真の英雄
冒険者として登録した時、レイは性別と名前を偽った。
十数年の間レイとして、女性として生きてきたにもかかわらず、レイドとして、男性として登録したのだ。
この事実を知る者は、父とメイドたちだけとごくわずかだ。父はレイに対し何ら関心を示さず、メイドたちはレイを仕える主人の一人として見ている以上、この事実が伝播することはないだろう。
よっぽどのボロを出さない限り、レイはレイドとして問題なく冒険者をやっていけるはずだ。
そして女の身でありながら数々のモンスターを葬り、着実に英雄への道を歩んでいる。
街の人間はレイドという人間に信頼を置き、数多の冒険者たちはレイドの力を認めている。
あの街に限れば、レイドはすでに英雄と呼んでも差し支えないかもしれない。
いずれ今よりもさらに力をつけたとき、世界各地に赴いてモンスターを葬り、一つの場所だけではないすべての場所……世界中で英雄と呼ばれる存在になるつもりだ。
そのためには、男の方が都合がいい。
女は何かと軽視されがちだ。たとえ戦果を挙げたところで、噂は伝播しにくく、伝播したとしても信じる者は少ないだろう。
結果、レイドの英雄へのゴールが非常に遠いものになってしまう。
合理的に考え、レイは女としての人生を捨て、男の人生を選んだのだ。
……だが、理由は他にもある。
合理性とは程遠い、あまりにも滑稽な理由で、レイは男として生きようとしていた。
たとえ英雄を目指さなかったとしても、レイは男として生きていたかもしれない。
その理由を知るものは一人だけ。メイドの一人、リリだ。
それ以外は誰も、レイが男として生きる理由は知らない。
(久しぶりにお嬢様って呼ばれたけど、やっぱりうれしいな)
ほんの一瞬とはいえ女に戻ったことに喜びを感じ、だがその喜びをすぐに消す。
自分はレイドなのだ。男なのだ。
お嬢様と呼ばれて浮かれていいはずがない。
この感情が表に出ないよう、心の中から完全に消失させる。
すべての感情を殺し、レイドという人格を作り上げ、冒険者ギルドへと足を踏み入れるのだ。
「みんな、こんにちは!」
入ってすぐ、レイドはギルド中に響き渡るように挨拶をする。
英雄になるため、日々の生活の中で皆に好印象を与えるためだ。
挨拶は基本中の基本、他にも出来る限りの善行を繰り返し、レイドは英雄の道を歩む。
この行動によりレイドは好感度を着実に上げていき、レイドが挨拶をすれば誰もが返事をする。中にはレイドの姿が百メートル先にも関わらず、駆け足で近づき挨拶に来る女性もいるほどだ。
だが、今日に限ってレイドのあいさつは、ギルドにいるほとんどに無視されることになる。
「グレンさん、もっとお話聞かせてください」
「グレンさん、この武器、とても高価なんじゃないですか?」
「グレンさん、ここにはどれくらい滞在するんですか?」
グレンという名の人間に、ギルドの大半が群がっている。
レイドの存在に気付いた数十人は軽く会釈するだけで、すぐにグレンの元まで駆けよる。
今までとあまりにも違う態度に無視されたような感覚を覚えたレイドは、人ごみをかき分けて、群衆の中心にいる男に近づく。
そこにいた男は、軽そうな鎧に身を包み、身の丈ほどはありそうな巨大な剣を背負う、一人の冒険者だった。
近づいてきたレイドの存在に、グレンと呼ばれる男は気付いた。
「ん? ずいぶんと強そうなのがいるな。あんた名前は?」
初対面にもかかわらず、男はレイドに馴れ馴れしく聞いてきた。
その態度にいら立ちを感じたものの、いつものように笑顔を作り対応する。
「僕の名前はレイド。一応、この街で冒険者をやっています。あなたは?」
「俺か? 俺はグレン。ここよりずっと北の方で活動してた冒険者だ。今はわけあって、当分の間ここで活動することになる」
「……気になったんだけど、もしかして、グレンって……」
その名に心当たりがあった。レイドの脳内にあるグレンという名の冒険者、それは端的に言えば、この世界で最も英雄に近い男だった。
「あんたにも知られてるのか。俺も有名になったもんだな。おおよ、俺こそが、かつてアズール地方で猛威を振るっていたモンスター、マグナドラグーンを倒した冒険者、グレンだ!」
親指で自らを指さし、高らかに宣言した。
間違いない。この男こそ、レイドの求めてやまない英雄に最も近い男、グレンだ。
グレンが倒したというモンスター、マグナドラグーン。
その強さは、レイドが百人がかりで倒したバードグレイルを十体相手取っても問題ないと言えば、分かるだろうか?
はっきり言えば、格が違うのだ。
レイドはみなの力を借り、うまく使いこなして英雄への道を歩む冒険者。
グレンはたった一人で困難を打破し、英雄の道を歩む冒険者。
どちらか優れているかは、考えるまでもない。
「グレンさん、こちらはこのギルドに登録してる冒険者の中でも最強のレイドさんです。昨日はあのバードグレイルを倒したんですよ」
「ほお、バードグレイルか、そいつあすごいな」
その言葉に、レイドはイラつく。
(すごいだなんて、どの口がほざくんだ)
しかしそれを表に出すことはしない。
「あなたに比べたら僕のやったことなんて。それに倒したと言っても、みんなの力を借りてこそだし……」
「なに言ってんだ。バードグレイルを倒せる冒険者なんて、この世界には数えるほどしかいない。謙遜することないぞ」
謙遜しているわけではない。確かにグレンの言う通り、バードグレイルを倒せる冒険者など数えるほどしかいない。百人がかりとはいえ、それを倒したレイドの功績は十分に誇れるものだった。
だが、英雄を目指すレイドはこの男とどうしても比べてしまう。
比べ、自分の小ささに絶望してしまう。
話には聞いていた男を実際に見た事により、自分がいかに狭い場所で戦っていたのかを、理解してしまった。
ゆえに、自分の功績を誇れない。
目の前の凄い男に、嫉妬の感情を覚えてしまう。
(……だめだ! 納得しろ。心を殺せ。僕とこの人では、年季が違う)
冒険者として活動していた年月の違い、それはどうしても埋めようがない物。だからこそ、縋れる。
時間をかければ自分もこのようになれるはずだという叶わぬ夢を見ることが出来る。
そう思えば、いつもの自分に……英雄を目指すレイドでいられる。
誰もが求めるレイドでいられるのだ。
「そういえば、グレンさんはどうしてここに来たんです? わけがあると言ってましたが、別のところで活動なされた方がいいんじゃ……」
「まあそうなんだけどな。この街にはおふくろがいてな。もう、長くないらしい」
グレンは憂いに満ちた表情を浮かべ、上を見た。
「す、すいません、変なこと聞いちゃって……」
「いや、別にいいさ。それよりあんた、これから討伐に行かないか?」
「え、でも、お母さんの様子を見た方がいいんじゃ……」
「それがな、こんなとこで油を売ってるぐらいなら人様の役にたて、って怒られちまってよ。最後ぐらい傍にいてやりたいってのに、部屋を追い出されてな。私が死ぬまで帰ってくんな、だそうだ。そんで、気晴らしにギルドで依頼を受けて、モンスターでも狩ろうとしたわけよ」
「な、なるほど……」
「でだ、一人で行くのもなんだし誰か連れて行こうと思ってたんだが、御覧の通り囲まれちまったってわけよ」
困ったように周囲を見回すグレン、その姿に、なぜかいら立ちを覚えるレイド。
「な、あんた俺が見た中でもトップクラスに強そうだし、やろうぜ」
グレンは両手を合わせて頼み込む。この状況、レイドに選択肢はない。
周りのみんなが期待のまなざしを見せているのだ。
世界規模の英雄と、この街の英雄と呼べる冒険者二人が力を合わせてモンスターを狩る。
なんとも心躍るシチュエーションではないか。
レイドも他人事ならば、その状況に物語を見るかのようにウキウキとしていたことだろう。
が、今は当事者だ。
そしてこの申し出を、レイドは断りたかった。
何が悲しくて世界規模の英雄と共闘しなくてはいけないのか。
そんなことをすれば、レイドとの差は如実に表れてしまう。
最悪の場合、「レイドも所詮この程度か」などという風評が流れてしまう可能性すらある。
無論、そんなことにはならないだろう。たとえグレンの方がレイドよりも圧倒的に強かったのだとしても、この街の冒険者の、住民の羨望が失われることはない。
変わらず皆の憧れでいられるはずだ。それほどのことをレイドはしてきた。
しかし、完璧な英雄を求めるレイドにとっては、我慢のできないことだった。
グレンとの力の差を見せつけられたくない。みんなの期待のまなざしに応えなければいけない。
最終的にレイドの出した選択は、
「うん、もちろんいいよ。ただ、僕は今日、昨日の疲れからか本調子じゃないんだ。だからこの近くのアリゴブリンの狩りでどうかな?」
さもありなんな逃げ道を作る。
昨日の激戦はグレン以外の皆が知っている。ゆえに昨日の疲れがまだある、といえば、ああそうかと、納得してくれるだろう。
これで力の差が証明されても、本調子じゃないし、と言える。
そして討伐対象に選んだアリゴブリン、こいつは中級冒険者とタメを張るレベルである。
世間一般では弱くはなく強い部類だが、レイドにとっては弱いと言えるモンスターだ。
アリゴブリンならば圧勝の図が作れ、グレンの力だけが目立つという事態は、起こり得るかもしれないが、そこまでの差には見えないはずだ。
「おおいいぜ。そんじゃ早速行こうか。えーっと……レイドさん、だっけか?」
「呼び捨てでいいよ」
「そうか、じゃあ俺もグレンでいいぜ。レイド」
「うん。それじゃあ、よろしくね、グレン」
二人はモンスターの狩りに、笑顔で向かう。まるで遊びに行くような雰囲気で。
それを周りの冒険者は憧れのまなざしを向け、ついて行こうとする。
グレンもレイドも、どちらも遥か高みの存在、そんな二人の共闘する姿はこれ以上ないエンターテインメントだ。
金を払えと言われても文句など言わず、むしろただで見ることに罪悪感を抱くほどに。
そんな周囲の様子を見て、レイドは考える。このままではいけないと。
(できるだけギャラリーは少ない方がいいな)
多くの人間に実力差を知られたくない。ゆえについて来ようとする冒険者の数を減らしにかかる。
「みんな、さすがに全員で行くのは多すぎるよ。これじゃあ動きが制限されちゃうし、グレンが思いっきり戦えなくなっちゃうよ」
善意を振りまくレイドに好感を覚えるやさしい人間たちだ。このようにグレンを気遣った発言をすればどう思うかは、容易に想像できる。
「そう……か。グレンさんは気晴らしに行くんだよな。大勢は迷惑か」
「じゃあ、くじで決めましょう!」
冒険者の一人がどこから箱を持ってきて、そこに大量の紙を放り込んだ。
それを順々に引いて行き、グレンとレイドについて行く四人が決定した。
「俺は別に構わなかったが……ま、せっかくの気遣いだ。甘えておくか」
周りの冒険者に申しわけなさそうに、しかし嬉しそうにつぶやくグレン。
それを目に映すレイドは、心底迷惑だと、そう考えていた。
(早く、元いたところに戻ればいいのに)
そう思いつつも、それを表面上に表すへまはしない。
今までもいら立つことは何度もあった。そのたびに仮面をかぶり、対応してきたのだ。
英雄の座を脅かされることは恐ろしいが、この仮面が外れることは決してない。
いかにグレンが皆に称賛されようとも、レイドの評価が相対的に落ちることがあったとしても、レイドの真の顔は絶対不可侵の領域なのだ。