14.元気なメイド。
結局ヒエラのことでわかったことは、メガネへの執着心が強いということだけだった。
二十メートルあまりを転がりながらもメガネを離さないよう手に持ち替えていた。
目をまわし足を踊らせているときでもしっかりと右手にメガネがあった。
帰りがけにサンテスがファルゴの牙を調達したいと言い出し、ブレルニールとは離れた場所で数頭ばかりを飼ってから帰路に着くことになった。
俺やアルマ、メヴィルがなにをするでもなく、サンテスだけが器用に弓矢を使ってファルゴを狩っていた。有能な医師はなにをしても卒なくこなせるのか。
来た道を戻り、広大な草原を馬で駆け抜ける。
城下町に着くころには太陽が赤い光を発し雲をオレンジ色に照らし始めていた。
サンテスの隠し病院の前まで来たと、俺は初めてあることに気がついた。
「そういえば、カーナ・マーメロイドが見当たらないぞ」
黒の装束とトンガリ帽子が目立つ女の存在を、気にかけることもなく忘れていた。
「あいつはブレルニールの偵察をしている。よく気がついたな」
アルマの言葉に疑問を抱く。
「気がつくって、アルマたちも忘れていたのか?」
「そうだとも言えるが、違うとも言えるな」
カーナ・マーメロイドは存在そのものが希薄な珍しい体質を持った魔法使いらしい。そばにいても存在を忘れてしまいがちに、気にすることをしなければそのままいなかったことにさえもなってしまうほどだそうだ。
その存在感を使って、アルマはブレルニールの近くで観察することを命じていた。
サンテスはカーナと一緒に山へ行ったことすらもおぼろげな様子だった。
街の一角とは言え、あまり目立つのはアルマ的にはよろしくないらしい。
アルマは街に入るなりかぶったフードを深めて、そそくさと野菜売りの店の奥へ。俺たちもそれに続き、床と見分けがつかない隠し扉から地下に入り――、
「リョウタさーーーん!」
三年ぶりに飼い主と出会ったミニチュアダックスフンドのような勢いで、メロが飛びついてきた。
「よかった、無事で。本当によかったーー!」
気を抜けば顔面をペロペロ舐めてきそうなほどだった。アルマやメヴィルのまえでそんな密着してくるなんて、照れてしまう。
「目が覚めたか」
アルマの言葉を聞くとすぐに俺から身体を離し、背筋を伸ばして右手を上げた。
「はい! ご迷惑をおかけ致しました。無事、帰って参りました」
「おいおい、外見は戻っても中身はまだ完治してないんだ。安静にしてなさい」
サンテスが呆れるように肩をすくめる。
メロは直角に頭をさげて、治療してくれたサンテスに礼を伝える。
心の底から感情が湧き出るというのは、こういうことを言うのか。そう思った。照れくさいからメロのように騒ぎはしないが、本当は嬉しくてたまらなかった。
命に問題はないと聞いていても、静かに眠っているメロを見たら安心はできない。元気に笑う姿を見て、はじめてホッと息をつけるというものだ。
「――泣いてる」
メヴィルが俺の顔を見ながら呆然として言った。
慌てて頬を拭うと、たしかに一滴の水で濡れていた。
顔をあげると全員がこちらを見ていて、俺は急いで背中を向ける。
「いや、なんだろうな。な、なんだ。べつに、そういうあれじゃないから」
言い訳にもならない言葉を吐き出しながら、溢れ出る涙を何度も拭う。
ああ、泣いたのなんて久しぶりだな。
恐怖と絶望に満ちたあの夜を思い出したからなのか、それともメロが元気だったからなのか、涙の理由はわからない。いや、わかろうとしたくないのかもしれない。
十七にもなった男がメソメソ泣くなんて恥ずかしすぎる。考えるよりも先に涙を止めなくては。そんな思考が頭を巡るほど、涙は調子に乗って溢れてくる。
「リョウタさん」
背中に温かな身体が触れる。メロの静かな声が、背中ごしに聞こえる。
「こうして涙を流してくれる人がいて、私は幸せです。まだ会って間もないですけど、それでも私は、あなたのことを守りたいって思います」
メロは照れくさそうに笑った。
深呼吸をひとつしてから、メロに向き直る。
「守られてばかりのつもりはない。俺もメロを守れるぐらい、強くなる」
「リョウタさん……」
メロが上目遣いで見つめる。だんだんと瞳が濡れてきている気がした。
「リョウタ」アルマは腕を組みながらうんうんと頷く。
「メロはとても良い子だ。まさにぴったりだと思うぞ。いささか気が早いようにも思うが、ふたりが良いのなら私も主として許そう」
おいちょっと待てなにか壮大な勘違いをしていないかしているだろうそうだろう間違いない。
アルマからメロに視線を移す。顔を赤らめながら床を見つめてもじもじと指同士を絡めていた。おい、待て待て待て。
「アルマ様がよくても、私は許しません」
メヴィルが獰猛なドーベルマンのような眼光を俺にぶつける。
だから、違うって!
必死に弁解する。メヴィルに殺されるのだけは避けたいからな。
アルマは知らんぷりで婚約だと囃し立て、メヴィルは真顔で許さないと連呼し、サンテスは楽しげに拍手をする。
病院内は、メロを交えた笑い声が響き渡る。
この世界も悪くないな。そう思える時間だった。
◆
すっかりと夕刻の真っ只中に突入したころ。
サンテスと別れメヴィルの自宅に場所を移した。
化粧台に座らされ、動くなと言われる。メヴィルとメロ、ふたりのメイドが俺を挟み込み、目をつむっている間に毛の束や布で顔を撫でられ、最後には髪に何かを塗りたくられる。
「できました。かんっぺきですよこれ」
目を開けると、楽しそうに笑うメロの姿と面倒くさそうに顔をしかめるメヴィルが鏡に映っている。視線を真正面に調整すると、ブレルニールに似ている俺がいた。
目つきを若干尖らせ、鼻立ちがはっきりするよう施し、髪はオールバックにされ固められていた。骨格が似ているから、わりと簡単に似せることができたらしい。
「さあ、準備は万全だ。行こう」
「どこに行くんだ」
「酒場だ。あそこは情報の巣窟でもありアンテナでもある。酒場で良からぬ噂が流れた日には、朝日が迎えるまえに街全域に広まっていてもなんらおかしくない」
未成年である俺が酒場デビュー……。それも別人として。一気に緊張感が高まってきた。
「ブレルニールは今の時期だからこそおとなしいものだが、悪名が付く王族であるという印象は国民にある。それをうまく利用しつつ、信頼を落とすんだ」
ふと、宿屋の親子を思い出す。
そういえば、俺をブレルニールだと勘違いして怯えていたな。
「もうすでに悪名なら、これ以上なにかをする必要がないんじゃ――」
アルマは首を振る。
「悪名は必ずしも王位継承に不利になるわけではない。国王たるもの時に情けを切り捨てた判断も必要になる。国民はなにより、王とはどうあるべきなのかを理解している。それほど我が国は、王と民が密接に繋がっているのだ」
国民投票をさせるのも伊達ではないということか。
国の未来は民の未来。当然、自分たちの未来のために体裁や優しさだけでない、実益を含めた将来性を見定める。らしい。
「悪名高きは結構。だが支持者までもが低俗な悪であっていいわけはない。狡猾なあいつを陥れる良い機会だ」
アルマもじゅうぶん狡猾だと思うが。苛烈な情報戦がなければ、国王になるのは難しいのだろう。王を決めるのはなにより国民なのだから。
「ブレルニールは狩猟遊楽に出ていることは内密にしている。大事な時期に遊びにうつつを抜かしていると思われたくないからな。行動するなら今だ。メロ、リョウタを頼んだぞ」
いつのまにかメロも化粧を濃く施し、ニットの服にタイトチェックのスカートを履いた別人へと変装していた。チークで頬が真っピンクだ。そして不覚にも俺は、メロの見たことない姿に「かわいい」あるいは「きゅーと」という感想を抱いてしまったのだった。
「がんばりましょうね。リョウタさん」
メロは通常時よりも大きくてふさふさな目をキラキラと輝かせながらガッツポーズをとる。
アルマはなによりブレルニールと対立しているから行くわけにはいかず、メヴィルはメヴィルでいつもアルマの側にいるから行くわけにはいかないのだとか。
それは構わない。だが……と俺は張り切っているメロを一瞥する。
「メロ、さっき起きたばかりなのに平気なのか」
「はい! 激しい戦いをするわけでもなければ問題ありませんよ」
メロはぴょんぴょんと跳ねる。
たった数日でこれほどに回復するなんて、メロがすごいのかサンテスがすごいのか、それともこの世界の医療がだいぶ発達しているのか。
それにしても、と俺は天井を見上げる。
情報工作に向いているタイプだとはとてもじゃないが思えない。
そして俺も、こんな経験をしたことがない。
一抹の不安が大きな口を開けて俺を飲み込んだ。
「とにかく、頑張ろうか」
「おー!」
メロは拳を高らかに上げて、遊園地へ遊びに行く女の子みたいに無垢な笑顔を披露した。