最悪の選択
「…………ここは?」
目が覚めたレイドは、ベッドに横たわっていた。外の暗さから、時刻はすでに深夜であることを確認し、自身が気絶していたことを理解する。
レイは視界を完全に明るくさせようと、目をぎゅっと閉じた後に当たりをぐるりと見まわす。
するとベッドの横に置いてある椅子に腰かけ、眠っているリリを見る。
(……そうか、だんだんと、思い出したよ)
自身がなぜ気を失っていたか、それを思い出す。少しづつ記憶を取り戻し、完全な理解をしたときに、レイに強烈な吐き気が襲う。
「うっ……!」
ベッドに吐くわけにはいかないと、ギリギリのところで踏みとどまる。
「ハァッ……ハァッ……」
ひどい苦しみはまだ胸に残っている。何度も息を吸い、吐き、徐々に平穏を取り戻そうと試みる。しかし脳に焼き付いた父の言葉は、止むことのない痛みをレイに与える。
胸の苦しみが取れることはない。せいぜい吐くのを抑え込むだけ。
(……もう、どうしようもない)
父のレイに対する反応が、日々の挙動に問題があるのではないか、自身の能力不足ではないか、至らぬ点があるからこその行動だと思っていた。しかし実際は、レイにとってどうしようもないこと、打つ手がない。
(パパの望みは、僕が死ぬこと……)
レイの父は言っていた。両親もろとも殺してやりたいと。
虚言を吐く男ではないことはレイが一番理解している。あの言葉は、紛れもない本心だろう。
実の娘を殺してやりたい、そう思う父の心は確かなものだ。
レイにとって、これ以上ない悲しみの言葉だ。
何時間たとうとも、レイの心が晴れることはない。荒い息を繰り返し、時に嗚咽を漏らし、苦しみに耐えるように拳を握りしめる、止むことのない苦しみは、レイの心も肉体も、確実に壊していた。
そんな苦しみの声が続いたからか、眠っていたリリが目を覚ます。
「あ、起きられてたんですね」
苦しむレイトは対照的な、気持ちよさそうな顔でリリは声をかけた。
心を許している人の顔を見たからか、レイに若干の余裕が出来る。
「……リリはさ、パパのことをどう思う?」
その質問の意図は、リリには分からない。分からないが、明確な答えはある。
おそらくレイにとっては、聞きたくもない最悪な答えを。
「正直に申しますと、クズです」
あまりにもはっきりとした物言い、しかし予想できたことではあったからか、レイは驚かない。むしろそれが当然の反応だと納得し、笑みさえ浮かべる。
「そっか、そうだよね。さすがの僕でも、あの態度を好意的に解釈することはできなかった」
「……レイお嬢様は、今でもご主人様がお好きなんですか?」
リリの質問の意図を、レイは分かっていた。目を見て、表情を見れば、なんと言ってほしいのかは誰にでも分かることだ。
リリはレイに、父を見ることをやめてほしかった。
明確な拒絶を見せられたこと、それを境に完全な嫌悪を示してほしかったのだ。
それこそがレイの唯一幸せになるための方法だと信じているから。
それでも、レイの心は変わらない。
「あんなことを言われても、僕はパパが大好きなんだ。大体、嫌悪感を抱いたのなら、こんなに苦しくはないし」
頭の中で反復される父の言葉が苦しみの元凶となっている以上、レイが父を好きだという事実は変わらない。決して嫌うことなどせず、好意を示し続け、苦しみ続けるだろう。
「君たちにとってはただの雇い主かもしれないけど、僕にとっては、たった一人の家族なんだ」
レイは母を知らない。親族も知らない。
母は生まれたすぐに死んだのだ、それも無理はない。そしてその原因となった親族たちから、父は自ら遠のいた。ゆえに、レイは血のつながりのある親族たちとの面識はない。
そんなレイの周りにいた人間たちは、父にメイド、そして父の仕事関係の人間だけだった。
メイドたちは今でこそレイに馴れ馴れしく、親しく接してはいるが、最初は腫れ物を扱うかのようだった。傷心の主人の娘、軽々に扱えば自身のクビが飛ぶと考えたゆえ。
父の知り合いは、みな金の亡者だった。レイの父に気に入られようとレイに近づく者の目は、物知らぬ子供にすら嫌悪感を抱かせるものだった。
レイにとっては父だけが、どんな時も自分の意思を持って生きる、それを貫き通す力のある、かっこいい男だった。
だからこそレイは、父を好きになり、父に認めてもらいたいと思った。
それから出会う人間のほとんどは、父から認められるという目的に立ちふさがる壁でしかなかった。
壁に好意を持てと言うのは、酷な話だ。
「そうかもしれませんが、家族以外を好きになるように努力すればいいじゃないですか。あなたが現在、ご主人様しか好きでないのは、ご主人様しか見ていないからです。一度そのフィルターを外し、外にも目を向けてください。きっと、好きな人が見つかります」
「無いよ、そんなことは。僕はパパ以外にも、ちゃんと君たちが好きだよ。仕事上の付き合いだったかもしれない、しょうがなく付き合っていただけかもしれない、けど僕は君たちメイドのことは、ちゃんと好きだよ」
「それも、結局はこの家の中だけじゃないですか。もっと、他にも目を向けてください」
「向けたさ。けど、やっぱり嫌悪感しか抱かなかった。グレンはもちろん、他の冒険者たちも一般人たちも、僕にとっては邪魔な存在でしかなかった」
「それは英雄になるための障害だったからでしょう? ご主人様のことを忘れ、英雄になることを忘れ、一人の少女として向き合えば、考えが変わるはずです!」
「無理だよ。そもそも僕自身がどういう性格の人間か、君が分かっているだろ? パパが絡まなければ、必要最低限のことさえもしたくないんだ。何もかも無駄だと分かった今、こうしてずっと寝てたい気分なんだ」
何を言おうとも、レイの考えは変わらない。
父に愛を向け続ける。
しかしその他の人間に対しては、決して愛を見せることはない。せいぜいメイドたちに微小の愛を向ける程度だ
レイが一生を幸せに暮らす方法など、皆無なのだ。
「……それで、本当に何もせずに、一生を過ごすおつもりですか?」
「だって、目的があってもそれを達成する手段がないんだもの」
「だから、新しい目的を探せばいいと言っているんです!」
この会話は、果てのないループだ。レイは新たな目的を探すことをしない。今まで生きてきた中で、楽しみなど見いだせなかったからだ。
対してリリは、新たな目的を探すことを強要する。人生の中で、様々な楽しみを知っているからだ。
二人の意見は対立を続け、自身の主張を続ける。
「僕はもう何もしない」
「そんなことをすれば、ホントのダメ人間になりますよ!」
「いいさ、それでも。誰にどう見られようと、僕は気にしない。唯一気にしていたパパは僕を憎んでいた。それだけでもう終わりなんだよ」
生きる目的、全ては父に集約されていた。ゆえにそれが無くなった時、レイには何もする気は起きず、また何をすればいいのかもわからなかった。
普通の人間ならば手さぐりで歩き出し、自分に出来ること、したいことを探すだろう。しかしレイはそんなことはしない。何もすることがないと分かった時、本当に何もしない。
そう、意味がないと知った時……。
「レイお嬢様、あなたは英雄になれるほどの人間なんですよ? やろうと思えば、なんだってできるはずです!」
「……英雄、か。だけどそんなもの、パパにとって何の価値も……」
言いかけ、レイに一つの考えが浮かぶ。
英雄が父にとって価値のない物なのか、ということ。
いいや、それは違う。事実として、レイの父はグレンという人間を利用し、自身の店の宣伝を行えればと考えていた。つまり、英雄には利用価値があるのだ。
(……でも、たとえ利用価値があっても、僕を使っては……)
英雄の前に、娘である事実が邪魔をする。レイの利用価値が上がったところで、使う理由はない。それに英雄と呼べる人間は少なからずいるのだ。それも近くに、グレンという英雄が。
レイの父親と言えば、二つ返事で了承しそうなカモが。
結局はグレンがいるから、レイは……。
(……なら、グレンがいなければいい)
混迷したレイの思考は、一つの最悪な結果を導き出した。
思えば、グレンが来てからレイの生活はおかしくなった。冒険者たちの見る目が変わり、多大な疲労を感じ、そして父の真意を知った。
グレンさえいなければ、レイは今まで通りの、傷つきながらも折れることはない、いばらの道を歩んでいた。耐えられていたのだ。
(グレンが、全てを壊したんだ)
奇しくもレイのこの考えは、父親のすべてをレイの責任とする考え、自己中心的な物と同じだった。グレンに非があるとすれば、多大な疲労を与えたという一点、それのみだ。
それ以外ではグレンはきっかけにすぎず、いずれ起こりうるものだった。
だが混乱するレイの頭には、そんなことは関係ない。
ただただ嫌いな男がすべての原因だと、罪を擦り付けて殺す大義名分を作り上げる。
「……リリ、気が変わったよ。僕は明日、街に行く」
「え? ど、どうしたんですかいきなり? そりゃあ、立ち直ってくれたのは嬉しいですが」
立ち直ってなどいない。今だレイの心は折れたままだ。
ただこの折れた心を正すために、間違った行動を起こすに過ぎない。
誰がどう見ても間違っている、愚かな行動を。
(グレンを……パパにとって利用価値のあるすべての人間を……殺す!)
世界中にただ一人、父の役に立つ人間を自分だけにしてしまえば、それでいい。
そうすれば父は憎い自分を見てくれると、見ざるをえないと信じて。
誰も望まず、誰も幸せにせず、全てを不幸にする選択を。
レイはした。




