残酷な世
馬車に揺られて数時間、レイドは無事に自宅までたどり着いた。
まるで足枷が解き放たれたかのように軽やかな足取りで家の前まで歩いて行く。
(ここにはグレンがいない。それだけでなんて清々しいんだろう)
誰にも侵害されることのない穏やかな空間、そこに身を置いているだけでレイドの心に平穏は訪れる。今までの感じていたストレスは驚くほどに発散され、心からの笑顔も浮かんでくる。
楽し気な心持のまま自宅を訪れ、扉を開ける。
「ただいま」
笑顔で家に入ると、何人ものメイドが玄関を向き、レイの存在を認識する。
掃除していた手を止め、皆が首を垂れる。
「おかえりなさいませ、レイお嬢様」
リリから伝え聞いたのだろう。皆はレイドをレイお嬢様と呼ぶ。
その中の一人、リリがレイドの元まで駆けより、疑問の表情を浮かべて話を聞く。
「どうなさったんですか? いつもは月に一度しかお帰りになりませんのに」
「あー、色々とあってね。ちょっと息抜きをしたかったんだ」
「レイお嬢様が耐えきれないほどのストレスですか、それはさぞおつらかったのでしょうね」
「うん、まあね。それよりも、パパはいる?」
「いえ、旦那様はお仕事で今は外出しています。予定では午後六時にご帰宅なされます」
「そっか。まあしょうがないか」
平日の真昼間、こんな時間に大の大人がいることの方がおかしい。
特にレイの父は幾多モノ店を経営する立場にいる者、たとえいたとしてもレイと仲良く談笑など、するはずもなければできるはずもない。
それを理解しているゆえ、父の不在に残念がりながらも、仕方ないと割り切ることもできる。
「お暇でしたら、私が話し相手になりましょうか?」
「え? それは嬉しいけど、リリさんはお仕事があるんじゃないの?」
「大丈夫ですよ。他に使用人は山ほどいますし、私一人がさぼったところで特に痛手にはなりませんよ。レイお嬢様はご心配なさらず、ご自分のことだけお考え下さい」
とはいうものの、レイは見た。リリの発言に明らかに訝しむ他のメイドたちを。
「本当にいいの? みんなが仕事してるのに」
「何を言うのですか。レイお嬢様の御心を軽くすること、これ以上の大仕事が他にあるでしょうか? いいえありません。何よりも優先すべき重要事項です」
「そ、そう……でも他の人たちは……特にカリンさんは、すごい形相で見てるけど……」
メイドの立場は、一応リリが最古参ということもあり、一番高い地位にいる。次点にいるのがカリンだ。彼女はリリのさぼりたいという意思をくみ取り、言葉では言い表せないほどの鬼の形相を見せる。だが、仕える主の娘の話し相手になる。それも抱えたストレスを取り除くためと。そう言われてしまえば強く言うことは出来ない。
言いたいのに言えない。そんな複雑の気持ちを、レイは十分に理解できる。
(それでも、話し相手は欲しいなあ)
ストレスの軽減には心を開いている人間との会話が望ましい。メイドの中ではリリが一番距離感が近い。ゆえにリリとの会話をしたい。
しかしカリンの気持ちも分かる。
悩んだ末に出したレイの答えは。
「それじゃあ僕も仕事を手伝うよ。急に来て迷惑だろうし、これいぐらいはしないとね」
仕事を手伝い、リリの暇な時間を作り出す。それがレイの選んだ道だ。
「そ、そんなレイお嬢様! 仕える主人の一人娘にお仕事などさせるわけには……」
「いいって、体を動かしている方が気が楽だし。僕の心を軽くしてくれるんでしょ? だったらこれぐらいはさせてよ」
「ですが……」
「いいからいいから。早く終わらせて、僕の話を聞いてくれた方が効率的でしょ?」
「……分かりました。ですが万が一、ご主人様が急遽お帰りになられた際は、即座に作業をおやめください。私たちの首が飛びますので」
諦めたように納得し、最低限の注意を促し掃除に戻るリリ。レイもメイドたちと同じように掃除を行い、しかし複雑な心持で床を箒で掃く。
(きっとパパは、僕がメイドと一緒になって掃除しても、何も言わないだろうけど)
父の求めることは分からない。何をすれば自分に振り向いてくれるかもわからない。
それでも分かることはある。
父はレイが何をしようとも、どうなろうとも、無関心であるということ。
こうして掃除する姿を目の当たりにしても、メイドたちに罰を与えることはないだろう。むしろ効率的だと考えるはずだ。それは今に始まったことではなく、すでに分かりきっていること。複雑な気持ちになれど、そこまでレイの心を傷つけることはない。
掃除が始まり、二時間が経過したころ。
レイ一人増えただけで作業効率は上がり、普段ならばあと一時間は必要な掃除は完了した。
何人かのメイドは食事の準備をしにキッチンへと足を運び、レイとリリは当初の約束通り、二人で話をするためにレイの部屋へと足を運んだ。
リリは椅子に腰かけ、レイはベッドに体を埋めた。
「速攻でベッドにダイブですか。しかも服を脱ぎ散らかして。冒険者レイドの評判とは、まったくもってかけ離れた行動ですね」
「あんなものは作った僕だよ。本当の僕じゃない。実際の僕は……見ての通りさ」
「そうですよねぇ。レイお嬢様は昔からご主人様の前やご主人様に振り向いてもらうための行動はいい子ちゃんそのものでしたけど、それ以外はニートもびっくりのものぐさですもんね」
「……ニートと同じなの?」
「多分、ご主人様がレイお嬢様の御望み通り甘やかしてくれていたら、最低ランクのひどい人間になっていたことは間違いないでしょうね。たまに今日みたく掃除をすることはあっても、結局は気晴らしのためですし。でもまあ、見た目はトップクラスに可愛いですし、適当にお金持ちの男を引っかけて楽な生活は出来たでしょうけど」
散々なリリの評価だが、レイは正直なところ、自分がそれほどまでにどうしようもないことは自覚していた。そう思えば、父のあの態度はレイにとってはいい影響かもしれない。
だが、そう考えたとしても、自分がダメ人間になろうとも、父からの愛情は欲しいもの。
それさえあるならば、他の人間に迷惑をかけようが知ったことじゃないと、完全に開き直っていた。事実、そのためならなんでもした。
つらいことも苦しいことも、レイは精一杯頑張ってきたのだ。
「それでレイお嬢様、本日はどのような理由でお越しになったんですか?」
リリに聞かれ、レイはこの数日間の出来事をすべて伝えた。
主にグレンについての愚痴を。
「というわけで、グレンが来てから僕の心労はマッハ、ここに癒されに来たの」
大雑把な説明を施し、レイの心は幾分軽くなった。元凶がどうなったわけでもなく、街に戻れば再び心が病む日々が始まる。しかし心の内を曝け出したことによる開放感がある。
それとは打って変わって、リリの表情は曇る。
「えーっと、ちょっと待ってください。そもグレンという輩は、レイお嬢様を女性と認識したうえで、寝ている無防備な状態のお嬢様を触ったと?」
「うん。実際は寝たふりだったけど、グレンは寝ていると認識してたね」
「そして隣の部屋を金を積んで手に入れたと?」
「そうなるね」
「ど変態のストーカーじゃないですか!」
辛辣すぎる評価を……否、正当な評価をグレンにリリは与える。
話を整理すれば、なるほどグレンは最低の男だ。寝ている女性を勝手に触れ、さすがに同室でいることはなかったが、大金を積んで隣の部屋に住まう。ただのストーカーだ。
実際は女性と認識しているというのはレイの誤解であり、幾分かの言い訳は出来るだろうが。しかしそれを差し引いたとしても、やはりグレンは変態だろう。
他の冒険者たちの発案とはいえ、レイの痴態が描かれた絵を金銭で手に入れた時点で、情状酌量の余地はない。レイの立場からすれば、ギルドの皆、全員が最低の変態だ。
「そんな奴、たたっ切っちゃえばいいんじゃないですか?」
「そうしたいのは山々だけど、あれでグレンは世界規模の英雄だ。僕が殺したとなっちゃ、確実にみんなから軽蔑されるよ」
「……ど変態のくせに、信頼は厚いんですね」
「実績の賜物だよ。英雄になれさえすれば、誰もが認め、無条件の信頼を受けられる。僕はあいつが大っ嫌いだけど、それを証明してくれていることだけは、感謝してるよ」
「……ご主人様に振り向てもらえるかもしれない、からですか?」
「うん。僕がグレンを超える英雄になれさえすれば、きっとパパも僕を見てくれるはずだ」
期待に胸を躍らせ語るレイを、リリは何も言わず見つめた。
リリは知っている、たとえ英雄になろうとも、どのような存在になろうとも。
レイが欲しい物、父の愛情は手に入らない。
かつて聞いた言葉がある。レイを見る度に脳裏によぎり、決して忘れられないあの言葉。
リリは父のあまりの態度に、モノ申したことがある。
少しぐらいは愛情を見せたらどうか、と。
その言葉に対する父の返答が、
『私が愛した人間はただ一人、死んだ妻のシルフィだけだ。断じてレイではない。シルフィの残したレイに最低限の情としてこの家に住まわせているが、私はあれがどうなろうと構わない。どこかで死のうともだ。むしろ、冒険者稼業で命を落としてくれれば、世間体のために行う最低限の父としての行動から解放される。好都合とも言えるな』
もはやリリは、レイに同情しかしない。
あらゆる分野の才能を持つレイ、誰もが羨む美貌を持つレイ。
しかし唯一欲しい父の愛情は、絶対に手に入らない。それどころか、死んだ方が好都合とまで言われたのだ。愛はなく、邪魔なものとしか見られていない。
叶わぬ夢を抱きいばらの道を歩み続けるレイの姿は、リリには痛々しいものにしか見えない。
それでも言えない。レイの父が何を思っているか、その本心を、決して言えない。
言えばレイの心は壊れ、残るは人の形をした何かだということは、容易に想像できる。
家に恵まれ、容姿に恵まれ、才能に恵まれた少女は、誰よりも苦しむ。苦しみ続ける。
(世の中は、なんて残酷なのかしらね)
決して明かさぬ哀れみを抱きながら、リリはレイの話を聞き続けた。




