いら立つ存在
時刻は夜中の九時
今日レイドがやるべきことは、もうない。依頼をこなし、住民とのコミュニケーションも取り、十分な好印象を与えることに成功している。明日は急なことだが家に帰ることを決めているため、時間の許す限り英雄への道を邁進し続けた。
(色々とストレスのかかる日だったけど、今日はもう何もしなくてもいい。明日はパパに会える。そう思えば、なんとか笑顔を保てるものだな)
多少なりとも穏やかになった心境で、宿屋までの道のりを歩く。
明日、父親の顔を見るからか、その足取りは軽いものだ。
しかし視界に映る一人の男の存在で、軽くなったはずの心に再び重荷がのしかかる。
(グレンか……見つからないように)
コソコソと、不審者のごとく動くが、レイドの視界に入ったということは、グレンからも見える位置にいるということ。健闘虚しく即座に見つかってしまうのであった。
「おお、レイドじゃないか。何してるんだ? こんなとこで」
「別に、宿屋に帰るところだよ。君こそ何してるんだ? 両手に紙束なんか持って」
グレンの両腕には、複数枚の紙が持たれていた。文字なんかとは無縁そうな男がだ。
不思議に思ったレイドだったが、グレンはその返答にあいまいな答えを示す。
「これは……別に何でもないさ。個人的な物。それよりも、早く宿屋に帰ろうぜ」
「……ちょっと待ってよ。君は新しい宿屋を取ったんだろ? 朝にそう言っていたじゃないか」
「お前の隣の部屋をゲットしたんだぜ!」
わざわざ紙束を片手持ちにして、親指を力強く突き立てた。
(折りたい! その指をへし折りたい!)
溢れ出そうなグレンへの憎悪を、ギリギリのところで抑え込む。
息を吐き、呼吸を整えると同時に怒りも放出する。
「これからはお隣さん同士、よろしくな!」
「……これからはって、君はお母さんの様子を見にここに来たんでしょ? いつかは元いた場所に戻るんじゃないの?」
「いや、ここで活動するのも悪くないなって思ってよ、しばらくはこの町に滞在することにしたんだ」
(なん……だって?)
グレンの選択は、レイドの傍に居たいがための物だった。惚れた男の傍に居続けたい、ゆくゆくは自分に振り向いてもらいたい、そう思っての行動。
しかしレイドにとって、その決断はこれ以上なく非情なものだった。
いずれ居なくなる。このいら立ちはグレンの帰還とともに消えうせてくれると、そう信じて今まで耐えてきた。耐えに耐えて、耐え抜いたのだ。
この数日間、何度も殴り倒したくなるほどの激情を抑え、笑顔を保ち続けてきた。時には怒りも見せはしたが、それは半ば演技の怒りだった。
本来のレイドの怒りはあれほどまでに感情を露わにしない。静かに自らの怒りを発散する。
(こんな生活が……続く……)
もはや、レイドに耐えられる自信はない。いつの日か胸のうちにしまい込んだ感情は爆発し、英雄とは程遠い行いをしてしまうだろう。
そう確信するほどのストレスを、この数日間に溜めたのだ。
グレンは知らない。自分が嫌われていることなど。レイドが他者の気持ちなどどうでもいいと思っている人間などと。
口うるさいところもあるが人のために動くことのできる良い奴、その認識を持っているゆえに、レイドの気持ちは分からない。
一緒に深夜まで遊んだ仲、それだけですでに友達のつもりでいるグレンには。
この町に滞在するという選択がレイドにとってどれほど心苦しいことなのかは、分からない。
まして絶望にすら近いなどとは、ただの一片も。
「さーってと、今日はすぐ寝っからよ、お前は安心してすぐに寝ろよ。邪魔はしないからよ」
そう言ったグレンの顔は、どことなくぎこちない笑顔だった。
しかし絶望を感じているレイドは、それに気づかない。
レイドのいかがわしい絵を持っており、グレンがそれを用いて夜の営みをしようとしているなど、考えもしない。分かるはずもないことだが。
「それじゃ……おやすみ」
放心状態に近いレイドは、宿屋についた直後にそう言い、部屋までふらふらとした足取りで入っていった。
グレンはそそくさと、だが期待のまなざしで部屋に戻る。
(この街を離れるのも……一つの手か)
いずれ拠点は移すつもりではあった。自身の名をとどろかすために、こことは違う別のどこかへと赴く予定はあった。タイミングが早かっただけ。
レイドへ向ける視線が妙なものに変わりつつある今、ここで活動するよりも効率的だろう。
しかしそれには、一つの問題がある。
(パパに会う時間が、減るんだよなあ)
遠くの地に足を運べば、おいそれと父に会うことが不可能になる。
一カ月に一度会うペースは、確実に間隔が広がる。どうしても会いたいと思っても会うことが出来ず、それはそれでストレスがたまる可能性すらある。
どの道を選ぼうとも結局は、レイドには苦でしかないのだ。
いつからこうなってしまったのか?
そんなものは分かりきっている。
(全部、グレンが来てからだ)
グレンさえいなければ、レイドがこれほどまでにいら立つことはなかった。今抱えているストレスを十とするなら、今までは五にも満たなかった。それでも味覚障害に陥るほどのストレスではあるのだが。
グレンへの怒りを抱えた状態で、レイドは入浴を済ませ、即座に睡眠に入る。
寝付きはあまりよくなかった。夢の中へと身を投じたのは目を瞑り始めてから数時間後、翌朝に目が覚めても眠った気はせず、疲労はレイドの体に確実に残っていた。
重く気だるいからだを動かし、レイドは支度をする。
午前はいつも通り依頼をこなし、人々のためになる行動を。
午後は自宅に戻り、心を静める行動を。
支度を済ませたレイドは朝食を取り、ギルドへと足を運ぶ。隣の部屋で寝ているグレンは華麗に無視し。
グレンを起こすなど、レイドには義務もなければ義理もない。いっそ一生目を閉じ静かにしていればいい、そうとすら思っている。願っている。
つまるところ、死んでくれればいいと。
そんな汚れた心を綺麗な心で取り繕い、ギルドの扉を開ける。
「みんな、おは……よう?」
中に入ると、そこは閑散としていた。いるのは受付の人間が三人、他には誰もいない。
いつもは朝早くでも誰かしらの人間がいるはずなのに、一切いない。
(今日は、何かあったっけ?)
街に何か催し物でもあり、そのせいで誰も来ていないのか? そう考えたが、そんな催し物など存在しない。いつも通りの変わらない日常がこの街では流れている。
ならばなぜこの場に誰一人としていないのか。それは簡単だ。
夜遅くまで起きていた。だからまだ冒険者たちは寝ている。それだけだ。
レイドの絵を手に入れた冒険者たちは興奮のあまり夜は眠れず、眠りについた時刻は三時を超えていた。さらには絵について語り合う者もおり、それは朝方まで続いていた。
当然、そのことについて知る術を持たないレイドがどれだけ考えても正解に行きつくはずもなく、無駄な思考を広げるだけだ。
さらにはその思考の行きつく先は、レイドを不快にさせる。
(全部全部、グレンが来たせいだ)
特に理由はないが、なんだかんだでグレンが原因だろうと考えてしまう。嫌いな人間を原因に仕立て上げてしまうのは、人間の悪い癖だ。
「レイドさん、今日はどうします? 見ての通り、他の冒険者様方は来ていませんが」
思考に気を取られて、その場に立ちすくんでいたレイドに受付の人間が声をかけた。
「あー……っと、さすがに一人でやるのもな……今日のところはやめておきます」
たった一人では活動する意味はない。ある程度のギャラリーがいてこそ、武勇はより広くに伝搬するものだ。
(しょうがない。予定を繰り上げて、家に帰ろう)
立てていた予定は速攻で崩れたが、そのことに関しては不快に思っていない。
むしろ活動しなくてもいいという大義名分は、レイドの心を多少なりとも緩和させる。
比較的穏やかになった心持で、レイドは自宅へと戻っていった。




