配でしょうから」


 エウラリオの何気ない一言に、ペオーニアの頬が赤く染まる。


「いや、恋人じゃない。養い子だ」


 頭に集まった血が瞬く間にひいていく。レオンは照れることも動揺することもなく、ペオーニアとの関係を否定した。

 わかっている。レオンとペオーニアはそんな関係ではなく、そんな雰囲気になったこともない。

 当たり前の返答だとわかっているのに、胸の奥が痛んだ。


「ペオーニア、帰ろう」


 差し出された手を見つめる。しばし迷って、結局手は取らずにレオンの傍に歩み寄った。


「リオさん、今日はありがとうございました。また明日」


 最後にエウラリオに礼を言ってから、レオンと歩き出す。

 ペオーニアが「リオ」と呼んだ際に胸中をかすめた感情の名前を、レオンはまだ見つけられていなかった。


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