20.森を抜け。
「くそ!」
アルマは馬から降りるなり、近くに佇む大木に拳を突いた。
鬱蒼と茂る森のなか、メロのつくったツタのベッドで意識のないカーナの治療をメヴィルが施す。
腹部に突き刺さった矢を引いた後、治癒魔法で傷口を塞いでいく。
一瞬で元気にさせるようなものはないが、応急処置的な魔法は習得しているのだとか。
「煙で隠れていた上にカーナは存在すら薄いはず……どうして矢でやられてしまったのでしょうか……」
メロは泣きそうな顔をしながらカーナの手を握る。
襲った矢はバリスタの大きなものではなく弓矢によるものだ。つまり、広がる黒煙の裏にいたにも関わらず、カーナをピンポイントで狙うことができたというわけだ。
「わからない。ユゲットの六度目の攻撃も我々のいた場所を狙っていた……どうやったのかはわからないが、とにかく初手は完敗だ」
アルマは今まで見たないぐらいに歪んだ表情で吐き捨てるように言った。
森に入ってからもなかなかの距離を走ったから、ブレルニール一行に見つかる事はないだろう。
とはいえ、だ。
開幕早々の先行きは最悪、ここで足止めをくっている間にブレルニールは遥か先でピペタを目指している事だろう。
「これでひとまず。出血、止めたから大丈夫」
メヴィルが頬に一滴垂れた汗を拭う。それだけで、メヴィルの緊張と焦燥を感じ取る事ができた。
心なしか、カーナの苦渋に満ちた表情が安らいだように見える。
「よし、出立するぞ」
アルマはすぐさま馬に乗り、方位磁針を使って北側を確認する。
カーナはメヴィルの後ろに、俺は再びメロと同じ馬に乗る。
「なあ、ジルベルトはどうするんだ?」
「離れてしまった今、合流は不可能だ。こうなった場合には直接ピペタに行きそこで落ち合うということは伝えてある」
「あれだけの攻撃を引き受けてくれたんだぞ? 無事かどうかもわからない。ひとまずジルベルトを置いて行った場所に行ってみたほうがいいんじゃないか」
「気持ちはわかるが、時間を割くわけにはいかないのだ。あいつは無事だ」
「なにを根拠に言ってるんだよ」
「私のほうがあいつを理解している。大丈夫だ。信じてくれ」
「根拠もなしに信じられるかよ。実際、アルマの作戦ミスでこんな状況になっているんだぞ」
「そんなことはわかっている。だから今、それを覆そうとしているのだ。ジルベルトを確認しにいっては、その可能性を捨てることになる」
「それでも王を目指す人間かよ。仲間を見捨て――」
メロが俺のふとももに手を乗せ制止する。
「リョウタさん。ここで言いあっても解決しません」
カーナの辛そうな状態を見たこともあり、つい感情的になってしまった。
メロの言葉を飲み込むように深呼吸を入れて落ち着かせる。
「ああ、ごめん」
アルマは穏やかな表情に戻って首を振る。
「こちらこそ、すまない。だが私が仲間を見捨てる人間でないことだけは、信じてくれ。ジルベルトはあれしきの攻撃で死ぬような玉ではない」
「……わかった。アルマを信じるよ」
つい熱くなってしまったが、俺は戦いの経験がないただの高校二年生だ。アルマはこの世界に生まれいくつもの修羅場も経験した熟練者。メヴィルとメロもそうだ。ふたりとも違うとわかっていながらアルマの言うことにただ従順となる人間ではないと分かっているし、俺が場をかき乱しても無駄なだけだ。
アルマ先導のもと、森を駆け抜ける。
森をでてから進むより突っ切った方が近いという判断だった。
途中、獰猛な熊のようなデカブツや六本足の狼などの魔物と遭遇するが、そのすべてをメロがエレセントを使い遠のけ、戦闘を回避する。
氷でぶっ飛ばしたりツルを操り放り投げたりと、無駄な殺生をする気はないようだった。
森を抜ける。
スタートよりも太陽が上にのぼっていて、木陰を失った俺たちを堂々と照らす。馬が冷たい風を切っていくなか、肌に若干の温もりを感じる。
平原をしばらく進むと、横一線にまっすぐ伸びる断崖にでくわした。崖下まではかなりの深さがあり、さらに川の激しい濁流が見える。
向こう岸までも五十メートル以上もの距離があり、馬と一緒に全員が飛び越えるとなるとどう考えても無理だ。
「これ、どうすればいいんだ?」
当然、俺は疑問する。
「予定では関所のある橋に滞りなく到着しているはずだったのだが、進路を変え森を抜けてきたことで狂ったのだ」
アルマは肩をすくめる。
「じゃあ、崖沿いを進んで関所を見つければいいんだな?」
「それだと、時間かかる」
メヴィルは崖下を覗きながら淡々と言う。
たしかに、ジルベルトのもとへ行くことすらやめたんだ。ここで関所を目指すのだったら、ジルベルトのいた場所に戻ってから予定していた進路をそのまま行けばよかったことになる。
「じゃあ、どうすればいいんだ」
「私にお任せください」
メロは馬から降りてアルマにお辞儀をした。
コートの懐から緑のエレセントを五本取り出し、地面へと突き刺すように投げつける。
五本の屈強なツタが地面を割って生えてきて、崖の向こう側へと伸びていく。
一瞬で、ツタ製吊り橋が完成した。
そこまでツタを伸ばすことができるのか、と感嘆するしかなかった。
これもメロの膨大な魔力あってのものだろう。
「向こう側でツタの維持を行いますので先に行かせていただきます。それから、先端部になると全員分の重さを支えられるかわかりませんから、順番に渡ってください」
メロはカーナをお姫様抱っこしながら悠々とツタの上を駆け、向こう岸へと渡る。それから割れものを置くように、静かにカーナを地面に寝かす。
「よし、次に私が行こう。メロの馬は私が引いていくから、メヴィルとリョウタはその後に来るんだ」
メヴィルのジトっとした目が、メロの馬に乗ったままの俺に向けられる。王子の手を煩わせるな。さっさとひとりで馬を操れるようになれ、と言いたげだった。
はいすいません。でもどうしようもないんです。俺は馬から降りる。
アルマは自分と俺の乗っていた馬を引いて橋を渡る。
次、メヴィルが馬に乗ったまま進み、そのすぐ後ろをついていく。
ミシミシとツタが音をたてる。屈強なツタとはいえ植物だ。足を踏み出すたびに軋み、若干の揺れを与えてくる。
先端に近付くにつれ五本に並ぶツタが細くなっていき道を狭める。足元の視線を少しずらすと、轟々と流れる水の流れが見える。
けっこうこええ。
そう思いつつ、あまり顔にでないよう努める。
みんなが平然と渡っているなか、俺だけわめくわけにはいかない。
あと少し。
メヴィルが渡りきり、俺もあと数歩で向こう岸に到達する。
スパン、と後方から小気味よい音がした。
「え?」
後ろを振り返る前に、俺の足はツタから離れ宙を舞っていた。
ツタと共に真っ逆さまに落下する。
「ああああああああああああああああああああ!」
「リョウタ!」
渡たったばかりのメヴィルがすぐさま崖から飛び降り腕を掴む。
俺は完全に冷静さを失っていた。
「落ち着いて、息、とめて」
「なに! 息!?」
メヴィルの言葉の意味を理解する前に着水する。
凄まじい流れが身体に叩きつけられる。
とっさに息を吸おうとしたせいで、大量の水が五臓六腑に侵入してきた。
一瞬で意識が遠のくが、腕を引っ張る強い力でなんとか目を覚ます。激しい濁流のなかでも、メヴィルは手を離さずに俺のそばにいた。
朦朧とした意識のなかから芽生えた安心感に、意識が途切れはじめる。
ぼんやりとメヴィルの顔が視界に入る。
川の流れのままにぐるぐると身体が回り、その感覚で兎を思い出す。まるで重力が操られているみたいだ。
濁流に身を投じているはずなのに、不思議と静寂のなかにいるような気がした。
もしメヴィルが飛び込んでくれなかったら……。
呆然と考えていると、やがて安らかに気絶した。