3.その時は唐突に。
結果から言うと、ご飯にはありつけなかった。
お手製のシチュー(のようなもの)をテーブルに配膳しながら、腹をぎゅるぎゅると鳴らしていると、宿屋の扉が開け放たられたのだ。そしてそれから、大の大人がずらずらと入室してくる。
およそ十名、うち八名は鉄の鎧に身に纏い、そのとき改めて、ああ俺は本当に変な世界に迷い込んでしまったのだなと実感するのだった。
八名の鎧に続いて、今度は白髪の青年が現れた。髪は短髪でツンツン立っており、瞳の色も若干色素が薄れている。赤のマントを背負い、胸に黄金色の弾帯をつけているのが目立つ。
男の後ろには、端正な顔立ちをした小柄な女が立っていた。肩に触れない程度のボブの黒髪で、チョハのような丈の長い白のコートを着ている。ふたりとも、腰に短剣のようなものを身に着けていた。
母親のほうに目を向けると、口をあんぐりと開け放っては硬直していて、娘の方はこっそりとシチューをスプーンですくって食べていた。
白髪の男はわずかに頭を下げてから、芯の強い表情をまっすぐと前に向き直した。
「突然の訪問すまない。早朝に城へ一報があってな、要約すると『ブレルニールが倒れていた。迎えに来てくれと』いったものだ。心当たりがある者--」
男と目があった。その傍らで、母親が「は、はい……」と漏らす声が聞こえる。
一歩、二歩と立ち尽くす俺に近づき、舐め回すように顔面をくまなく確認してきた。
「たしかに似ている……。別人だとはわかるが、顔はそっくりだ。名はなんと言う?」
男の態度に怪訝しながらも答えることにした。理解が追いついていない今、下手なことをするのは無謀と言えるからだ。この世界がどんな思想や道徳のなかにあるのかは知らないが、無礼だからといって腰に携えている短剣で一刀両断されてもおかしくない。
「宮間涼太」
男は首をかしげる。
「みやがもんた?」
「みやまりょうたです」
「変わった名前と、服装だな。まるで住んでいる場所が違うみたいだ」
なにかを見定めるような視線。直感的に、この男はなにかを知っているような気がした。
「俺からすれば、俺以外が変わっています」
「ほう? なにが変わっているのだ」
「なにもかも、すべてが」
「ふむ」
一刻の間、男は思い巡らすように天井を仰いだ。それから不敵な笑みを浮かべると、宿屋の親子に礼を告げた。
「報告ご苦労。しかしこの者はブレルニールではない。兄である私、アルマ・エフェルメントが言うのだから間違いない。なによりブレルニールは今、城外の森で狩猟の遊楽に出向いている」
「その通りでございましたか。わざわざアルマ様が直々に足をお運びするなんて……大変申し訳ありません。とんだ勘違いを」
母親は娘と一緒に頭を下げる。悪名高きブレルニールと血を分けたアルマとか言う王族もまた、恐れる対象なのだろうかと警戒する。しかしアルマは穏やかに頭を下げるふたりを手で制した。
「頭を上げてくれ。むしろ感謝している。自ら出向いたのも私の意向だ。たまたま報告を耳にして興味本位で来てみれば……とんだ収穫だ」
さきほどと同じ、不敵な笑みを浮かべる。なにか悪いことを企てているというよりも、ゲームに勝機を見出した味方のような表情だった。
「ミヤマリョウタと言ったな? 私のことは知っているか?」
「知りません」
そう答えた瞬間、周囲が一気にざわついた。予想はしていたが、国の王族を知らないとなれば度肝を抜かれて当然だ。
肝心の張本人は、まるで欲しかった答えがもらえたときのように、納得した表情で頷いた。
「貴君と話をしたい。おそらく、お互いが抱く変わった部分が見えてくるはずだ。どうだろう、城に来ないか?」
「それは、今ですか?」
「今だ。むしろ今でなくてはいけない。理由も後で教えよう」
宿屋から城へ。
現状を把握する上ではかなり大胆なステップアップを踏めることになる。だが逆に、後に引くことはできなくなるだろう。これから何が起きるかもわからないまま、漠然とした覚悟を決める必要がある。
「アルマ様」
一瞬の間のなかで考えこんでいると、アルマの後ろに立っていた女が感情の読めない声を出した。
「そのような勝手なこと、されては困ります。素性の知らない人間を城に入れること、許すことできません」
「堅いことを言うな、メヴィル。ここにいる者たちが黙っていればなにが起こるわけでもなかろう」
「そういう問題ではありません。危険なこと、控えるべきだと、私は言いたいのです」
「危険ではない。こっそり私の部屋につれてくるだけだ。親の目を盗んで恋人を家に連れ入れるのと似たようなものだ」
「ち、ちがいます! ぜんぜんちがいます! 男同士ですよ? バカを言うの、やめてください。もう少しつつましくしてください」
「つつましくミヤマリョウタを招待すればいいのだな? それなら文句はないな?」
「この、頭でっかち。だめなもの、だめなんです」
メヴィルと呼ばれる女はアルマの側近だろうか。側近なのに女? とは思わない。こういう場合、女のほうがとんでもなく強いというのがセオリー。俺のなかのセオリーはゲームやアニメで得たものだが、当たらずとも遠からずだろう。
しばらくの押し問答が続き、最終的にはアルマが折れた。小慣れた様子で肩をすくめるあたり、これが日常茶飯事なのだろう。
「城に入れるのがだめなら場所を変えよう。とっておきの場所がもうひとつある。ミヤマリョウタ、ついてこれるか?」
押し問答のあいだにゆっくりと考え、ついていくことに決めていた。
宿屋からひとりで外に出たところで、やれることは限られている。アルマは何かを知っている風だったし、俺の求めるものがなかったとしても、この世界のことは一般人よりも説明できるに違いない。
「良い判断だ。歓迎する」
宿屋娘とのほのぼのしたやり取りや、子供同士の喧嘩を思わせる押し問答を見てきたことで、俺はどちらかと言えば楽観的だった。
アルマたちと宿屋を出る。初めて外に出て、ここが国の中心とは離れた小さな村だと知る。
村から下っていく一本道を見渡すと、その先には巨大な城下町が広がっていた。見ているだけで雑踏が耳に届きそうで、そのさらに奥にそびえる城は威風堂々たるものだった。空は現実と変わらず青色で、太陽が同じ顔をして俺たちを照らす。
「よい旅を」と、俺を刺した鬼の男は言っていた。
比較的平和そうなこの土地で、ゲームのなかにいるような体感をする。鬼の男に対する憎悪すらも薄れてきているほどだ。平和なまま過ごして、案外簡単に現実に帰る手さえ見つかれば、文字通り良い旅だったと言える。
このときの俺は、そんな呑気すぎる面持ちでいた。
これから起こることや、これから体感していく未来を知るよしもなく。
鬼の言う旅はまだ、始まってすらいないのに。