眠れぬ夜
「いやー、飲んだ飲んだ! あんなに楽しく飲んだのはいつぶりだって話だ!」
顔を紅潮させ、衣服を床に散乱させたグレンがベッドに顔をうずめた。
レイドが普段使っているベッドへと。
「脱ぎ散らかさないでよ。せめて一か所にまとめてくれないと」
レイドは散乱しているグレンの衣服を拾い上げ、洗面所にある大きめの桶にまとめる。
「しかし、この部屋居心地いいな。結構高いんじゃねえか?」
「……三日で金貨五枚だよ」
「マジか!? かなりいい部屋じゃねえか!」
驚き大声を上げるグレン。唾が飛んだのを見て不快を募らせるレイド。
「そういやこの部屋、風呂ついてんだよな、珍しいことに。入らせてもらっていいか?」
「……別にいいよ。僕の物を勝手に触らなければ、基本なに使ってもいいから」
「おお! んじゃ早速入らせてもらうぜ!」
(僕は入りたくても入れないのに)
肌に付いている土汚れを一瞥し、グレンの行動にいら立つと同時に、羨む。
レイドがわざわざ高い部屋を使っているのには色々と理由がある。
その最たるものが、風呂だ。
普通の冒険者が使うような安価な宿屋には風呂はなく、冒険者たちは街中にある大衆浴場を使う。
しかし、レイドがそこを使うわけにはいかない。
自身を男と偽っているのだ。大衆浴場など使ってしまえば、女ということが一瞬でバレる。
だから多少高くついてしまうが、風呂付きの宿屋を借りている、ということだ。
幸いにも実家が裕福なおかげで、お金は余るほどある。
日々の報酬を受け取らなくとも生活に困ることはない。
それなのに今はグレンのせいで、宿屋を選んだ最大の理由、風呂が使えない。
女性にとってこれほどの苦痛はそこまで多くないだろう。
(グレンが上がる前に、体を拭いておこう)
レイドは衣服を脱ぎ去り、タオルを水に濡らす。
洗面所はグレンに見られる可能性があるため、貴重な外で飲む用の水を使ってだ。
それで体を隅々まで拭き、出来る限り汚れをふき取る。
「くしゅん!」
体が冷え、くしゃみをする。
普段は暖かなお風呂を用いているゆえ、このような方法は慣れていないのだ。
冷え切った体に鳥肌が立つ。
「何で僕がこんなこと……」
今の状況に恨み言を言いながら、胸や背中、足、腕、体中を素早く拭き終える。
そしてグレンが上がってくる前に寝巻用のパジャマに着替える。
それとほぼ同時ぐらいに、顔を赤くし、頭から湯気を出しながらグレンが出てきた。
時間にして十分にも満たない。
「いやぁ、風呂なんて入ったのは久しぶりだな! いつもは行水ばっかだったからな!」
気持ちよさそうなグレンの顔を見ると、今まで以上の苛立ちを感じる。
これはもはや、殺意と言っても差し支えないのではなかろうか?
「レイドは入らないのか?」
「う、うん。僕はその……あれだよ。お風呂はあまり好きじゃなくって……」
「ふーん。体は綺麗にしておいた方が良いぜ。その方が女にもモテるしな!」
(誰のせいだと思ってるんだ!)
いつもはたっぷり時間をかけて湯船に浸かるというのに、今日は体を拭くだけ。
寒さだけでなく、気持ち悪さだけでも鳥肌が立ってくるというのに。
しかしそのことを大っぴらに言えないもどかしさ。
かつて自分の性別を偽ったことにこれほどの後悔を感じたことはない。
「よし、そんじゃ遊ぼうぜ! トランプチェス人生ゲーム雑談、なんでもござれだ!」
「……おやすみ」
ハイテンションのグレンを軽く無視し、体を毛布で覆う。
(あ、グレンのにおいがちょっと移ってる)
さきほど不躾にベッドにダイブされたせいで、男の臭いがほんの少しだが香る。
自分のテリトリーが侵されたようで、この上ない屈辱を感じる。
「おーい、もう寝るのかぁ? テンション上がって、眠くねえんだよぉ」
グレンはレイドの体を毛布越しにゆさゆさと揺らす。
十秒、二十秒、絶え間なく体をゆすられ、我慢の限界を迎えたのか。
レイドは被っていた毛布を吹き飛ばし、叫ぶ。
「うるっさい! 何だよ! 寝ようとしてるのに邪魔するなよ!」
「こんなはやくに寝られたら、俺は一体どうすればいいんだ!?」
「寝ればいいだろ! それが無理なら筋トレでもしてろ! 僕を巻き込むな!」
「一人で筋トレなんて寂しいだろ!」
「自分の都合で僕を巻き込むな!」
レイドは傍らに置いてある枕を持ち、目いっぱいの力で投げ込む。
「おっと。ふっ、こんな攻撃で俺がやられるとでも?」
向かってきた枕をガッチリとキャッチしたグレンは得意げな顔をする。
そしてお返しとばかりにレイドに投げ返す。
「んりゃ!」
『ボフッ』
高速で投げ出された枕が、レイドの顔に直撃する。
物理的ダメージは一切ない。だが精神的ダメージならクリティカルだ。
「何するんだ! とっとと寝かせてくれ!」
そう言って、枕を投げ返す。
頭に血が上ったレイドは気付いていない。
これが数十分にも及ぶ枕投げ大会の合図だということに。
世界規模で英雄視される冒険者と。
一つの街で英雄視される冒険者が。
己の力の限りを尽くして柔らかな枕の応酬を繰り広げる。
投げ、掴み、避け。
正方形の部屋のすべてを無駄なく十全に使う、ハイクオリティ枕投げだ。
壁を用いた三角跳びもしよう。時に天井すらも使おう。
枕投げというにはあまりにも激しい、常人ならば一分ともたずに体力を削り切られる死闘。
グレンはこれを心の底から楽しんでいるだろう。
レイドはこれを相手を叩き潰すものと本気で取り組んでいるだろう。
遊びと本気、しかしどちらも全精力をかけた戦い。
勝敗なんて決まるものではない。ただ枕を投げ合っているだけなのだから。
しかしそれでも、両者はこう思っているだろう。
負けてたまるか! と。
そんな二人の激しい戦いも、終わりの時が来る。
どちらの勝敗もはっきりなどしてはいない。
体力が無くなる限り続くはずの戦いは、全く関係のない第三者の声で終わりを迎えるのだ。
「うるせえぞ! 近所迷惑を考えろ!」
隣人の怒鳴り声が、枕を投げる腕を止めさせた。
「ご、ごめんなさい!」
怒鳴られ、反射的に大声で謝罪するレイド。
対してグレンは、
「あちゃー、ちょっとふざけすぎたな」
一切の謝罪の言葉もなく、頭に手を当ててへらへら笑っている。
「まったく。誰かに怒鳴られるなんて、初めてだよ」
「まあそう言うなよ。楽しかったろ?」
「楽しいもんか。ただ枕を投げてるだけで」
「そうか? んじゃ、次は何する?」
「……僕に拒否権はないのかな?」
「おお!」
「はぁ~……もう目が覚めちゃったし、少しなら付き合ってあげるよ」
そう言うと、グレンは目を輝かせながら様々な遊び道具を広げた。
まるで子供の様なその姿に、レイドは呆れる。
「なんなら他の奴らも呼んで、みんなで遊ぶか?」
「また怒鳴られるのがオチだよ。騒ぐのなら昼間か酒場でやるんだね」
「そうだな。まあ今日のところは、この街で最強のレイドさんと親睦を深めるとするか」
「で、最初は何するんだい?」
「まずは……チェスとかどうだ? ルール分かるか?」
「バカにしないでほしいね。チェスぐらい、当然知ってるよ」
「よっしゃ! 俺の華麗な戦略をとくと見るんだな!」
意気揚々と駒を並べ、二人の勝負が開始する。
その結果は……。
「こんなんでよくチェスをやろうと思ったね」
レイドの圧勝で終わった。
グレンに一切の勝機を見せず、完膚なきまでに叩きのめしたのだ。
「お前……強過ぎね?」
(当然さ。パパに振り向いてもらうために、あらゆる習い事をしてきたんだからね)
普通の女の子として生きる道は歩まず、ただ父に振り向いてもらうことだけを目指した。
チェスだけではなく、別の様々なゲームにも精通している。
それ以外には、剣術、柔術、棒術、杖術、様々な格闘技能を身につけ。
算術や歴史、経営、様々な知識も詰め込み。
身体能力においては男女の差ゆえ、グレンに一歩及ばないまでも、知能で負けることはない。
「実力差は分かったろ? これ以上遊んでも君は負け続けるだけだと思うけど?」
もうやめにしよう。そう遠回しに言った言葉だった。
しかしその思いはグレンに通じず、むしろ挑発に聞こえたらしい。
「次はトランプだ! 運ゲーなら勝てる!」
「まあ……なんでもいいよ」
そうして始まったトランプでも、
「なんでだよぉぉぉぉぉぉぉ!」
レイドの圧勝だった。
運ゲー? そんなもの存在しない。
誰にも負けないために、レイドが運にすべてを任せるわけがない。
分かりやすく言えば、イカサマだ。
カードを隠し持つぐらいは当然、シャッフル時に自分に有利に並べることが出来る。
見づらいところに印をつけられるし、他にも細かなところで不正を働いている。
運とかそういうのは関係なく、運ゲーと思っているグレンには勝つ術などなかった。
まあ種明かしをせず、さもありなんなことを言ってこの愚直な男を誑かすのだが。
「君さ、ポーカーフェイスを覚えた方がいいよ」
トランプにおいてこう言えば、ああそっか、と納得するだろう。
というかせざるを得ない。
自分はちゃんと表情を隠せてると思っていても、実際に自分の顔を見ているわけではない。
出来ていないと指摘されれば、顔に出てたと思わざるを得ないのだ。
ゆえに、こう言えばすべて解決する。
たとえグレンのポーカーフェイスが中々の物だったとしても。
「ポーカーフェイスか……気を付けたつもりだったんだがな。そんじゃ今度はこれだ!」
出されたのは人生ゲーム。
ルーレットを回して駒を進めていき、最終的に一番お金を稼いだ人間が勝ちというゲームだ。
本来なら二人でやるゲームではないが、楽しめなくはないだろう。
「俺から行くぜ! うおりゃっ!」
力いっぱいルーレットを回すグレン。出た目は八。最高の出目だ。
「幸先良いぜ! 次はお前の番だぜ!」
「はいはい。よっと」
完全な運ゲーとグレンは思っているゲームで。
今度こそ勝って見せると意気込んだゲームで。
その結果は……。
「なんでだよぉぉぉぉぉぉぉ!」
またしてもレイドの圧勝で終わった。
最終的な金額の差は十倍以上、勝負の途中からグレンはすでに諦めるほどだった。
(運ゲーだと思ってる時点で、勝率はグッと落ちることを知らないのかな?)
この人生ゲームにおいても、もちろん運だけで勝ったわけではない。
しかしイカサマともいえない。
レイドが勝ったからくり、それはなんてことはない。
力加減でルーレットの出目を操っていたからだ。
どれほどの力加減でどの目が出るかを知り尽くしているレイドは、自分の有利になるマスに止まるようにした。
それゆえ圧倒的大差でグレンに勝ったのだった。
「ん? もうこんな時間か。そろそろ寝ようかな。明日はちゃんとモンスターを討伐しなきゃいけないし」
「まだだ! 今度はこのゲームで勝負だ!」
「……やだ」
「今夜は寝かさないぜ!」
結局この日、深夜三時まで二人の勝負……もとい、レイドの蹂躙は続いた。