やさしさのないレイ
一つの部屋に、声が響き渡る。
何人もの、必死さが際立つ心の底からの声が。
涙を流しているのだろう。嗚咽交じりの声は部屋中で散乱しており、止むことはない。
(……うるさい)
その声は、一人の女性の意識を呼び覚ましていた。
(私は……)
女性は曖昧な意識のまま頭を働かせ、徐々にその意識を覚醒させる。
そして自分が何をし、何をされたかを鮮明に思い出す。
(そうだ。私はグレンを殺そうとして……返り討ちにあったんだ)
事実として起きた出来事を理解する。
レイは自分の行った自分勝手な行動を思い返し、その先も思い出す。
実体のない虚無の世界、であっても心の底から行動した出来事を。
実際に起こしてはいない。だが実感の残る記憶を。
(私は……空っぽなんだ)
自分が唯一持つ本当を捨てた記憶が、レイには残っている。
たとえ夢の中の出来事であったとしても、覚悟を持って捨てたことを覚えている。
そして助けを求め、助けてもらえなかったことを。
無論、それは現実の出来事ではない。あの世界で助けられなかったとはいえ、ここでもまた同じ結果になるとは限らない。
だがそんな物、レイには関係ない。なけなしの勇気を振り絞り行った行動が無に帰した。
その結果、レイは絶望した。深い深い絶望を味わったのだ。
たとえそれが現実の出来事ではなかったとしても、レイはもう立ち上がれない。
一度空っぽになってしまったレイの心は、元には戻れない。
「……今、動かなかったか?」
部屋に鳴り響く声の一つが、レイの意識が覚醒していることに気づく。
それを聞き、反射的に目を開けるレイ。
「……みんな」
「レイドさん! 大丈夫ですか!?」
目を開けて、場所を認識したレイはここがどこなのかを理解する。
街の病院の一室、そこのベッドでレイは横たわっていた。
左手には鋭い痛みがある。自ら傷つけた左手には、何重にも包帯が巻かれている。
うっすらと血が滲んではいるが、安静にしていれば治るだろう。
(……グレンの奴、私を連れてきたのか)
気絶するまで、気絶してからの夢の出来事、それらを覚えているレイはグレンが自分をこの病院に連れてきたことを理解する。
(どういうつもりなんだ……)
グレンがレイを助ける理由などない。
殺されかけたのだ。むしろ見捨てることの方が自然なくらいだ。
いかにグレンが殺される心当たりが数多く在ろうとも、それはほぼ確実だ。
どこの誰が自分を殺そうとした人間を助けようというのか。
しかし状況を考えても、グレンが助けたとしか考えようがない。
「みんな……グレンは?」
かすれた声で、レイは問いかける。
水分が足りていないのだろう。レイ自身はちゃんと声が出せているつもりでも、その声は冒険者たちには伝わっていない。
しかし声を出していることは伝わる。
レイの安否を確認したことにより、冒険者たちに安堵が広がる。
「よ、よかった、。レイドさん、目を覚ましたんですね」
心の底からの安堵だろう。自分たちの憧れが生きていることがうれしいのだろう。
レイを気遣い抱き着くような行為はしない物の、安堵からの脱力感か、その場に膝をつくものが多数いる。中には神に感謝するポーズをする者まで。
そんな、自分を憧れる人間たちを見てレイは思う。
(私は……何のために生き残ったんだろう?)
現実において、目的を達成する手段が完全になくなった。
夢の世界において、レイが唯一持つ憧憬を捨て去った。
何も存在しない空っぽの心。自分が何をすべきなのか、何がしたいのかすら分からない虚無が、ここにあるレイだ。
今までのすべて、英雄になるという目的を無くしたレイは、冒険者たちの求めるレイドを演じなどしない。人形同然の心で、ただ一つだけ気になる、なぜグレンが助けたのかという疑問を解決するためだけに動く。
「みんな……」
問いかけようとするレイドに、冒険者たちは気を利かして水を渡す。それを一気に飲み干したレイドは、潤った喉で疑問をぶつける。
「グレンはどこにいるの?」
重い、しかしいつもよりも甲高い声。レイドを捨てたレイは男を演じることなどせず、素のままの声を出した。冒険者たちは今聞いている声がレイドの声なのか、疑いの気持ちを持つ。
「聞いてる? グレンはどこにいるのかって聞いてるの」
やさしさなど微塵も感じられない。普段のレイドとは比べようもないほどの、威圧感のある声に押され、冒険者の一人が質問に恐れながら答える。
「グレンさんなら確か……取り逃した野盗を狩ってくるって……」
「野盗?」
「はい、レイドさんを襲った野盗ですよ」
「私を……襲った?」
身に覚えのない話をされ、レイは首をかしげる。
野党に襲われた記憶など、レイには一切ない。自分が気絶していたのはグレンの強烈な一撃を浴びたからだと覚えているゆえに、冒険者の言葉が理解できない。
「グレンさんの話ですと、お二人がモンスターと戦いに行った帰り、数十人の野盗に襲われたようなんです。すでに満身創痍だったレイドさんは数人を倒した後に強烈な攻撃をもらい気絶した……ということです」
(……あの嘘つき)
グレンが冒険者たちに話した内容など、全てが嘘だ。
帰り道に傷ついた人間を金品目的で野盗が襲う可能性はある。が、レイの身に宿っている傷については全くの嘘だということは、百も承知である。
唯一の外傷、左手の傷はレイが己でつけた物。野盗に襲われた話が事実だとしても、この病院で寝ている理由にはならない。
つまりグレンは、嘘でレイが持つ皆からの信頼を守ったということだ。
(まあ、真実を話しても信じなかっただろうけど)
レイは自分の立場を十分に理解している。
グレンを殺そうとしたと言い、それを信じる者が皆無なことぐらい予想はつく。
(言っても信じられないなら、そりゃあ言わないよね。日頃の行いの賜物か。別にばらされてもいいけど)
生きる意味すら見えない屍同然の身、レイは自分が何をしたかばらされたとしても、全く問題はなかった。むしろばらしてくれれば全ての重荷から解放されるとさえ思っている。
ここで言おうか? そう思いもしたが、当事者が言っても信じないだろう。
何かの冗談か記憶違いか、そう判断するのは目に見えている。
ならばこの場にいても意味はない。
レイはベッドから起き上がり、冒険者から聞いた紅蓮の大体の場所に移動しようとする。
手をベッドに置いたことにより左手には痛みが走り、それに付随して腹部にも痛みが伴う。
「だ、ダメですよ起き上がっちゃ。医者の話だと、肋骨にひびが入っていたみたいですよ」
(……グレンの攻撃でヒビなら、上々だな)
自分がどれくらい傷ついているかなどレイには関係がない。死すらも受けて入れているレイにとって、この程度の痛みなど問題ない。痛みはするもの、無視できる範囲内だ。
「そこをどいて。行くとこあるから」
「行くとこって……そんな体でどこに行くつもりなんですか!?」
レイを留まらせようと、冒険者たちは道を塞ぐ。
その行動が善意から来るものだと理解できる。だが、そんな善意などレイには意味がない。どれだけの善意を持とうとも、この者たちではレイを助けることは出来ない。
そんな能力はないのだ。
無能な冒険者たちの善意を無下にすることなど、どうでもいいことだった。
「どかないと……殺すよ?」
「……!」
レイの鋭い眼光を受け、冒険者たちは戦慄する。
憧れの人間から、好意を寄せている人間からの殺害宣言。悲観が冒険者たちの胸に宿る。
「レイド……さん、どうしちゃったんですか……?」
「どうもしない。私は元々、こういう人間だよ」
レイの信じられない行動に、冒険者たちは夢を見ていると錯覚する。タチの悪い夢だと、時間が経てば夢から覚め、いつも通りのレイドに会えると、気付きたくない事実から目を逸らし続け、部屋を出るレイの後ろ姿を黙って見送っ……。
「レイドさん、私って言ってた?」
聞き流すことが出来なかったのか、一人の冒険者が声を出して確認する。
「た、確かにそう言ってたような……」
「どういうことなんだろう?」
うーんと唸る冒険者たち。
だが答えに行き着く者は誰もいないのであった。




