婚約破棄VS秘剣・黒薔薇斬首剣
「シュティーナ、君との婚約を破棄する」
冷たい声音に、卒業パーティ会場は水を打ったように静まり返る。
第二王子、レンナルト=リンドグレーンの言葉だった。
対するは公爵令嬢シュティーナ=ヴェストレム。
晴天の霹靂であった。
レンナルト自身が愚物でないことは、これまでの学園生活を通して誰もが知る事実である。聡明にして驕らず、獅子にも勝る精悍の貴人。
そのレンナルトが、この華やかなる場において、何らの脈絡もなく婚約を破棄する――ましてやその相手がかのヴェストレム家の恐るべき麗人シュティーナ=ヴェストレムであるなど――。
此は如何なる変事哉。
衆人が固唾を呑む中で、シュティーナの答えは単純にして明快。
そして、苛烈。
「決闘じゃ」
二人の間に、手袋が叩きつけられた。
と、いうことで食べかけのパーティテーブルは会場の端へと寄せられ、衆人は観賞の体勢に移行。
広々とした会場の真中にはレンナルトとシュティーナが堂々と立ち、その間にはこの私、マジカル=トラブル=アルケミミックⅢ世が立会人として見届けることとなった。今「なんだそのけったいな名前は」と思っただろう? 当然偽名である。
こんにちは、国民諸君。
このトラブルの黒幕は私だ。
私は学園創設以来の錬金術の天才(錬金術は爆発であるという前提の元に立てば)、アルケミミックⅢ世。トラブルを起こすことにかけては第二王子世代においても随一と自負している。
卒業パーティにおけるトラブルの華と言えば、それは婚約破棄だろう。数年前にも第一王子が聖女密室襲撃事件をネタに婚約破棄を持ち掛けて大盛り上がりしたところである。
というわけで、今回は私の天才的な錬金術の腕を駆使して、婚約破棄トラブルを発生させてみた。
国民の幸福率100%とかいうもはやディストピア的芳香すら漂う平和な王国である。たまには国民諸君も面白いものを見たいと思っていることだろう。そして面白いものと言えば王侯貴族相手にトラブル起こしてはしゃぐに限ると思っていることだろう。
第二王子世代を勝手に代表し、面白いのはあのナルシストを初めとした第一王子世代だけではないということを、これを機に国民の皆さんにご披露申し上げたいと思っている。
そういうわけで今回はトラブルの全容を王国各地に音声でお送りすることとなった。映像媒体での放映技術の実用にこぎつけられなかったのが痛恨極まりないが、今回は私の美声による実況解説でご寛恕願いたい。
さて、肝心のレンナルトとシュティーナに目を移してみよう。
「決闘は一対一の一本勝負。どちらかが降参するか、行動不能になるかで決着。それでよいな?」
シュティーナの申し出である。
シュティーナ=ヴェストレムについては多くの国民の知るところであるとは思うが、一応解説しておこう。
ヴェストレム公爵家の長女。ヴェストレムといえば武門で名高い貴族家である。ということでシュティーナも当然鬼のように強い。学生時代は何度痛い目に遭わされたか数えられたものではない。
「ああ、望むところだ。器械も武芸も使用の制限はなし。そっちも、それでいいな?」
「我を相手に吠えたの、童」
「決闘が終わって、吠え面をかくのは君の方だがな」
そして今、上手いこと言ってやったみたいな顔をしているのが第二王子レンナルト=リンドグレーンである。今彼がしている上手いこと言ったやったみたいな顔は本当にすごい。こっそり写真に収めたので、後程全国民に配布しようと思う。
レンナルト=リンドグレーンについても多くの国民が知っていることだろう。かつては花も恥じらうか弱き美少年だったが、シュティーナと婚約を結んだが運の尽き。イケメン顔はそのままに大型類人猿相手に腕相撲で勝利をするような筋骨を身につけてしまった爽やか王子である。
「行動不能の判定は――、君に任せるぞ、(天才的な速度の編集によるピー音)」
「うむ、我も(天才的な速度の編集によるピー音)の裁定であれば異論はない」
二人とも私の友人である。
学生時代、当然私は彼らを散々な目に遭わせたり、反対に散々な目に遭わされたりしたのだが、今回は事前に『私のこといい人だと思うようにナ~ル』という薬を盛ってあるので、全幅の信頼を寄せてもらっている。
「ああ、もちろんだとも。私も全力でもって君たちの信頼に応えよう」
私は私で事前に『どんなときでも真顔にナ~ル』を服用しているので、笑いが堪えきれなくなりすべてが台無しになるという心配はない。安心していただきたい。
さて、ようやっと本番である。
会場の真ん中に私。私を起点にレンナルトとシュティーナが立つ。二人の距離は二刀足。二歩踏み込めば剣の届く距離、ということで、この王国の決闘の流儀でもある。
これから起こる決闘を華やかな画で伝えられないの残念だが、今回の音声伝播には心内通話の魔術が応用されている。ゆえにあまりにも高速すぎる剣戟であろうと、私の天才的思考速度によって逐一余すことなく解説され、瞬時に聴取者の皆様の脳内に奔流のごとく注入されることになる。むしろ単に目で見るよりも臨場感溢れるのではないかと愚行する次第であるので、どうかチャンネルはそのままでお願いしたい。
「では――」
両者構え、と告げようとしたところ、被せるようにシュティーナが口を開いた。
「のう、レンナルト」
「なんだ、遺言か?」
「戯け。――お主の最期と思い、一応聞いておこう。此度の婚約破棄、何が原因じゃ? 我のどこに不都合があった?」
随分剣呑な会話が繰り広げられているが、安心してほしい。死なない。
私も学生時代「世界のためにてめえの息の根だけは止めてやる!」と襲われたことは一度や二度ではないが、未だに生きている。学園ジョークだ。
「それはもちろん――ウッ、頭が!」
レンナルトが何かを言おうとして頭痛に悶えた。
当然私の薬の効果である。苦しみながら、彼は言う。
「き、君の――、君のその、のじゃ娘ぶった喋り方が、ずっと許せなかった!」
「――そうか。その言葉だけ聞けば十分。疾く息絶えよ」
ちなみにシュティーナのあの老人喋りはキャラ付けの一環で行っているものである。つまりは趣味で、それをよりにもよってレンナルトに正面から否定されたシュティーナのショックは計り知れない。私の心は特に痛まない。彼女には以前、私のお気に入りの全身からミルクティーを噴き出してぶーぶー鳴くゆるキャラぬいぐるみを「悪趣味じゃの」と切って捨てた前科がある。私は一の恨みを百にして返す人間だ。
「(天才的な速度の編集によるピー音)! 合図をせよ! この男が一秒でも我が前に立っているのが許せぬわ!」
「……ッ! 君こそ、よく吠えるじゃないか、シュティーナ」
「名で呼ぶなッ!」
いい感じに温まってきたので、今度こそフェイントは終わりだ。
立つは第二王子、レンナルト=リンドグレーン。諸手の宝剣を携え、黄金の熱を纏う。
立つは公爵令嬢、シュティーナ=ヴェストレム。片手の魔剣を携え、花の香を散らす。
「決闘、一本勝負! いざ尋常に――、始めっ!」
そして、火蓋が切られる。
*
両者が睨み合う。
レンナルトの構えは堂々たる正眼。シュティーナは半身に構え、刺突の切先を相手の喉元に向けている。
静寂が、特殊な電磁波のように場を包んでいる。
強者同士の果たし合いが、このように膠着から始まるのは珍しいことではない。
元来、構えというものは万全の姿勢。過剰とも言える武練の果てに完成されたそれを前にして、初めに起こるのは、その『万全』の崩し合いである。
引けば死する。
進めば死する。
初めに仕掛けていたのは、レンナルトだった。
じりじりと、焦熱が会場の床から立ち上り始める。
無詠唱魔術が発動していた。『鬼神焦血』――上級に位置する攻撃魔術である。
広範囲にわたる加熱の魔術だ。習得するだけでも学園屈指の魔術技能を必要とする『鬼神焦血』を、レンナルトはこの膠着の中、悟られぬように繰り出していたのだ。
レンナルトが得意とするのは炎・雷・熱――烈しき光の呪文である。無詠唱である以上その効果の弱体は避けられないが、無視するに能うほど軟なものではない。証拠に、すでに観客席は阿鼻叫喚だ。
当然、シュティーナも反応を余儀なくされる。
互いに着用するは決闘用の戦闘礼装。王家と公爵家のそれにさしたる性能差はないが、まさか上級熱呪文を耐久するほどの高次元ではない。
頬に一筋、汗が伝う。
「――凍れ」
一節詠唱。
剣気が交錯した。
「――――!」
「――ひひ」
レンナルトの宝剣と、シュティーナの魔剣。
二人の器械による間合い差は、腕と脚ほども開く。たかが一節とは言え、隙は隙。空間において有利を取るレンナルトは、瞬間にシュティーナを制圧しようと双眸を閃かせた。
しかし、その行動も、頭を押さえられた形になる。
シュティーナが唱えたのは、これもまた上級に位置する攻撃呪文、『虚空漂凍』――しかしその威力、明らかに抑えられていた。
『虚空漂凍』――血液までも沸騰させる『鬼神焦血』に対抗する凍結呪文。空気中に漂う水分を凍結させる、広範囲呪文だ。
それが今、発動した端から、『鬼神焦血』によって溶かされ続けている。同位階の呪文同士が対抗した際に起こるのは、よほどの力の差がある場合を除けば対消滅。それが今なされていないのは、つまりは策略。
蒸気が満ちている。
熱霧が剣気と、視界を塞いだのだ。
ちなみに私は『よく見えるようにナ~ル』を事前に服用していたので問題ない。
視界のない中で剣を振るう――、レンナルトにとってはそれほど困難な業ではない。
しかし今それをしかなったのは一重に、シュティーナの業に対する警戒である。
剣を振れば――当然、構えが崩れる。
それは隙だ。敵手を仕留めんと牙を出すとき、咽喉が外気に晒されるように。
そしてここからのレンナルトの思考は、シュティーナの魔術を知るが故。
彼女にはあの魔術がある――変幻魔術『霧影背裏』。
レンナルトと対照的にシュティーナが得意とするのは、闇に纏わる水と影の魔術。
霧のフィールドにおける彼女は処刑人以外の何者でもなく、『霧影背裏』を用いれば霧そのものへと同化して、レンナルトの脊髄を容易く貫くだろう。
レンナルトは心中で天秤にかける――。
このまま『鬼神焦血』によって、シュティーナが消耗して斃れるのを待つか。
『霧影背裏』を警戒し、『鬼神焦血』を解くか。
「吹き、」
後者。
霧中に剣閃が流れた。
「荒べ」
轟風。
二節詠唱。風の上級魔術、『大空乱龍』だ。
『鬼神焦血』は瞬時に解除されている。荒れ狂う嵐は立ち込めた霧をたちまちに吹き飛ばし、同時に、レンナルトの左側頭部へと投擲されていた匕首も、彼方へと放り出された。
シュティーナの立ち位置が変わっている。すでに『霧影背裏』を発動していたのだ。そして機を窺い、レンナルトの詠唱の隙に、暗器を繰り出した。
レンナルトが風の上級魔術を使ったのは、何も霧のフィールドを消し飛ばすためだけではなかった。
全方位に向けた、攻撃的防御。決着を望んだ小刃は、龍の顎に噛み砕かれた。
「やるの」
「勝つぞ」
短い言葉の応酬。
間合い外の交錯は、レンナルトに分があったと見てもよい。
レンナルトとシュティーナの、風の魔術に対する耐性は互角だ。
『大空乱龍』が発動している中ではどちらとも同等に行動を阻害される。
が、ごく単純な要素が、レンナルトに有利をもたらす。
体重差である。
筋骨と頑強な宝剣に裏打ちされるレンナルトと異なり、シュティーナの体躯はしなやかながら、軽すぎる。
不利は同じ――しかし、効果は違う。
有利を取ったのは、レンナルト。
宝剣の閃きが、剣戟の始まりを告げた。
正眼一足、捻じ込んだ。
『王家一刀――<切火雷光>』、稲妻が如き速度で踏み込まれる刺突の一刀である。
宝剣には青褪めた電撃が宿る。スパークの衝撃でもって、敵手の構えを弾き飛ばす豪剣だ。
シュティーナの魔剣は、『大空乱龍』の緑波と<切火雷光>の紫電にあえなく弾かれる。
そして同時に、シュティーナの身体も。
「何――!?」
「甘いわ」
『ヴェストレム流体術――<花鳥>』、外力によって跳ねられたはずのシュティーナの魔剣は、まるでそれが自然の理であるかのように、彼女の身体ごとを導いて揺らす。
躱した。
伸び切ったレンナルトの両腕に、シュティーナの魔剣が振り下ろされる。
『ヴェストレム流剣術――<裁刃>』、上段から片腕で以て振り下ろされる斬撃には、重力魔術が乗っている。
その重量たるや、大の大人をして十人分。ヴェストレム流を極めたシュティーナでなければ扱えない、鋭い魔剣に込められた超重量。
食らえば切断は免れない。
「オォ――ッ!」
「何――!」
故に、レンナルトはそれを回避する。
己の身体を、攻撃することで。
『果爆』――中級に位置する爆撃魔術だ。レンナルトほどの使い手であれば、一度に複数を行使することも可能である。
彼は通常の方法では<裁刃>の一刀を避けられぬと見るや、その魔術を発動した。
一つには、自身の腕の上に。
一つには、自身の足の裏に。
爆撃魔術に耐性強いレンナルトの身体には、熱によるダメージはほとんど入らない。
代わりに衝撃だけが彼の身体を襲い――、
驚嘆するほかない。
レンナルトの長身が、宙を返った。
「踵――!」
「ずぇりゃああああ!」
<裁刃>が床を抉り割ったのと同時。
レンナルトの踵が、豪風を物ともしない爆風の勢いで以てシュティーナの頭蓋に襲いかかる。
さしものシュティーナも目を剥いて、
「『霧影――」
高速詠唱。『霧影背裏』によって気体と化した彼女は、魔剣を捨てると、場を渦巻く『大空乱龍』の豪風に巻かれて、その場を逃れる。
まさに風の速度でレンナルトと距離を取ったシュティーナは、『霧影背裏』を瞬時に解除。巻き上げられた身体は天井に足を着き、
「凍れ――!」
再びの『虚空漂凍』。今度は手加減はない。
会場の床は氷鏡と化した。
「ぐ――!」
次に焦るのはレンナルトの番である。
シュティーナという標的を失くした今、その長身は床に落ちるばかり。その足場が凍っては、隙の生じるは免れない。
「燃えろォ!」
『万火』――、中級火炎魔術。
レンナルトは足先から烈火を噴き出し、氷を砕いて着地する。
しかし、それすらもまた、隙。
「上――!」
見上げたときには、もう遅い。
『落滝雹針』――上位氷結魔術。千の氷柱が、宙より降り注ぐ。
「――滾れ!」
レンナルトはもう一度『鬼神焦血』を発動することを余儀なくされる。一節詠唱で行使したそれは、瞬く間に氷柱を溶かしつくし、彼の身体を守る。
そして、同時に。
『大空乱龍』がかき乱すまでの僅かな間、再び熱霧が周囲を覆い――、
「はッ!」
魔剣閃く。
『霧影背裏』によって蒸気に紛れたシュティーナは、レンナルトの目を盗み、魔剣を奪取。彼の背後から剣を凪いだ。
『ヴェストレム流剣術――<崩月>』、剣は肋骨の隙間から滑り入り、臓物を一度に割断せんと完全なる軌道を描く。
レンナルト。
返しの剣は――間に合わない。
迎撃の魔術は――間に合わない。
完全な死角からの一撃に、回避すら――間に合わない。
故に。
「な――!?」
「オォおッ!」
籠手で受けた。
見もしないまま。
ただ感じるままに。
完全なるシュティーナの剣術なら、この軌道を描くだろうと想像するままに。
彼は自分の剛腕を信じて、籠手でその、魔剣の一撃を受け切った。
果たして、魔剣の完全なる軌道は、想定外の障害物を半分ほど切り裂いて尽きる。
振り向きざまに宝剣が一閃。
すでにそこにシュティーナの姿はなかった。
仕切り直しだ。
奇しくも二人の距離は再び二刀足。
開始時点と異なるのは、互いの消耗。場を取り巻く『大空乱龍』の緑風のみ。
そして、その緑風もやがて止む。
「――強く、なったな」
シュティーナの言葉に。
「君が、強くしたんだ」
レンナルトの言葉。
シュティーナは構えた。
再びの半身。刺突の構え。しかしこれもまた、開始時点と異なる点がある。
剣気だ。
膨大たる剣気が、彼女の立ち姿から溢れ出ている。どろり、と粘性すら帯びているように錯覚させるそれは、おぞましき呪いに似た魔性を帯びている。
「お主の心がどうであれ、ここまで我と渡り合ったその武芸に賛辞と――、華を、贈ろう」
決着の、気配である。
これまでの大魔術戦とも、目まぐるしい高速戦闘とも異なる。
それは、必殺の気配。
一の交錯に賭ける、終局の気配。
「故に――、我が秘剣、受けてみよ」
仄暗い、どころではない。
漆黒だ。
深海の底の底に沈む、昏き、月光すらも届かぬ闇に蠢く魔力と、剣気の奔流。
「――受けて立つ」
レンナルトも構える。
正眼ではない。大上段。
宝剣は日輪に輝き、脈打つ紅玉のように煌めいている。鮮烈なる刃。ただそこにいるだけで、全てを塗り潰してしまいそうな。
仕掛けたのは、シュティーナ。
「ヴェストレム流秘剣――
<黒薔薇斬首剣>」
瞬突。
それが全てだった。
それだけが、全てだった。
おぞましく、夥しく。
無限の瞬突。
目には追い切れぬ、身体には反応し切れぬ、無限に等しき漆黒の刺突。
それが一瞬きもしないうちに、すべてレンナルトの身体へと吸い込まれていく。
幻惑と疑った。
彼女の得意は、闇と水の惑わしの魔術だ。
この無数の刺突は目くらまし、本命の一刺がこの中に潜んでいるのだと。
そう、レンナルトも思ったなら、彼は反撃の間もなく敗北しただろう。
我が目を疑った。
無限の刺突――、これは幻惑ではない。
一つ一つに必殺の剣気が込められた、正真正銘の剣突。
私の未熟なる眼によっては到底理解の及ばない業だった。
これは武術か? それとも魔術か?
否。これぞ秘剣。
水面に映る無数の月を、その一つ一つを真たらしめる魔剣。
「王家一刀――!」
レンナルトに、迷いはなかった。
対峙してなお、あり得ぬ速度でその秘剣の本質を見抜いたというのか。
それとも、いかなる業が来ようと、迎え撃つ業を決めていたのか。
定かではない。
定かではないが――、
放った。
「緋剣――
<太陽熱波>!」
爆炎ではない。
焦熱ではない。
雷光ではない。
漆黒の無限に挑む、黄金の一振り。
――否、挑むなどという言葉は、まったくもって適さない。
圧倒だった。
それはもはや――剣ですらない。
日輪がただ存するだけで膨大な光熱を放つように。
その一振りは、ただ存するだけで。
「お、オォオオオオオッ!!」
黒薔薇の棘を、全て溶かしつくした。
――だが、終わりではなかった。
「ヴェストレム流秘剣の二――
<蠍明星>」
黒薔薇を溶かした、黄金が立ち消える。
そしてそこに残るは、宝剣を振り切ったレンナルト。
そして、彼の喉元に、爪先を突き付けたシュティーナの姿。
彼女の戦闘礼装――、ロングスカートから露わになった長脚には、血のように赤い鉄杭が鈍く光っている。
暗器。
一にも満たない挙動で、その鉄杭はレンナルトの咽喉を貫くだろう。
勝負はついた。
「秘剣とは――」
シュティーナが言う。
「秘するもの。秘して、秘して、秘して――そして、必ず当てるもの。地上の薔薇に惑い、天空遥かの明星を見逃したがお主の敗因じゃ」
つまり――、彼女の秘剣・黒薔薇斬首剣は、囮だったのだ。
間違いなく、それだけでほぼ全ての敵手を屠る絶技だったと言えよう。
しかし彼女は、それが破られることまで見越した。
一の秘剣を破る相手に刺す二の秘剣を、常にその脚に忍ばせていた。
あの魔剣すらも、彼女の惑わしだったのだ。
レンナルトは、一秒、二秒、間に宝剣の煌めきも消え失せて、
「――俺の、負けだ」
手放した。
「勝負あり。勝者――シュティーナ=ヴェストレム!」
*
「――殺せ。情けは要らん」
どうも決闘を終えると皆この台詞を言いたくなるらしい。国民の皆様はご存じだっただろうか。
レンナルトは非常に清々しい顔で立っている。ずっと言いたかった台詞をとうとう口にできたのでご満悦だったのかもしれない。
「――お主、なぜあのとき、我ごと焼かなんだか」
「……何のことだ?」
「とぼけるでないわ!」
と、いうことで今回の卒業パーティのトラブルは、第二王子レンナルト=リンドグレーンと公爵令嬢シュティーナ=ヴェストレムのバチバチ☆決闘バトルでお送りいたしました。
折角なので伝統化してくれるといいのではないかと個人的には思う次第である。大抵のものは一番最初のものが一番面白く、上手くいっても二番目がピーク、その後はずるずると中身が腐っていくと評判ではあるが、何、私は王侯貴族は皆面白いものだと信じている。平民の皆もだ。こっそり適当な貴族名を騙って学園に潜り込んでる私のお仲間たちもレッツトライ!
「<太陽熱波>じゃ! あのときお主、手加減したじゃろう!」
「…………」
やや尺あまり感があるので少し余談を語らせていただこう。愚痴と王侯面白話が半々くらいなので興味のある方はチャンネルはそのままにして最後まで聴いていただきたい。
「黒薔薇斬首剣と対峙したとき――お主は我ごと灼き尽くそうとすることもできた。それさえあれば、勝負はわからなかった! 違うか!?」
今回の婚約破棄トラブルを起こした理由であるが、単に面白そうというのもあるが、それだけではないのだ。
「答えよ。なぜじゃ。なぜ、手加減をした」
レンナルトとシュティーナが婚約をしたのは学園の一年生だったころ。つまり今からおおよそ七年前のことである。
当時のレンナルトは引っ込み思案で、残念なことに私くらいしか友人がいないような虚弱な人物であった。一方でシュティーナは当時から大型類人猿相手に闘志を剥き出すような武人気質。まったく反りが合わなかったのである。
「なぜ……。なぜ我に、この期に及んで情けなどかけた……!」
最悪なことに緩衝材に選ばれたのが私だった。
私もこれで友情に篤い人間である。学生時代に起こしたトラブルの九割は趣味だったが、残りの一割はこの二人のドキドキ☆ラブハプニングのためだったと言ってもいい。
「それは……」
しかし。
七年かけて、一歩も進展しなかった。
両想いになるのにはそれほどの時間はかからなかった。一応言っておくとこの段階では薬は盛っていない。
しかしそれからが長かった。本っ当に長かった!
恋愛相談を受けること1739回。
アドバイスを授けること3965個。そのうち無視されたものが2453個。実行されたはいいもののもう一方の鈍感によって封殺されたものが残りの1512個。つまり一つとして有効に働いたものは存在しなかった。結局爆発に頼ってばかりの恋愛補助輪生活だった。
「俺の、弱さだ。決闘の場でも、好いた人には剣を振れなかった――、ただの、弱さだ」
「は?」
「え?」
そして今朝も、そう、卒業パーティを控えた今朝も二人から相談を受けた。
私は歓喜した! これはもう、間違いなく卒業記念告白の相談ではないか! よかったな、ようやく武芸がどうとか理由をつけずに手が握れるようになるぞ!
しかしシュティーナはこう言った。「お、お主。レンナルトの制服の第二ボタンをもらってきてはくれんか? あやつのファンの手に渡るのも癪じゃが、己で奪うのも恥ずかしいし……。お主ならあれじゃろ。変態っぽいからレンナルトのボタンをもらっても違和感ないじゃろ?」
そしてレンナルトはこう言った。「……俺の第二ボタン、君が持っていってはくれないか。シュティーナ以外の子に渡すつもりはないし、かと言ってシュティーナの手に渡ることなく城に持ち帰ることになったら悲しみに胸が張り裂けそうだし……。君ならあれだろ。その、ちょっと変態っぽいから俺のボタンくらい持っててもなんてことないだろ?」
私はキレて薬を盛った。
「い、いやお主……。我のこの、の、のじゃ娘?とやら?よく知らんが、いや本当によく知らんのじゃが、そういうのを意識した喋りが許せないとかなんとかほら、言うておったのは」
「あ、ああ……。あまりの可愛さに許せないと……」
「は?」
「え?」
レンナルトに盛った薬は二種類。『やたらめったら婚約破棄したくナ~ル』と『素直になったりなれなかったり、二人の青春ストーリーが甘酸っぱくナ~ル』である。さっさと盛っておけばよかった。五年前くらいに。
「な、なんだこれは。何かがおかしい……ウッ、頭が!」
「し、しっかりせんか!」
「待ってくれ! その力で頭を叩かれたら死んでしまう!」
シュティーナに盛った薬は一種類。『沸点低くナ~ル』である。もともと常温で沸騰みたいな人間なので、特に盛る必要はなかったかもしれないと思わないでもない。
「そうだ……。確か、(天才的な速度の編集によるピー音)に今日のことを相談して……、それから……」
「(天才的な速度の編集によるピー音)……? 我も……ウッ、頭が!」
「だ、大丈夫か、シュティーナ!」
「ふ……ふん。婚約者でもない我の何を心配する必要が……」
「――確かに、婚約は破棄した。前言を撤回するつもりはない」
「な――、そ、そうじゃろ」
雲行きが怪しくなってきたと思う方々もいるだろう。
安心してほしい。茶番である。
「婚約は終わりだ。シュティーナ、剣を交えて、はっきりわかった。俺とけ――」
止まった。
ああ、失礼。お聞きの音声は正常だ。
状況としては、レンナルトがじっとシュティーナの瞳を見つめながら両手を握ったところである。
台詞の途中で、レンナルトが停止した。
もう嫌な予感しかしないので関係ない話を始めていいか?
「け、けけけけけっけっけけけっこお、っけえっけけ」
「し、しっかりせいレンナルト! 南国の怪鳥みたいな声が出ておるぞ! しかも耳まで真っ赤じゃ! どうした、大丈夫か!?」
「だっだだっだだだだだいじ」
「全然大丈夫には見えんぞ!」
まあ私も薄々こんなに上手くいくはずがないと思ってたんだよな。
大体なんで婚約破棄を導入にして決闘が始まるんだ? こう、湿っぽいラブロマンスを始めればいいじゃないか。どうせあれだろ、剣気とか魔力とかそういうのを体内で回したから薬の効果が早く抜けたとかそういうのだろ? わかりましたよ。はいはい。
「(天才的な速度の編集によるピー音)! どうせまたお主がレンナルトに変なことを! ……?」
「……いや待て。どうして俺たちは(天才的な速度の編集によるピー音)に信頼とかなんとか……? 善悪はともかく古今東西あんなに信用ならない人間もなかなか……」
ということで全然関係ない話をするが、物語の締め方というのがあるだろう? あれは結構重要だと私は思っている。話の結末を少し捻るだけでも全体の印象が変わったりするものだ。
たとえば、ここで私が話の全体で張っていた伏線を回収して驚きの真実を開帳したりすればこれはミステリになったりホラーになったりする。伏線とか張っていないが。
「お、思い出したぞ! あのとき(天才的な速度の編集によるピー音)は俺に異常な味の紅茶を飲ませてきて――」
「紅茶……? ウッ、頭が!」
「しっかりするんだ、シュティーナ! 思い出せ!」
あとそう、ここから悲恋ものに持っていくという手もあったりするのだ。いやこんなコメディで何を馬鹿な、と思うかもしれないが、案外無理筋ではない。外野が明るくきゃーきゃーやってる間に、私が湿っぽい片想いモノローグを流しつつはらりと心中で涙すれば、ギャップでいい感じの悲恋話になったりする。こんなめんどくさいやつらに片想いするわけがないが。
「ハッ! 思い出したわ! あのときこやつ、邪悪な顔で『私に任せておくがいい、ヒーッヒッヒッヒ!』と高笑いを!」
「(天才的な速度の編集によるピー音)! また君の仕業だったのか!?」
あとそうだな。たとえば今までやられた仕返しとかすると復讐劇になったりするかもしれない。
これはできそうだな。やってみるか。私のアドバイスが鈍感に散々潰されたときの復讐、台詞物真似。
「えっ? なんだって?」
一応実況しておくと、レンナルトが宝剣を構えた。シュティーナが魔剣を構えた。
全然関係ない話の続きだ。爆発オチというものがあるな? 爆発オチによって締められる物語は大体二種類に分かれるんじゃないかと私は思うわけだ。
「<太陽――」
「<蠍――」
巻き込まれるとギャグコメディ。
逃げ切ればダイナミックアクション。
「――熱波>!」
「――明星>!」
どっちになると思う?
音量注意。